文武両道の裏側 第3回陸上 男子競歩 山西利和選手(愛知製鋼)後編 学業とスポーツを両立してきたアスリートに、「文武両道」の意義、実践法を聞く連載企画。第3回は、2019年の世界陸上ドーハ大会で「20㎞競歩」を制した世界チャンピオンで、東京…

文武両道の裏側 第3回
陸上 男子競歩 山西利和選手(愛知製鋼)
後編

 学業とスポーツを両立してきたアスリートに、「文武両道」の意義、実践法を聞く連載企画。第3回は、2019年の世界陸上ドーハ大会で「20㎞競歩」を制した世界チャンピオンで、東京五輪の金メダル候補にも挙げられる山西利和選手にインタビュー。後編では、現役合格した京都大学時代や正社員として働く現在、間近に迫る東京五輪への思いなどについて語ってもらった。



2019年の世界陸上ドーハ大会を制し、東京五輪出場が内定した山西利和

―― 2014年3月に京都市立堀川高校を卒業し、同年4月に京都大学工学部に入学。山西選手にとって、大学での「文」と「武」の両立は高校時代と比べてどのように変わりましたか?

「高校は時間的制約が大きかったので勉強と部活とのやりくりが大変でしたが、大学は自由度が高いので、両立しやすかったように思います。陸上部にもインカレで活躍するような先輩がいましたし、『文武』の両立は珍しいことでもなかったのかなと」

―― 京都大学といえば、個性的な学生が多いイメージがあります。

「みんな自分の好きな領域、詳しい分野を持っていて、ブッ飛んだ人が多かったですね(笑)。好きな分野に対するエネルギー量が尋常ではなかった印象があります」

―― ユニークな学生が多いなか、高校時代にインターハイで優勝するなど、輝かしい実績を持つ山西選手も注目される存在だったのでは?

「そんなことはないですよ(笑)。特別視されるようなことはなかったですし、友人や先輩もフランクに接してくれていました」

―― 大学での4年間、世界陸上とリオデジャネイロ五輪の代表の座を逃すなど、右肩上がりで成長した高校時代と比べると、足踏みしていた時期に見えますが、当時はどのように考えていましたか?

「結果が出ないというのは、結局、自分の力がないということ。だから、力をつけて強くなろうという気持ちしかなかったですね。とはいえ、京大の工学部だとそのまま大学院に進むのが"普通"。だから、競技に打ち込める大学の4年間で世界レベルに到達したいという思いはありました」

―― いつの時点で、大学以降も競歩を続けることを決めたんですか?

「大学4年になる直前の2017年3月、同年の世界陸上の出場権をかけた『全日本競歩 能美大会』で負けたんです。もし、世界陸上に出て、そこでメダルを取れれば、迷いなく競歩を続けようと思ったかもしれませんが、現実は出場すらできませんでした。とはいえ、『ここが(競歩選手として)限界かな』とも思わなかった。なので、これから競歩を続けるべきか、あるいは大学院に進むか、悩みましたね。

 まずは友人にアドバイスを求めました。その際、多かったのは『競歩を続けてほしい』という声。だけど、友人にも人生がありますし、親身になってくれるとはいえ、究極的なところ、僕の人生はあくまで他人事にならざるを得ないので、家族や高校の恩師にも相談しました。そうした人たちからのアドバイスも踏まえ、競技を続けることのリスクとリターンを真剣に考えた結果、大学卒業以降も就職して競技を続けることにしました」

――「愛知製鋼」には正社員として入社されたんですよね。

「『愛知製鋼』は、トヨタのグループ会社で、主に自動車用の鉄や鋼(はがね)を製造、販売する会社です。陸上に対して理解のある会社で、僕は早朝に自主練をして出社。その後、職場の仕事をしてから、夕方以降練習するといった形で、競歩を続けさせてもらっています」

―― 競歩の道を選び、会社員との"両立"で出場した、2019年の世界陸上ドーハ大会。優勝の瞬間は、「競歩を続けてよかった」という感慨もひとしおだったのでは?

「優勝もうれしかったですが、世界陸上の日本代表に選ばれた時がいちばん感慨深かったですね。社会人になって以降、競歩を続けさせてもらいながらも、本当に自分が日本代表になれるのか、自信が持てない時期があって。ある種のプレッシャーかもしれませんが、ずっとモヤモヤした気持ちがありました。一方で、国内で勝って、日本代表になれれば、世界で戦えるという自信もあった。だからこそ、世界陸上出場が決まった時は、ホッとしました」

―― 世界チャンピオンになったことで、周囲からの目も変わったのではないですか?

