困惑----。 それが、全仏オープンのプレスルームに漂っていた感情の主成分だったように思う。 大会開幕を4日前に控えた夜、大坂なおみが「今大会では、会見(プレス)は一切やりません」の声明文を、自らのソーシャルメディアに投稿。その翌朝、プレ…

 困惑----。

 それが、全仏オープンのプレスルームに漂っていた感情の主成分だったように思う。

 大会開幕を4日前に控えた夜、大坂なおみが「今大会では、会見(プレス)は一切やりません」の声明文を、自らのソーシャルメディアに投稿。その翌朝、プレスルームの話題はもっぱら、"大坂発言"一色だったとも言える。



わずか1試合のみで全仏オープンを去った大坂なおみ

 彼女の発言の真意は何か? その背景にどのような動きがあったのか?

 それらを知るべく、関係者や大会のメディア担当者に尋ねても、返ってくるのは「我々もなおみの投稿を見て初めて、彼女が会見拒否することを知った」との言葉。大会やツアー関係者たちに対しても、事前通達はなかったようだ。

 会見拒否がなぜ、そこまで大きな話題になったかと言えば、そこにはテニス界の慣例と規約がある。

 グランドスラムやATPおよびWTAのツアー大会では、選手の会見は義務づけられており、正当とみなされる理由がないかぎり、拒否すれば罰金が科される。それはロジャー・フェデラー(スイス)やセリーナ・ウィリアムズ(アメリカ)ら、テニス界の名声と人気を長く牽引してきた選手とて例外ではない。

 だから、今や世界で最も知名度のある女性アスリートといえど......いや、それほどの影響力のある選手だからこそ、全仏オープンやテニス界は大坂に対し厳罰を処すだろうというのが、地元フランス報道陣に共通した見解だった。

「下手すれば、失格処分になるかもしれない」

 そのような可能性も話題にのぼった。

 また、それら意見交換のなかで興味深い視座を与えてくれたのが、カナダ人スポーツジャーナリストの、ステファニー・マイルズ氏だった。

 テニスの会見は通常、英語と母国語の両方で行なわれる。ただ、大坂の場合は日本語の質問に対しても英語で応じるため、日本語を解さないマイルズ氏も大坂の返答はわかっていた。

 それら大坂の会見を長く聞くなかで、彼女は「日本人記者の質問に答える時と、欧米メディアへの対応では、ナオミはまるで別人のようだ」と感じたという。

「日本の質問に応じている時の彼女のほうが、私は個人的に好き。テニスの技術や戦術、心理面などについてしっかり答え、プロフェッショナルだと感じるから。

 対して、欧米メディアに対応している時のナオミは、記者たちが求める彼女を演じているように見える。優等生でユーモアがあって、時にちょっと皮肉屋で個性的で......そんな感じの大坂像を」

 なるほど、そういう見方もあるのだと、視野が広がったように感じたと同時に、もし大坂がそのように自分を使い分けているのだとすれば、それは相当にストレスだろうなとも思った。

 大坂の最初の投稿から日が明けると、会場ではトップ選手たちが"プレトーナメント会見"を行なった。ここでも話題の中心は、やはり「なおみの声明をどう思うか?」だ。

 そのテーマについて、ほとんどの選手は「彼女の気持ちはわかる」と一定の理解を示しつつ、「だが、会見は我々の仕事の一部」と回答する。ラファエル・ナダル(スペイン)のように「世界中を飛びまわり記事を書いてくれる人たちがいなければ、我々アスリートは今日の立場ではいられなかった」と、会見やインタビューの重要性に深い理解を示す選手もいた。

 ちなみにこの"プレトーナメント会見"も、記者からの要望があれば応じなくてはならないと、大会規約に記されている。

 かくしてプレスルームでは、大坂の話題が席捲した。ただ、フランス国内やフランスのテニスファンの間では、大坂の会見拒否はそこまで大きなトピックではなかったという。

 フランスのスポーツ専門紙『レキップ』の報道も、基本的には事実関係を客観的に告げる、いわゆる"ストレートニュース"にとどまっていた。

 大坂が「事態の収拾をはかる最良の方法」として、今大会からの棄権を自身のソーシャルメディアで表明したのが、現地時間の5月31日夜9時ごろのこと。

『レキップ』紙はそのニュースを6面に急遽差し込み、対向ページには3年前に作成した「テニス選手の会見とメンタリティ」がテーマの記事を編成して再掲載した。ちなみに1面は、初戦で快勝したフェデラー。また、大坂が投稿した日のうちに、電子版にストレートニュースを掲載した。

 翌6月1日の朝、『レキップ』紙チーフエディターのルフェーブル氏は、電子版の大坂のニュースに800を超えるコメントがついたのを見て、驚いたという。

「通常、テニスのニュースにここまで多くのコメントがつくことはありません。フェデラー対ナダルなどの試合があると、両選手の熱狂的なファンが書き込みますが、そうでもないかぎりとても珍しいことです」

 それらコメントの内容も、多岐にわたっていたという。

 記者会見の在り方や存在意義を問うもの、そして、大坂の一連の行動に関する賛否......。

 ただ、それら多様な書き込みに通底するのが、アスリートの鬱や精神状態に対する人々の深い関心だった。コメントの数や内容からしても、日ごろテニスをそこまで見ていない人たちもこのテーマについて発言していると、ルフェーブル氏は感じたという。

「テニスを超えて、あらゆるスポーツや、スポーツをとりまく社会全体の出来事として、人々は鬱や情緒不安定について関心を抱いているのだと感じました」

 それはもしかしたら、コロナ禍により人々や社会全体が閉塞感に包まれていることも無関係ではないのかも......。そんな私見も、ルフェーブル氏は控え目に口にした。

 いずれにしても、これだけ多くの人々が注目するこのテーマをしっかり取り上げるべきだと、同紙のスタッフは判断する。そこで、大坂の棄権発表の翌日にはFFT(フランステニス連盟)やWTAに、選手の精神面をケアする体制がどの程度整っているのか、そして今後いかに改善していくのかなどの取材に着手した。また、ゴルフなどテニスと似た競技性を持つ競技団体に対しても、同様のアプローチを始めたという。それら特集記事は近いうちに、同紙に掲載されるはずだ。

 困惑を呼ぶ大坂の意思表明から始まった今回の一連の騒動は、大会やファン、メディア、そして当の大坂の誰もが望まぬ形で終焉を迎え、あとには悲しみが残った。

 ただ、彼女の行動と告白が社会に投じた一石は、人々の感情を揺さぶりながら波紋を広げ、ひとつの潮流を生み出そうとしている。