「なんか俺、続けられないかも……」、膝の故障でぶつかった冬場の挫折 陸上の布勢スプリントが6日、鳥取・ヤマタスポーツパーク陸上競技場で行われ、男子100メートル決勝では山縣亮太(セイコー)が日本新記録9秒95で優勝した。ルール上限いっぱいの…
「なんか俺、続けられないかも……」、膝の故障でぶつかった冬場の挫折
陸上の布勢スプリントが6日、鳥取・ヤマタスポーツパーク陸上競技場で行われ、男子100メートル決勝では山縣亮太(セイコー)が日本新記録9秒95で優勝した。ルール上限いっぱいの追い風2.0メートルで日本人4人目の9秒台。いつ出してもおかしくないと言われた28歳が「10年に一度の風」を手繰り寄せた道のりには、諦めずに続けた愚直な努力があった。(文=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)
山縣が日本人の誰も感じたことのない領域を体感した。自慢のスタートからスムーズに加速。中盤までペースを乱さず、スピードを保ったまま隣のレーンで食い下がる多田を振り切った。
速報値は9秒97。どよめきが起きた。自己ベスト10秒00を出したのは2017年9月と18年8月。長い間、0秒01を縮められなかった。「公認(記録)であってくれ……」。あとは風速。参考記録にならないことを祈った。とてつもなく長く感じさせた数十秒。会場全体が固唾をのんで静まり返った。
「9.95 +2.0」
公認ギリギリの追い風2.0メートル。サニブラウン・ハキームを0秒02上回る日本新だ。コロナ禍で関係者、保護者のみの人数少ないスタンドが爆発的に沸いた。
「9秒台は長年の夢だった。97でも嬉しかったけど、まさか日本記録の95が公認で出たと思わなくて2倍嬉しいですね。最後に足が回転に追いつかない感覚。10秒00は最後に追いつく感じがあったけど、今日はフワフワした。このスピード感に体が慣れていないことだと思う。飛ぼうという意識はないけど、良い時は飛ぶんだなと思います」
自慢のスタートを武器に、日本短距離界を盛り上げてきた28歳。9秒台はいつ出てもおかしくないと期待されたものの、近年は苦難の連続だった。
2019年6月の日本選手権直前に肺気胸を発症し、出場を取りやめた。秋の世界陸上に出られず、同11月には右足首靱帯も負傷した。保存療法を選択し、回復したところで20年にも右膝蓋腱炎を抱えた。10月の日本選手権。桐生祥秀(日本生命)が優勝した一方、レーンに立つことすらできなかった。
最もつらかった時間とは。「今年の冬ですね」。度重なる怪我の真っ最中ではなく、意外にも回復に向かった時だった。
「それまでの肉離れとかは治る感じがあったけど、膝は治っても同じ動きをしたらまたやってしまう。完治しないので、動きから変えないといけない。大改革が必要だった。ちょっと膝が痛い時に『なんか俺、続けられないかも……』という気持ちがあった」
体が動かなくても頭をフル回転「怪我は走りの課題を突きつけてくれる」
広島の名門進学校、修道中・高を経て慶大に進学した異色のスプリンター。心は折れかけたが、頭を使うことだけはやめなかった。「怪我は走りの課題を突きつけてくれるもの。しっかり克服できれば良い走りができる」。学業で得た“学び”を無駄にせず、PDCAサイクルを突き詰める力を競技力向上にも生かしてきた。
大学時代からコーチをつけず、一人で試行錯誤する様は「孤高」と称された。しかし、2月から母校・慶大でコーチを務める高野大樹氏に師事。授かったのは客観的な視点だった。股関節など体の幹となる部分を安定させることで、膝、足首のブレを減らした。
「膝に負担をかけない補強メニューを教えてもらった。頭の中では動きを変えないといけないとなんとなく思っていても、どう変えていくのか練習メニューの引き出しがなかった。高野さんは課題、僕の言葉を理解してメニューを出してくれる」
そんな姿を見守ってきた高野コーチは、28歳の変化を明かす。アスリートとして、人としての魅力も付け加えた。
「課題を聞いてそれについてどう取り組むか一緒に考えた。怪我なく練習できた成果。悩まされた怪我がなくなって、痛くなりそうな傾向を自分で察知して、『このエクササイズをやれば負担がなくなる』とよく理解したのが大きな変化だと思います。
山縣の中で、セルフコーチングのスタイルは変えていない。その中でコミュニケーションをとるようになった。間違っていることがあったら教えてほしい、と。2月から練習を見ていて、学生との練習で笑顔を見せていた。山縣の中で仲間のいる感覚があったと思う。
長所は探求心、準備力。そこは大きい。負けず嫌いだし、走り出してうまくいかなければ、途中から流してもう一回仕切り直す。普通なら(中途半端のまま)やめてしまう。それが山縣の強さだと思います。練習をコツコツやってきた。シンプルな作業。本当にそれだけです」
特別な魔法を使ったわけではない。単調な練習を愚直にやり通してきた。4月末の織田記念国際は雨と寒さの悪条件の中、10秒14(追い風0.1メートル)で優勝。帰ってきた姿は復活を印象づけた。
天候に恵まれないレースは数知れず、「運」だけで打ち立てた記録ではない
今季、自身のレースでは雨、風ともに恵まれず。過去を振り返ってもそんな日が多かった。走りもいい、状態もいい。あとは風がよければ9秒台に……。安定して成績を残しながら何度も見放され、「風に恵まれない男」と表現されることまであったが、諦めないひたむきな姿に天もようやく応えてくれた。「10年に一度の風が吹きました。これまで行いが悪かったんですかね」。そう笑ってみせる横顔が、決して「運」だけで打ち立てた記録じゃないことを物語る。
でも、まだ終わったわけではない。9秒95で歴史を塗り替えても東京五輪に出られない可能性だってある。3枠を争う代表争いの決着は24日の日本選手権(大阪)。山縣は3位以内に入らなければならない。
再び歴史が動いた今、ライバルたちの目はさらに強さを増しただろう。桐生、小池祐貴、多田修平、ケンブリッジ飛鳥、そして海の向こうからサニブラウンがやって来る。
「簡単なレースにはならない。もっと走りの精度を上げていきたい。気を引き締めて絶対に獲りにいく。勝負はオリンピック。そこで勝負したい」
日本短距離界の中心に立った安定感抜群の男。牙城は簡単に崩れそうにない。(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)