セブンズ(7人制ラグビー)女子日本代表の中村知春には、2つのターニングポイントがある。ひとつは法政大学4年時にバスケットボールからラグビーに転向したことだ。そしてもうひとつは、今の中村を形成するトリガーになった大会に出場したことだ。「20…

 セブンズ(7人制ラグビー)女子日本代表の中村知春には、2つのターニングポイントがある。ひとつは法政大学4年時にバスケットボールからラグビーに転向したことだ。そしてもうひとつは、今の中村を形成するトリガーになった大会に出場したことだ。

「2016年のリオ五輪ですね」



セブンズ女子日本代表で主将を務める中村知春

 セブンズが初めて五輪種目となったのは、2016年のリオデジャネイロ大会である。世界的な大会としては女子ワールドカップセブンズが2009年から始まっていたが、五輪での採用が決まると、一気に注目度が高まった。

「当時は各国がどうしたらメダルを獲れるのだろうと手探りの状態でした。そのなかで、私たちは『絶対に金メダルを獲るんだ』と意気込んでいましたし、死に物狂いになって250日もの合宿を重ねて五輪に臨んだんです」

 しかし、現実は甘くなかった。

 予選プール初戦でカナダに0対45と大敗を喫すると、続くイギリス戦は0対40、予選最終戦のブラジル戦も10対26で敗れて3連敗。メダルの夢は潰えた。

 その後9〜12位決定戦に回り、初戦のケニア戦は24対0で勝利したが、9位決定戦で再びブラジルと対戦し5対33で敗れた。日本の特長であるスピードやスキルが世界には通用せず、全12チーム中10位に終わった。

「大きな挫折でした」

 中村は噛みしめるようにそう言った。

「勝てなかったのもありますが、五輪で女子ラグビーを応援してもらえる雰囲気にならなかったですし、ラグビーという本質の部分で興味を持っていただくこともできなかった。大会前は女子ラグビーというだけで取り上げられ、美人アスリートとして注目されたりして......踊らされている感じはあったのですが、自分たちはそこに気づいていなかった。世界の実力をわかっていなかったんです」

 それに対し、セブンズ男子日本代表はリオ五輪で4位に入賞し、メダルこそ逃したがその戦いは大きな注目を集めた。

 その後、中村はさらに大きな衝撃を受けることになる。

 2019年、ラグビーワールドカップが日本で開催された。日本は予選プールでロシア、アイルランド、サモア、スコットランドを破り4戦全勝で準々決勝に進出。

 準々決勝でこの大会で優勝することになる南アフリカに3対26で敗れたが、日本代表の気迫あふれる戦いは大きな盛り上がりを見せ、日本中が熱狂に包まれた。

「すごくうらやましかったですね。リオ五輪で私たちがメダルを獲っていれば、ラグビーブームをもう少し早く持ってこられた可能性もあったと思うんです。でも、できなかった......。日本代表が世界で活躍することが、その競技の価値を上げるための一番の近道であることを示して頂いたので、人生をかけてセブンズをやらないといけないなって思いました」

 日本ラグビーはこのワールドカップでの盛り上がりを国内リーグにつなげ、ラグビー文化は着々と浸透しつつある。この成功には過去の教訓が生かされている。

 2015年にイングランドで開催されたラグビーワールドカップで、日本は強豪・南アフリカを破る「世紀の番狂わせ」を演じ、国内のラグビー熱に火をつけた。だが大会が終わりしばらくすると、その熱をラグビー文化の定着にうまく生かすことができなかった。

「2015年のラグビー人気は一過性のブームに終わってしまいました。その後、日本でのワールドカップの盛り上がりを見て、あらためて思ったのはブームを一過性で終わらせないためには、ラグビーの本質を伝え、勝ち続けないといけない。そのためにも女子ラグビーの価値を高めることがキーワードなのかなと思いました」

 そう語る中村は、女子ラグビーの価値向上のために動いた。2019年12月にクラブチーム「ナナイロプリズム福岡」を立ち上げたのである。

「いま33歳ですが、これからはラグビーにどう恩返ししていくのかを考えました。その答えが日本代表として五輪でメダルを獲得することだったんです。そのためには女子のラグビー選手を増やし、試合に出る機会をつくらないといけない。上を目指していけるような環境が必要だと思い、チームを立ち上げたんです」

