五郎丸歩インタビュー@後編「五郎丸ポーズ」が大ブームとなり、たちまち日本ラグビー界の顔となってから6年。五郎丸歩は35歳で引退を決意し、新たな道を歩もうとしている。2022年1月開幕の新リーグに向けて、ヤマハ発動機ジュビロが新設するプロクラ…

五郎丸歩インタビュー@後編

「五郎丸ポーズ」が大ブームとなり、たちまち日本ラグビー界の顔となってから6年。五郎丸歩は35歳で引退を決意し、新たな道を歩もうとしている。2022年1月開幕の新リーグに向けて、ヤマハ発動機ジュビロが新設するプロクラブのスタッフとして働くことになった経緯を聞いた。

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プレースキック前のルーティンは一躍大ブームになった

---- 五郎丸さんと言えば、2015年W杯後にプレースキック前のルーティン「五郎丸ポーズ」がフューチャーされました。その時の心境は?

「ラグビーをずっと続けてきた人間としては、個人が注目されることに違和感を覚えるところはありましたし、『ラグビーのよさはそこじゃない』という思いもありました。それでも、僕がきっかけでラグビーを知ってもらえるだけでもありがたかったし、2019年W杯に向けてラグビーのよさを発信し続けなくちゃいけないという責任感も感じていました。

 だから、注目されたことでネガティブな気持ちになったことはまったくありません。スポンサー主催でラグビー教室を開いた時、生徒ひとりひとりに1個ずつボールを持って帰らせてくれるという要望を聞いてもらえるなど、ありがたかった面も多かったですし」

---- 周囲が大騒ぎしていることで、逆に孤独は感じなかったのでしょうか?

「孤独感はありましたよ。チームとしてあれだけがんばったのに、僕ひとりだけがフォーカスされたので、一緒に戦った選手たちに申し訳ないという気持ちもありました。

 自分が進んでいった道は、過去に日本ラグビー界で歩んできた人が誰もいなかったので、やっぱり孤独でしたよね。でも、FB(フルバック)はポジション柄、いつも孤独なので(笑)。

 僕ら2012年から始まった日本代表メンバーの夢は、『日本代表のジャージーを着たファンでスタジアムが満員になってほしい』ということでした。だから2019年W杯の開幕戦、東京スタジアムが満員になって、みんなが日本代表のジャージーを着てくれていた時は、本当に感無量でした」

---- エディー・ジャパン時代から交流がある選手は誰ですか?

「2012年の日本代表合宿で一緒に筋トレしてから仲良くなったトシさん(廣瀬俊朗)と立川(理道/クボタ)ですね。引退を決意した時もグループラインで連絡しました。トシさんからは『やっと、こっちに来るな。ちょっと寂しい気持ちはあるけど、次のステップをお互い楽しもう!』と返信をいただきました。

 一方、立川には『まだまだ引退は早いし、日本のラグビーを変えないといけないポジションにいるから、立川らしくがんばれよ!』と伝えました。誰がヘッドコーチをやるか、誰に出会うかで、人生は大きく変わります。僕もエディー(・ジョーンズ)じゃなかったらW杯に出ていなかったと思います」

---- 五郎丸さんはセカンドキャリアとして、7月からヤマハ発動機ジュビロが創設するプロクラブ「静岡ブルーレヴズ」のスタッフとして働くことに決めました。その決断に至った経緯を教えてください。

「包み隠さずに言うのであれば......2015年W杯での戦いを終えて帰国し、あの盛り上がりからわずか1カ月後にトップリーグが開幕した時、チケットは完売しているのにスタンドにお客さんがいなかった。あれはラグビー界の収益構造の問題です。

 今はだいぶ改善されてきましたが、秩父宮ラグビー場のトイレが汚いとか、明らかにファン目線ではない環境もありました。日本のラグビーを盛り上げるために必死になってがんばってきたわけですけど、ファンの方々に恩返しできるような場が作れていなかったんです。

 2019年W杯が終わってからも、満足できる環境はまだ整っていなかった。そういうことを考えた時、強い思いを持った人たちがマネジメント側でしっかりとラグビー界を変えていかなければいけないと。そういう先駆者的な立場となって、これからラグビーに関わっていきたい。それが僕の思いです。

そんな折、来年から新リーグが創設されることになり、環境を変えていかないといけないタイミングと僕の引退がちょうど重なった。単純に静岡、ヤマハ発動機が好きだったこともあります」

---- 五郎丸さんは2015年W杯後、フランスやオーストラリアでもプレーしました。その経験も日本ラグビーの環境を変えるうえでプラスになりそうですか?