「変わったかはわかりませんが、会社の同僚や先輩、なかには役職が上の方々が、僕のレースをライブ配信で見ていただいているみたいで。『レース、見たよ!』と声をかけてもらうと、やっぱりうれしいですし、会社のサポートには本当に感謝しています」

―― そうした社内の応援が、山西選手のモチベーションになっていると。

「競歩がマイナー競技ということもあるのですが(笑)、正直、僕が競歩をしていても、会社にとって『広告塔』としての役割はそんなに大きくないと思うんです。ただ、僕の活躍で社内の雰囲気がよくなったり、社員の一体感が生まれたりといった効果が少しでもあれば、会社への貢献にもなるのかなと思っています」

―― 同世界陸上の優勝で、東京五輪の日本代表にも内定しました。

「僕にとって東京五輪は、ひとつの節目になると思っています。とはいえ、東京五輪で競歩を辞めることを決めている、というわけではなくて。世界陸上もひとつの節目でしたし、その結果五輪への出場権を獲得したわけです。だから、東京五輪に全力を注いで、それが終わった時に、自分がどう感じるかということを大切にしたいと思っています。

 今、競歩をやっていて思うのが、競技の世界はどこまでいっても終わりがないということ。五輪に出場したかとか、世界陸上に何回出場したか、何回優勝したか、連覇したかとか......。そういったものはあくまで結果で、競技を終えることに直接的にはつながらないと思うんです。それよりも、自分の人生をひとつの競技に懸けて、その道を歩んでいって、最後にその道から降りるタイミングで、満足だったと感じられるかが大切なのかなと」

―― つまり、山西選手にとっては、現役で競歩を続けるのと同じぐらい、競歩の辞め時も大事になると。

「これはいろんな考え方があると思いますが、僕の場合、競歩を続ければ続けるほど、会社での(先端技術を扱うエンジニアとしての)キャリアは削れていくと思うんです。最初の数年ぐらいは何とかなるとは思うんですが、時間が経つにつれて、競歩をしていることが社会人としてはリスクになっていくんじゃないかという気持ちがあります。

 一方、いちアスリートとして、五輪でメダルを獲ったり、世界記録を更新したり、そうした実績をひとつずつ積み上げていった先にどんな景色が見られるのか、興味があるのも事実なんです」

―― 結果を残していった先に見られる景色、ですね。

「僕の課題でもあるのですが、会社員とアスリートを両立する上で、競技人生を包括するような大きなビジョンを描く必要があると考えています。競歩を続けていった先に、自分はどう変わるのか。実績を重ねることがどんな社会的意味を持っているのか。そうしたビジョンを描けなければ、競技を続けていても、いたずらに時間を消費してしまうような気がしていて」

―― 大きなビジョンを描くことで、山西選手のこれからの競技生活がさらに濃いもの、有意義なものになっていくと。

「そうですね。もちろん、競歩で勝つための短期的な課題は設定しています。高校時代の部活と勉強に関しても同じだと思うのですが、トレーニングに関しても、あと何年でこれだけの課題をクリアして、そこに自分がどれだけ到達できたのかを考える。定めた期限に、自分の現状を照らし合わせて、理想と現実のギャップを明確にする。それを繰り返していくしかないのかなと思います。

 そうしたトレーニングを繰り返していった先に、東京五輪がある。特に今回の大会は、コロナ禍という困難な状況で行なわれます。そこで僕が競歩をする姿を見せることで、先ほど言った大きなビジョンではありませんが、勝ち負けを越えた価値を表現したい。東京五輪は一発勝負のレースですし、一度きりの大舞台で自分を表現できることは、純粋に楽しみですね」

―― 最後に、「文武両道」を目指す、実践する学生や子どもたちに何を伝えたいですか。

「正直なところ、『文武両道』を貫くことが、絶対的な正解かどうかはわかりません。ただ、それでも両立したり、何かに打ち込んだりしている人は、『興味があるものに対して多大なエネルギーを注げる人』と表現することはできると思います。

 勉強ができる人が偉いとも、スポーツが得意な人が優れているとも思いませんが、いろんな物事に興味が持てるかどうかが大切で、物事に対してちょっとでも理解しようという意識を持てるだけで、おのずと知識は深まりますし、自分の表現の幅も広がる。それが、人生で直面する困難に打ち勝つためのパワーになるのではないでしょうか」

Profile
山西利和(やまにし・としかず)
1996年2月15日、京都府生まれ。愛知製鋼所属。20km競歩の東京五輪日本代表。高校生の時に競歩をはじめる。京都市立堀川高校を卒業後、現役で京都大工学部に進学。大学卒業後は、愛知製鋼に就職し、正社員として働きながら、競技を続けている。2019年の世界陸上ドーハ大会、20km競歩で優勝し、東京五輪日本代表に内定。同種目で日本人史上初となる金メダル獲得をめざす。