「THE ANSWER スペシャリスト論」フィギュアスケート・中野友加里 スポーツ界を代表する元アスリートらを「スペシャリスト」とし、競技の第一線を知るからこその独自の視点でスポーツにまつわるさまざまなテーマで語る「THE ANSWER」の…
「THE ANSWER スペシャリスト論」フィギュアスケート・中野友加里
スポーツ界を代表する元アスリートらを「スペシャリスト」とし、競技の第一線を知るからこその独自の視点でスポーツにまつわるさまざまなテーマで語る「THE ANSWER」の連載「THE ANSWER スペシャリスト論」。フィギュアスケートの中野友加里さんがスペシャリストの一人を務め、自身のキャリア、フィギュアスケート界などの話題を定期連載で発信する。
今回のテーマは「フィギュアスケート選手のダイエット」前編。体重管理が厳しい競技として知られるフィギュアスケート。実際、選手たちはどのようにしてコントロールしているのか。前編では、フィギュアスケート選手にとって体重の軽さがもたらす優位性、中野さんが現役時代に実践したダイエット法について聞いた。(聞き手=THE ANSWER編集部・神原 英彰)
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――今回はフィギュアスケート選手のダイエット事情についてお聞きします。フィギュアスケートといえば、繊細な体重管理が求められる競技ですが、そもそも体重の増減はどの部分に最も影響が表れるのでしょうか?
「一番はやはりジャンプです。理由は単純ですが、500ミリリットルのペットボトルを飲んだら、その分だけ体が重くなります。500ミリリットルのペットボトルを持って跳ぶのと同じ状態。当然、滞空時間は短くなるし、回転速度も落ちやすい。ぜひ、鉛筆をイメージしてみてください。鉛筆のように細い物は速く回転しやすいですよね。
今、ロシアの若い女子選手が次々と4回転ジャンプを成功させているのはもちろん、本人が持つ能力、現代のスケート靴の性能という変化もありますが、一番は体重が軽いことです。反対に、身長が高い人ほど、それは難しくなります。軸を取ることが難しくなり、体重も身長に比例して重くなるので、体格面から難しさが生まれてきます」
――軸を取りにくいというのはスケート選手独特の感覚ですね。
「要は長い物と短い物の差です。長い物は回ることが大変ですし、私みたいに小さい体(身長156センチ)で割と軽ければ、体の軸がブレにくく回転軸も取りやすい。体重が増えることで、回転速度が必要になるスピンも実は影響が出ます。一方で、体重が増えてもスケーティングの深み、味わいが出る、ディープエッジに乗りやすいというメリットもあり、一概に痩せればいいわけでもありません。痩せすぎて女性としての魅力を失う選手も見てきたので、痩せすぎても太りすぎてもいけない、難しいバランスを求められます」
――最近でいえば、平昌五輪金メダリストのアリーナ・ザギトワ選手(ロシア)も身長が伸びたことで不振を経験しました。
「ザギトワ選手のように身長が伸び続けると、とてもスタイルが良く見映えも美しいですが体重は増えてしまいます。人間の体積の問題です。体重が増えると、今まで跳んでいた滞空時間と回転速度ではうまく折り合いがつかなくなり、バランスが崩れてしまう。さらに、身長が急激に伸びると軸が取りにくくなり、ジャンプの感覚も今までとタイミングが変わり、ザギトワ選手の場合は少しずつバランスが崩れていったのではないかと想像します」
15歳で「体重」を意識し、変わった食生活「壮絶でした」
――中野さんの経験もお聞きしたいのですが、競技生活で初めて「体重」を意識したのは何歳でしたか?
「よく覚えています。中学3年生だった15歳です。それまでは身長が伸び、体が縦に大きくなるので、たくさん食べても太りませんでした。でも、ある時を境に身長が止まったら、少女から女性の体付きに変わるために(成長が)横に行くしかない。それが15歳でした。気付いた時には変化が起きていて、コーチから『どうにかしないと跳べなくなる。とにかく痩せて』と言われました。その時は言われている意味がよく分かりませんでしたが、本当にあっという間に跳べなくなりました。
一番ショックだったのは、トリプルアクセルを跳べなくなったことです。14歳から跳べていたのですが、体重が増えたことで回転力が落ちてしまい、3回転半回り切らなくなりました。最初はほかの3回転ジャンプで演技はごまかせたのですが、それも次第に回転不足になって……。痩せなきゃいけないという目標がある半面、食欲もすごく旺盛な時期なので、心の中でせめぎ合いでした。そんな私を見て、母にダイエットのスイッチが入ったんです。食事の内容も変わり、壮絶でした」
――食生活はどう変わったのでしょうか?
