五郎丸歩インタビュー@前編 2015年ラグビーワールドカップ(W杯)では「ブライトンの奇跡」と呼ばれる南アフリカ代表からの大金星を獲得し、プレースキック前の独特のルーティンで爆発的な人気を博したFB(フルバック)五郎丸歩。ラグビー界きっての…

五郎丸歩インタビュー@前編

 2015年ラグビーワールドカップ(W杯)では「ブライトンの奇跡」と呼ばれる南アフリカ代表からの大金星を獲得し、プレースキック前の独特のルーティンで爆発的な人気を博したFB(フルバック)五郎丸歩。ラグビー界きってのスター選手が今季、35歳でブーツを脱いだ。

 引退を決意するまでに至った経緯、日本代表通算57試合のなかでのベストマッチ、そして長きにわたって貢献してきた日本ラグビー界に残せたものについて話を聞いた。

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エディー・ジャパンに五郎丸歩の存在は欠かせなかった

---- まずは引退した今の心境と、35歳での引退にこだわった理由について教えてください。

「22歳でヤマハ発動機に入った時から、35歳という区切りをターゲットにしてきました。チームを変えればまだプレーできたかもしれませんが、性格上、フラフラするような人間じゃないので。ヤマハ発動機に恩返しをして終えたい、という思いが強くありました。

 今は本当に、すっきりした気持ちです。後悔はひとつもありません。次のステージに向けて力を溜めている感じです。自分はプレースタイル的にキックを売りにしているので、現代ラグビーと今の自分の体力を考えると、やっぱり今年が引きどころかなと思いました」

---- 日本代表では57試合に出場してテストマッチ最多711得点を記録しました。日本代表での思い出を振り返ってもらえますか?

「早稲田大2年の19歳の時に南米遠征で初キャップを得て、そのまま順風満帆にいくのかと思っていました。しかし、そのあとは代表に定着できず、20代は苦しんだ時期が長かったという印象です。

 2012年にエディー・ジョーンズHC(ヘッドコーチ)が指揮官になった時、最初の日本代表合宿で『バイスキャプテンをやってくれ』といきなり言われたのを覚えています。『何で俺だろう?』と周りのメンツを見たら、けっこう自分が歳を取っていたことに気づきました(笑)。

 2015年W杯初戦の南アフリカ代表戦は象徴的な試合でしたが、自分として一番大事に感じていたのは、W杯3戦目のサモア代表戦です。南アフリカ代表に勝って、世の中のラグビー日本代表に対する見方がガラッと変わりました。ですが、2戦目のスコットランド代表戦で大敗したので、ラグビーを知らない人は『まぐれで勝ったのでは?』というふうに感じたと思ったんです。

 ただ、次のサモア代表戦までは中9日空いたので、もう言い訳はできない。しかも、放映時間は日本時間の22時半キックオフ。日本人がみんな起きている時間でした。

 ラグビーファンは4戦目のアメリカ代表戦(日本時間・朝4時キックオフ)も見るだろうけど、一般の人たちが見る機会はサモア代表戦しかない。日本代表の真の強さが試される試合だと、南アフリカ代表戦以上にプレッシャーを感じていました。だから勝つことができて、本当にうれしかったです」

---- 五郎丸さんにとって、エディー・ジョーンズHCはどういう存在でした?

「正直に言うと、僕は若い頃、日本代表に対しての忠誠心があまりなかった。昔は『何で日本代表にこんなに外国人選手がいるんだよ』という気持ちがあり、外国人に対しての劣等感もあったので、日本代表に対して『俺はいいや......』というネガティブな感情があったんです。ラグビーの本質を理解できていませんでした。

 ただ、2012年に新体制になって日本代表に呼ばれた最初の合宿の時、エディーHCは日本語でミーティングをしてくれたんです。その時『この人とだったら、がんばっていけるかも。自分自身を全部犠牲にしてもいいな』という感じがした。たったひとつの言葉かもしれないですが、自分の中では大きかった。日本人に対して、この人はしっかり誠意を持って取り組んでいると思えたのです」

---- それだからこそ、4年間、日本代表にフルでコミットできたわけですね。

「2015年W杯までプライベートも犠牲にしてフルコミットしたので、大会後はやり切った感じがめちゃくちゃしました。結果、燃え尽き症候群みたいになりましたね。

 そんな時、エディーHCに「(オーストラリアの)レッズから話がある。どうだ?」と言われたんです。大会を終えて目標もなくなったので「海外に行くしかないな」と思いました。環境を大きく変えてチャレンジすることは引退後も役に立つだろうと思えたし、当時30歳という年齢もあって、海外に行くならラストのタイミングだったのでチャレンジしました」

---- 2019年W杯に向けてもう一度、日本代表でプレーしたいと思えませんでしたか?

