米国プロレス団体AEW参戦を経て日本に戻ってきた竹下幸之介。そして16年ぶりの開催となったタッグリーグ戦「Ultimate Tag League 2021」にはThe37KAMIINAの勝俣瞬馬と組んで出場。最終戦5.27新宿FACE大会で…

米国プロレス団体AEW参戦を経て日本に戻ってきた竹下幸之介。そして16年ぶりの開催となったタッグリーグ戦「Ultimate Tag League 2021」にはThe37KAMIINAの勝俣瞬馬と組んで出場。最終戦5.27新宿FACE大会ではシングル2連敗中、現KO-D無差別級王者・秋山準と久しぶりに肌を合わせる。AEWに参戦し経験値を上げ、精神的にも強くなった竹下に、今の心境を聞いた。(前編)

--前回お話を伺ったのが、昨年末 秋山準選手とのD王GP優勝決定戦前でした。あの試合、竹下選手は左腕の筋断裂を二箇所していた状況での戦いでしたね。
竹下幸之介(以下 竹下):(少し考えて…)左腕の状態が良くなかったけど、リーグ戦を勝ち上がったからには「やるしかない」と思っていました。

--秋山選手は、序盤から竹下選手の負傷箇所である左腕を攻めてきましたね。秋山選手とのシングル初対決は11.3大田区体育館。そしてD王GP優勝決定戦が12.27後楽園で2回目。初戦から短い期間での再戦でしたね。
竹下:内容的には同じ負けではなかった。1回目の大田区は完全に負けた、完敗でしたね。ただ2回目の時は、紙一重の負けでした。もしあの戦いがタイトル戦だったら結果が変わったかもしれない…。

--竹下選手は秋山選手のアームロックでギブアップしていなかった。
竹下:レフェリーストップでした。2連敗は有り得ないと思っていたし、D王GPの優勝が掛かった試合でもある。優勝し2月のカルッツかわさき大会のメインも視野に入れていました。自分の持っているものを全てかけて戦いました。結果、秋山選手に敗れて全てを失いましたね。
あの時点では正直やることが無くなりました。だからAEWに行ったんですけど。状況が変わらない時期は、自分でやることを見つけなければいけないですから。

--AEW出場は、竹下選手が希望されたのですか?
竹下:僕が勝手に動いたことです。「(DDTが)AEWに交渉して」ではないですね。

--その行動力に驚かされます。ところでAEWでは何試合戦ったのでしょうか。
竹下:シングルマッチ1試合とタッグマッチ2試合です。いつも通りの「僕の戦い」をしました。その中で最初のシングルマッチを高く評価して頂きました。評価して頂けたことで「自分のプロレスは間違っていなかった」と自信がつきました。
プロレスは三者三様です。ただ音楽と同じように、「ロック」や「ジャズ」みたいにジャンル分けができます。僕はアメリカナイズされたプロレスが好きで、それを9年くらいやってきたつもりです。DDTのスタイルもアメリカのプロレスに近いところがあります。
先輩に教えて頂いたことや独学で身につけたものを含め、それがAEWで評価されたのは嬉しかったし、やってきたことは間違ってなかったですね。

--試合のリズムや環境の変化などで海外での試合を「やり難い」という日本人選手もいますが、竹下選手はいかがでしたか?
竹下:やりにくさは感じませんでした。AEWでは、DDTのリングと同じように戦いました。
AEWのリングで戦える自信があったから向こうに行ったんです。「一か八か」で行ったわけではない。「イケる」という確信の下で行きました。

--どうして、このタイミングでAEWに行ったのでしょうか。
竹下:去年コロナで試合中止や無観客になりました。当初、コロナの時期が過ぎるまで待とうと思いました。人の意識がプロレスに来ないだろうと…。僕はサブカルチャーが好きですが、それに目が行かなかった。ということはプロレスファンもプロレスどころではない。
もちろん、そういった状況の中で試合があれば全力で戦います。ただタイトルマッチに積極的に絡むような動きはせず、「力を蓄える時期にしよう」と考え、色々なスタイルや技を試してみようと思いました。だから大人しくしてました(笑)。

