『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者との対話』第Ⅵ部 類まれなメンタル(1)数々の快挙を達成し、男子フィギュアスケートを牽引する羽生結弦。常に挑戦を続ける桁外れの精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱を持つアスリートの進化の歩みを振り返る。世…

『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者との対話』
第Ⅵ部 類まれなメンタル(1)

数々の快挙を達成し、男子フィギュアスケートを牽引する羽生結弦。常に挑戦を続ける桁外れの精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱を持つアスリートの進化の歩みを振り返る。世界の好敵手との歴史に残る戦いや王者が切り拓いていく未来を、長年密着取材を続けるベテランジャーナリストが探っていく。



2013年世界選手権、満身創痍ながら渾身のフリーを披露した羽生結弦。演技後には氷に倒れ込んだ

 羽生結弦が競技者として見せ続けている精神力の強さ。それがとくに強く印象に残っている試合は、2013年世界選手権だ。

 初出場だった12年世界選手権はフリーで巻き返して3位になり、2012−13シーズンのグランプリ(GP)ファイナルで2位。全日本選手権では初制覇を果たした。そして、全日本王者として挑む13年世界選手権はメダル獲得を期待されていたが、ショートプラグラム(SP)は予想外の出遅れとなった。

 SPは、ジェフリー・バトル氏が羽生に初めて振り付けした『パリの散歩道』の1シーズン目。スケートアメリカとNHK杯では95.07点、95.32点と歴代世界最高得点を連発して自信をつけていた。

 だが、この世界選手権では最初の4回転トーループは回転不足で転倒。後半の3回転ルッツも軸が斜めになり、両手をつく着氷になって連続ジャンプにできず、得点は75.94点。9位発進となった。

 演技後、「とにかく悔しい。本当に悔しい」と感情をあらわにしていたが、左膝を痛めているという情報もあった。それを問われると「フリー後でいいですか。今は言えません」と、羽生はきっぱり言った。

 この時の状態は、羽生自身が「満身創痍」と言って苦笑するほどだった。前月の2月に大阪で開かれた四大陸選手権で2位になった後、カナダに戻るとインフルエンザ感染が判明し、練習を再開できたのは世界選手権の2週間前。そこから追い込んだことで左膝を痛めてしまい、また練習を1週間休んだ。再び練習を始めたものの、4回転ジャンプはほとんど跳べない状態だった。

 試合へ向けて痛み止めも服用したが、感覚を失わないよう抑え気味にしたため痛みは残った。さらにフリー当日の朝の公式練習では、4回転サルコウで転倒した際に右足首を捻挫。両脚ともに痛みがある状態で演技に臨んだ。

 この大会は翌年のソチ五輪の国別出場枠がかかっていた。棄権するわけにはいかなかった。SPで髙橋大輔は4位、羽生は9位、無良崇人は11位。3枠確保のための上位2名の順位合計13に、ギリギリの状況だった。

「気合いです。本当に負けたくないと思ったので、どれだけ足首が痛かろうが、膝が痛かろうが、最後に倒れてもいいからやり切ろうと、気合いで持っていきました」

 試合後に話したフリーの演技は、安全策に出るのではなく、4回転2本の構成を崩さない攻めの滑りだった。

 最初の4回転トーループを決めたが、その後の4回転サルコウは着氷で手をつくジャンプ。次の3回転フリップもエッジエラーにはなったが、それ以外はスピードをやや抑えて体力を温存し滑り切った。フリーは3位で、合計244.99点。表彰台には届かなかったが4位まで順位を上げ、髙橋は6位、無良は8位で日本の3枠確保を果たした。

「膝が痛くなった時が0%だとしたら、30〜40%には回復していたと思います。ただ体力面を含めると、なんだかんだいって20〜30%くらいかな、と」

 あっけらかんとした表情でそう話した羽生だったが、SP後は気持ちが落ち込み、フリーはさらに追い込まれていた。しかし、そんな状況でもしっかり滑り切って4位という結果を残せたのは、全日本王者のプライドとともに、五輪出場3枠を確保するという責任感、そして「自分に負けたくない」との強烈な思いがあったからだろう。

 追い込まれた中で羽生が気持ちを奮い立たせられた要因には、前年の世界選手権で右足首を捻挫しながらも3位になった過去の経験があったからとも言えるだろう。



2012年世界選手権もケガの中で3位に入った羽生

 その大会、羽生はSP前日の公式練習で右足首を捻挫。夜には患部が腫れ上がってスケート靴も履けなくなり、棄権も考えたという。それでも「初出場で気持ちが舞い上がっていた」というSPは、痛めた右足を氷につく3回転ルッツが1回転になったものの、冒頭の4回転トーループはしっかり降りて7位につけた。そして、フリーで冷静さを取り戻すと、ノーミスの滑りで王者パトリック・チャン(カナダ)に次ぐ173.99点を獲得して2位。合計251.06点で3位表彰台に上がったのだ。

 のちに「あの経験もあったから、(13年の)世界選手権でも何とかできると考えた」と振り返っていたその実績があったからこそ、現状を冷静に分析してスピードや動き、精神をコントロールできたのだろう。18歳でそれをやり切る羽生結弦という選手のすごさを、明確に認識した大会だった。

(つづく) 

【profile】 
羽生結弦 はにゅう・ゆづる 
1994年12月7日、宮城県仙台市生まれ。全日本空輸(ANA)所属。幼少期よりスケートを始める。2010年世界ジュニア選手権男子シングルで優勝。13〜16年のGPファイナルで4連覇。14年ソチ五輪、18年平昌五輪で、連続金メダル獲得の偉業を達成。2020年には四大陸選手権で優勝し、ジュニアとシニアの主要国際大会を完全制覇する「スーパースラム」を男子で初めて達成した。

折山淑美 おりやま・としみ 
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。92年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、これまでに夏季・冬季合わせて14回の大会をリポートした。フィギュアスケート取材は94年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追っている。