「2015年W杯前の福岡での壮行試合の時、おばあちゃんが生きていて90歳近くでしたけど、おそらく日本代表のジャージーを着てもらって生で観戦できるのは最後だろうと思い、母親に連れて来てもらいました。僕自身も以前から『(2015年が)最後のW杯になる』とずっと言っていたので。

 もう1、2年だけなら日本代表でできたのでしょう。だけど、そういう性格じゃない。4年間の苦しさもわかっていましたから。家族も犠牲にしてきたので、もう無理だなと......。それだったら、現役を続けながら子どもたちに対して普及・広報活動をやっていくのが自分の役目かなと思うようになりました」

---- 昔は「将来は○○大に行きたい!」と語るラグビー少年が多かったですが、今は「日本代表になりたい!」「海外でプレーしたい!」という目標を掲げる子どもが多くなりました。

「それがスポーツ競技のあるべき姿ですよね。でも、それを僕たちがなかなか子どもたちに示せてなかったことを考えると、2015年、2019年のW杯は本当に大きかったなと思います」

---- 五郎丸さんが日本代表でプレーすることによって、子どもたちのなかで桜のジャージーの価値が上がったのではないかと思います。

「2015年W杯で『ベスト15』に選んでいただけるなど、個人としての称賛も浴びられたことを考えると、少しは貢献できたかなと思います。自分の幼少期には『日本代表は世界で勝てない』『日本人選手は海外では活躍できない』という固定概念がありました。しかし、それらをいい意味で崩せたのかなという感じはします。

 現役生活を振り返ると、海外に行って成功したかといえば、まぁ失敗じゃないですか(笑)。でも今は、クレルモンのFB松島(幸太朗)やハイランダーズのNo.8(ナンバーエイト)姫野(和樹)が個として成功し、大きなステップを踏んでくれました。誰かが一歩踏み出さないと、それを越えようとする選手は出てこないので、彼らには心の底から敬意をはらいたいと思います。

---- 五郎丸さんが日本代表として、ラグビー選手として残せたものは?

「『日本代表にどうして外国人選手がいるのか?』という、ラグビーが持つ多様性の部分をしっかりと世の中に発信できたかなとは思います。日本代表に外国人選手がいることに対して、世の中から文句が出なくなりました。この大きな功績は残せたかと思っています。

 2012年から日本代表にフルでコミットしていくなかで、ラグビーの独特な文化をどうやったら理解してもらえるのか、ずっと考えていました。我々日本人選手は外国人選手に対して尊敬の念をものすごく持っていましたが、その情報を発信するタイミングはビッグゲーム後でないと世間に伝わらないなと感じていて......。

 だからこそ、南アフリカ代表戦が終わったあと、Twitterでつぶやきました。『ラグビーが注目されてる今だからこそ日本代表にいる外国人選手にもスポットを。彼らは母国の代表より日本を選び日本のために戦っている最高の仲間だ。国籍は違うが日本を背負っている。これがラグビーだ。』と。

 この言葉は、あの瞬間に感じたことではなくて、ずっと考えていたことでした。自分が日本代表にコミットするにつれて、だんだん外国人選手に対する思いがポジティブになり、母国の代表権を放棄してまで日本代表として一緒に戦う姿勢に尊敬の念が生まれ、仲間になっていった。この情報発信は日本人で活躍した選手しか発信できない......という意味も込めて、あのタイミングに出したんです」

(後編につづく)

【profile】
五郎丸歩(ごろうまる・あゆむ)
1986年3月1日生まれ、福岡県福岡市出身。3歳からラグビーを始め、佐賀工業高校時代には3年連続で花園に出場。早稲田大学では1年時よりレギュラーとして活躍し、大学選手権優勝も経験する。2008年、ヤマハ発動機ジュビロに入団。2016年はフランスのトゥーロンやオーストラリアのレッズでもプレーし、2021年シーズンで現役を引退。日本代表通算キャップ57。日本代表テストマッチ最多得点記録保持者。ポジション=FB。185cm、100kg。