「海外のクラブを見られたのは非常に大きな経験ですね。世界的スター選手が多く在籍するフランスのトゥーロン、オーストラリアのレッズでは、試合が終わったあとのファンやスポンサーへのサービスがとってもしっかりしていたのが印象的でした。

 一番びっくりしたのは、フランスで1月1日の夜9時から試合を開催したことです。元日から普通に試合をやることに日本人としては不思議な感覚を覚えましたが、試合が終わったあと、夜11時くらいにグラウンドから花火を2千発くらい打ち上げたんです。芝生の上での花火なんて日本では考えられないですが、ファンは本当に満足して帰っていった。こういう世界観って作っていけると思いました。

 ファンに試合の前後も含めて満足してもらう環境は、日本のラグビー界はまだまだ遅れている。野球やサッカーといった見習うべきプロ競技もありますが、とはいえラグビーは独特な文化を持っている。その文化を継承しながら、エンタテイメントの部分も作り上げていきたいです。

 ヤマハ発動機は自分たちの(ヤマハ)スタジアム持っているので、県とか市に申請をしなくても独自でいろいろできるメリットがあります。また、プロのバスケットボールで球団社長(リンク栃木ブレックス)を経験された山谷拓志氏も社長として招いたので、これから本当に楽しみです」

---- 引退後は指導者ではなく、マネジメント側から日本ラグビーを発展させるビジョンですね。

「将来は球団社長という地位も目指していきたい。初めはコツコツとチケット販売からやっていくつもりですが、個人としての活動も認めてもらっているので、さまざまな場所で広報活動をして情報発信できる人間でもありたいです。

 静岡県にもラグビー文化が徐々に根づいてきて、エコパ・スタジアムをラグビーの聖地にしようという声もあがっています。2019年W杯のアイルランド代表戦(大金星をあげた「エコパの歓喜」)で勝てた成果のひとつです。それらの影響力を感じた時、引退後は新クラブのマネジメントサイドに立って、評価する人間ではなく、評価される人間でありたいという思いが強くなりました」

---- あらためて、五郎丸さんが感じるラグビーの奥深さ、楽しさとは?

「ひと言で言うと、多様性ですね。人種的な多様性もあれば、ポジション的な多様性もあります。子どもたちには『運動神経が悪くても、ラグビーはどこか適したポジションあるから』と言っています。

 足が遅いのであれば、タックルをがんばればいいし、スクラムを押せばいい。変な言い方をすると逃げ場があるというか、ラグビーはそういう受け皿を持っている競技なので、子どもたちには『いつでもチャレンジしてきて!』とよく言っています」

---- 引退後、マネジメント業務以外にやってみたいことはありますか?

「来年の4月から大学院に行く予定でいます。また、メディアに出て情報発信や企業のアンバサダーなども積極的にやりたいです。あと、現役時代には時間がなかったのですが、趣味の釣りをやりたいですね。今度、念願の釣り番組に呼ばれたので、2泊3日でマグロを釣ってきます(笑)」

【profile】
五郎丸歩(ごろうまる・あゆむ)
1986年3月1日生まれ、福岡県福岡市出身。3歳からラグビーを始め、佐賀工業高校時代には3年連続で花園に出場。早稲田大学では1年時よりレギュラーとして活躍し、大学選手権優勝も経験する。2008年、ヤマハ発動機ジュビロに入団。2016年はフランスのトゥーロンやオーストラリアのレッズでもプレーし、2021年シーズンで現役を引退。日本代表通算キャップ57。日本代表テストマッチ最多得点記録保持者。ポジション=FB。185cm、100kg。