--たしかに積極的にベルトを獲得する姿は見えませんでした。
竹下:去年は技を試したり研究の時期に費やしました。ただコロナがここまで長期化するとは思わなかった。昨年末、秋山さんに2連敗してDDTのビックマッチ2021年2月カルッツかわさき大会でタイトル戦に絡むことが出来なかった。
だから自分で動くしかないと思いました。AEWに僕個人で交渉したのは、12.27後楽園で秋山さんに負けた翌日です。「じっとしていても何もならないな」と…。
ただコロナの状況なので、連絡してから少し時間が経って4月になりました。早めに計画して自分で行動しないと何にも起きないなと思いました。

--僕は2月のカルッツかわさき大会のあと、AEWとやりとりがあったと思っていました。
竹下:もっと早かったですね。もし行動するのがカルッツかわさき大会の後だったら、AEWに参戦するのは夏になっていたかもしれない。しかし夏になるとKING OF DDTトーナメントがあり、結果的に(AEWに)行けなかったです。
でも4月にAEW参戦、5月にタッグトーナメント、6月「CyberFight Festival 2021」がありKING OF DDTトーナメントも始まる。僕の中で自分が上がっていく姿が見えました。
そして8.21富士通スタジアム川崎でビックマッチ「WRESTLE PETER PAN 2021」が発表された。そこを目標のゴールにしようと思って行動しています。

--そう考えると、4月にAEWに参戦出来て良かったですね。ちょっと時間を戻して、3.12新宿「ALL OUT解散興行『ALL OUT FINAL FIGHT』」がありました。長い間所属していたユニットの解散興行。この大会についてお話をお聞かせください。
竹下:寂しかったですね。やっぱり思い出があるし。以前、アントーニオ本多さんやトランザム☆ヒロシさんと一緒にハッピーモーテルというユニットを組んでいました。その解散の時も悲しかった思い出があるんですが、ハッピーモーテルは友達同士で偶発的にできたもの。たまたま地方でタッグ組んで、チーム名を付けた「ふわっ」としたユニットでした。
でも「ALL OUT」は彰人さんと仲が良かったわけでなく、キチンとしたプロレスのユニットとして一から作り上げ4年間継続しました。自分たちで作り上げて育ててきたチームです。
僕は「ALL OUT」の遺した功績は大きいと思います。DDTの6人タッグの新しいスタイルを作れたと思う。それにDDTのユニットの中で様々な人たちと抗争してきたチームだと思います。
DDT内だけではなく#STRONGHEARTSやセンダイガールズとか。そういう意味ではALL OUTだから出来たことが多かったですし、自分のレベルアップにもつながりました。
チリ人のディエゴが参加したり海外からの選手も受け入れた。実力が拮抗している選手が集まるよりは、これから頑張る選手たちを指導するチーム。
部活に例えるなら僕や彰人さんが3年生で、勝俣瞬馬や飯野雄貴ら新入生が加入して成長していく…そんな感覚でしたね。

--僕はALL OUTで勝俣選手が実力をつけたように見えます。
竹下:勝俣はALL OUTに約2年間在籍していました。最初の1年は、作戦通りに動いてくれず噛み合わないことが多かった。試合をするたびに僕の求めることも多くなり、勝俣も大変だったと思います。でも、彼自身が何かキッカケを掴み2年目に入って急成長しましたね。

<後編へ続く>

<インフォメーション>

5.27新宿FACEにて「Ultimate Tag League 2021 the FINAL!!」が行われます。16年ぶりの開催、果たして優勝するのは、どのチームなのか!
詳細はDDTプロレスリング公式サイトをご覧ください。→https://www.ddtpro.com/schedules/15526
また試合は動画配信サービスWRESTLE UNIVERSEで生配信されます。→https://www.ddtpro.com/universe

竹下幸之介 Twitter→https://twitter.com/Takesoup
The37KAMIINA Twitter→https://twitter.com/DDT_SaunaClub

取材・文/大楽 聡詞
写真提供/DDTプロレスリング