安ど感か、充足感か。日本ラグビーの宝、青色ジャージの福岡堅樹はノーサイドのホイッスルが鳴ると両手でガッツポーズをつくり、燃え尽きたかのようにしばし、たたずんでいた。これで引退。「ほんとうに、ほんとうによかったなって」。28歳はそう、穏やか…

 安ど感か、充足感か。日本ラグビーの宝、青色ジャージの福岡堅樹はノーサイドのホイッスルが鳴ると両手でガッツポーズをつくり、燃え尽きたかのようにしばし、たたずんでいた。これで引退。「ほんとうに、ほんとうによかったなって」。28歳はそう、穏やかな表情で漏らした。言葉に実感がこもる。



自らもトライをあげ、パナソニックの勝利に貢献した福岡堅樹

「ああ自分はもう、ラグビーをすることはないんだなと、じわじわ感じる部分もありました。ラグビーでは自分のやりたいことはすべてやり切れました。何ひとつ悔いはない。感謝しかありません」

 晴天下、5月23日の東京・秩父宮ラグビー場で行なわれたラグビーの日本選手権兼トップリーグ決勝。試合前の国歌斉唱で、横一列に並んだパナソニック ワイルドナイツの選手たちは互いに肩を組んだ。珍しい。新型コロナの影響で歌を歌えないため、急きょ、そうしたのだった。

「ワンチーム」の象徴の仕草に見えた。士気を高めるための要素のひとつが、これで福岡が引退するということだった。気を吐いたSO(スタンドオフ)の松田力也は「絶対、優勝して、ケンキさん(福岡)を送り出そうとみんなで思っていました」と打ち明けた。

 ラグビー理解度が高く、日本代表勢を多数抱えるチームが一つになれば強いに決まっている。激しいディフェンスで、サントリー サンゴリアスの攻めを封じ込んでいった。この日が日本での最後の試合となるニュージーランド代表の名手、SOボーデン・バレットにほとんど仕事をさせなかった。

 WTB(ウイング)福岡はこの日も光り輝いた。前半30分。パナソニックが敵ゴール前に攻め込む。ラックから左へ。SO松田が味方2人を間においた左ライン際の福岡と目があった。
 
 松田の述懐。「ケンキさんが僕を見てくれていたので、あとは僕がいいパスを放れば、ケンキさんが絶対、トライをとってくれると思ったんです。信頼関係はずっと、ある。それを信じて」

 福岡も応える。「そう、コミュニケーションがとれている。完全に目が合って、あっ、これは絶対ほうってくれるという確信はありました。スペースを十分に使える状況だった。スピードに乗ったままボールを受け取ることができたので、いつもの形でトライを取り切るだけでした」

 SO松田からの鋭いパスをもらったWTB福岡が猛ダッシュする。トイメンの相手を右ハンドオフで外し、必死でバックアップしてきたSOバレットを振り切り、左隅ぎりぎりにダイブした。左手一本でボールを押さえた。

 TMO(ビデオ判定)に持ち込まれたが、トライが認められた。有終のトライ。難しい位置のゴールも決まり、パナソニックが20-0にリードをひろげた。

 後半は、サントリーに追い上げられた。それでも、27歳のSO松田と途中交代の26歳SO山沢拓也、25歳のFB(フルバック)野口竜司、そして両チーム最年少の21歳、FW福井翔大の若き力ががんばった。もちろん、ベテランのLO(ロック)ヒーナンダニエル、HO(フッカー)堀江翔太らもいぶし銀の光を放った。

 パナソニックの名将、ロビー・ディーンズ監督は言った。

「最後を飾るにふさわしい試合だった。ケンキのレガシーはチームと共に、日本ラグビーと共にあり続ける」

 その福岡だ。プレーはもちろん、人間的にも成長した。ランだけではない。ボールを持たないときのブレイクダウン(タックル後のボール争奪戦)、鋭いタックル、からだを張るキャッチング...。かつては孤高のイメージが強かったが、いつのまにか献身的なプレーも光るチームプレーヤーになっていた。