「まず、今まで好きなだけ食べていたお米をグラムで量り、1日に決められた量、120~150グラムしか食べないようにしました。そのうち、油物も一切やめ、甘い物も絶対ダメ。母は部活で『水を飲んだら太る』と言われていた世代だったので、私も『水を飲んだらその分、太ると思いなさい』と言われました。あとは白米も玄米に変え、とにかくヘルシー志向で。ただ、チョコレートが大好きだったので、どうしても我慢できない時は母に隠れて、こっそりと食べていました……(笑)」
――3食のメニューはどんな内容だったのですか?
「朝は食パン1枚です。バター、マーガリンはダメで何もつけない。もしくはクリームなどが入っていないパン。昼はお弁当を作ってもらい、グラムを量ったおにぎりと茹で野菜。肉は必要なのでウィンナー。あとはタンパク質を取るために玉子焼き。それくらいなので、甘い物が食べたいと言ったら増えたのは果物だけ。夜もお弁当です。昼と同じような内容で、練習の合間に食べるという食生活を送っていました」
――かなり過酷ですね。教室でそれだけ管理された弁当を食べていたら友達に心配されませんでしたか?
「女子校だったので、食べない子は量をそれほど食べない。なので、浮いていたわけではないのですが、逆にシンクロナイズトスイミングをやっていた友人は増量しないといけなくて、本人が気持ち悪くなるほどのお弁当を食べていて……。私は痩せなきゃいけない、彼女は太らないといけない。競技によって、どちらも大変だなと思ったことはよく覚えています」
――それだけの食事量で練習はエネルギー的に大丈夫だったのですか?
「私は『空気を吸っても太る』と言われるくらい、何をしても太る時期で(笑)。エネルギーはあり余っていたのですが、なかなか痩せず……。ただ、体重計に毎日乗って記録をつけ始めたら、どうすると太るか痩せるか分かってきました。大学に入学し、一人暮らしを始めて自炊するようになると、自分なりの痩せ方を掴めました。3年くらいかけて理想の体重に近づける方法に行き着いた感じです」
現役時代に実践した減量法「一番自分に合ったのがキャベツダイエット」
――それほど神経質に体重と向き合っていたと考えると、現役時代は食欲とのせめぎ合いだったのですね。
「本当にその通りです。現役時代のベスト体重は43~44キロくらい。今の生活で1キロ太るなんて当たり前ですが、当時は1キロでもパニックを起こすくらい神経質になっていました。特に減量が必要になるのはシーズン開幕近く。オフシーズンは気が緩んでいるのか、4月から7月まではどうやっても痩せなくて。シーズンに入って制限をしたら体力が落ちてしまうので、シーズンが近くなると特に自制して調整していました」
――具体的に実践していた減量法はどんなものがあったのでしょうか?
「もう数々のダイエットをやりました。一日中バナナジュースを飲んで過ごした日も、りんごを食べた日もありました。スープダイエットも断食をしたこともあります。でも、一番自分の体調や好みに合ったのが、キャベツダイエットです。朝昼晩、ひたすらキャベツを食べ続ける。ドレッシングの味付けや切り方を変えながら。そうしたら痩せ始めたので、自分に合っていると思って続けられました」
――もし1キロ増えたら、当時は何日間くらい落とすイメージだったのですか?
「2日から3日でなんとか落とす感じでした。1キロ増えることは遠征先から帰ってきた直後とか、そうそうなかったですが、今日食べ過ぎたと思ったら翌日の食事を少なくするか、もしくは抜く。普段は先生方も食べないと体力がつかないからダメだと言うのですが、目先の体重に一喜一憂してしまっていた。結構、無理なことをやっていたので、本当は栄養面でも良くなかったと思います。それは今の選手たちにも伝えたいことです」
(後編は明日29日に掲載)
■中野友加里/THE ANSWERスペシャリスト
1985年生まれ。愛知県出身。3歳からスケートを始める。現役時代は女子選手として史上3人目の3回転アクセル成功。スピンを得意として国際的に高い評価を受け「世界一のドーナツスピン」とも言われた。05年NHK杯優勝、GPファイナル3位、08年世界選手権4位。全日本選手権は表彰台を3度経験。10年に引退後、フジテレビに入社。スポーツ番組のディレクターとして数々の競技を取材し、19年3月に退社。現在は講演活動を務めるほか、審判員としても活動。15年に結婚し、2児の母。自身のYouTubeチャンネル「フィギュアスケーター中野友加里チャンネル」を開設し、人気を集めている。(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)