 結局、パナソニックが31-26でサントリーを降し、2015年度以来の日本一となった。16年春にチームとプロ契約した福岡にとっては、初めての日本一となった。

 福岡が言う。「最後に(日本一のタイトルを)勝ち取ることができて、ラグビーでは後悔なく、次の道に進めると思います」

 福岡のモットーが、故スティーブ・ジョブズ氏の『Stay hungry, Stay foolish(ハングリーであれ、愚直であれ)』である。かつて、こう説明してくれたことがある。「いつも向上心と謙虚な気持ちを持ち、新鮮な心持ちで何事にも挑戦していくという意味です」と。

 そのモットー通り、福岡は自身の人生プランを愚直にまい進してきた。天賦の才に加え、努力を継続する能力がある。医師家系ということもあって、医学の道に進むのが夢だった。大学の医学部を受験するも一度は失敗したが、それでも夢をあきらめなかった。

 ラグビー選手としては、2015年、19年とW杯(ワールドカップ)に出場した。日本で行なわれた19年W杯では値千金の4トライを挙げた。日本代表初のベスト8進出に貢献した。日本ラグビーの新しい歴史を創った。そういえば、福岡は日本代表の合宿でも勉強は欠かさなかった。その意志の強さ。

 福岡は再び、ラグビーの傍ら、受験勉強に励み、今春、順天堂大学医学部に入学した。「文武両道」を実践してきた。東京のキャンパスと群馬の練習場を行き来する生活は「かなりハードだった」と漏らした。

「とくにコンディションを調整するのが難しかった。けがをしないよう、限られた時間をいかに有効に使うか。やり切ることができました」

 傍目には、ラグビー選手としてピークに見える。ここで引退とは。オンライン会見で、つい、「本当にラグビーを辞めるの?」と聞いてしまった。福岡は笑った。

「基本的には...。はい」

 チームメートもまた、別れを惜しむ。「お疲れ様でした」と、HO坂手淳史主将は言った。「僕がケガした時は手術をしてほしいので、(医者の)スキルをアップしてほしい」

 別れの言葉を聞かれるとPR(プロップ)の稲垣啓太は「サヨナラっていうぐらいですね」とボソッと漏らし、記者を笑わせた。

「最高の形で彼を送り出すことができてよかったなと思います。彼に治療してもらう日が来るかもしれません。そこまで僕はラグビーを続けたいですね」

 堀江は、こうだ。「いつかチームドクターになってくれたらいいな。誰よりも速く、ケガした選手のところに駆けつけてくれるでしょう。ははは」

 さて、福岡はどんな医者になりたいのか。そう聞かれると、医学生は「患者さんに寄り添える医者になりたい」と言った。

「これから学んでいく中で、けがを治す、病気を治すことだけにフォーカスするのではなく、いかに患者の人生を考えた治療法が選択できるのか、心の部分だったり、診断の精度だったり、人間が基本になっていくので、そこも高めていきたい」

 実は福岡自身、高校時代、ひざのじん帯を断裂、損傷するなど、幾多のけがに苦しんできた。その経験はきっと、医者としてのアドバンテージとなるだろう。「それを生かして、目の前の道を一歩一歩、歩んでいきたい」と言葉に力をこめた。

 涙はない。悔いなき24年間のラグビー人生。福岡は何度も「感謝」を口にした。

「ラグビーにはたくさん、お世話になってきました。(パナソニック)ワイルドナイツには感謝してもしきれないところがある。ファンの方にも。たくさんの応援があったからこそ、僕自身、ポジティブに自分の夢に向かって努力を続けてこられました」

 ひと呼吸おいて、こう言った。

「みなさん、ありがとうございました」

 さあ、第二の人生へ。切なさは残るが、日本ラグビーに貢献した稀代のウイングの新たな旅発ちに乾杯しよう。

            (了)