 リオで勝てなかったのは、フィジカルやスキルの差もあったが、国内の女子ラグビー選手数の少なさ、経験不足が如実に出たことも大きい。日本の女子ラグビーの環境はまだまだで、中村いわく「男子に混じってプレーしている女子選手が多い」という状況だ。そのため、途中でやめていくことも多い。

「そういう選手たちの受け皿になれればと思っています」

 それにしても、なぜ福岡だったのか。中村は生まれも育ちも神奈川だ。

「神奈川にも女子選手はいるんですけど、福岡のほうが多く、しかも日本代表の選手がいるのがひとつの理由です。もともと福岡は高校でラグビーの授業があるほど盛んですし、九州では宮崎にも選手が多いんです。その子たちが本気でラグビーをやりたいと思った時、福岡ならわざわざ関東に行く必要がなくなりますし、続けることへのハードルも低くなります」

 中村はゼネラルマネージャー(GM)兼選手という難しい役割を果たしている。「思っていた10倍は大変です」と苦笑するように、選手の契約、スカウティング、スタッフの整備、スポンサーとの交渉など、仕事は多岐にわたる。

「昨年は立ち上げてすぐにコロナ禍に見舞われて......それでも今年、なんとか2年目を迎えることができました。GMをしてあらためて思ったのは、今までいろんなチームを渡り歩いてきましたが、見えてないものがたくさんあったということです。とくに、いろんな人に感謝を伝えることを忘れていたなと、今はそこをすごく大事にしています」

 チームのヘッドコーチには、リオ五輪の男子セブンズ日本代表で主将を務めた桑水流裕策(くわずる・ゆうさく)を招聘した。中村自身もコーチライセンスを持っているが、あえて選手として経験と実績のある桑水流にお願いしたところに、チームの本気度が伝わってくる。

 ナナイロプリズム福岡はラグビーをする環境が整っているが、とりわけ充実しているのがメディカルスタッフだ。どのチームもチームドクターとして最低ひとりはいるが、ナナイロプリズム福岡はチームドクター以外にヒザ、関節、肩、首、脳外科など、計13名のメディカルスタッフが名を連ねるなど、まるで総合病院のようだ。

「うちは部位ごとにドクターがいるのがウリなんです。女の子がラグビーをする時に障壁となるのは、まずケガです。そこの不安を取り除いてあげたかった。実際、女子がラグビーを続けることって、男子よりもハードルが高いんです。ケガが怖いから、親が心配するから、ラグビーではメシが食べられないとか......そうしたハードルを少しでも下げてあげることが、次の世代のためにできることなかと思っています」

 選手としてプレーし、GMとしてさまざまな仕事をこなし、チームのために奔走する。中村をそこまで駆り立てるものは何なのだろうか。

「ラグビーが好きだからです。ラグビーのよさをわかってもらいたいというとおこがましいですけど、この競技は自分のすべてをさらけ出さないといけないスポーツなんです。そうした教育的価値も伝えていきたいですし、単純にもっとラグビーの価値を上げたいんです。選手はプレーするだけでなく、資格取得や社会経験を積むなど"デュアルキャリア"というのをチームで掲げていますけど、五輪でメダルを獲るのと同じ熱量で追求できるものとして、ナナイロプリズム福岡をひとつのロールモデルにしていきたいですね」

 日本代表は「東京五輪で今度こそメダルを」との思いで、ハードな練習を続けている。ただこのご時世ゆえ、気持ち的にツラくなる時があるという。

「東京五輪が1年延長され、モチベーションを維持するのが難しかったのですが、今は開催についていろんな意見が出るようになって......五輪ありきで物事が進んでしまう状況を見ると、世の中に対して申し訳ないと思う反面、私たちは世界と戦いたいだけなのにと思うことはあります」

 五輪開催をめぐってのさまざまな声に複雑な表情を見せる中村だが、ひとりのラグビープレーヤーとしてリオ五輪で果たせなかったことを実現したいという思いが強い。あの悔しさから5年、メダル獲得の道は見えているのだろうか。

「この1年間、世界大会がストップしたので、一発勝負になる要素が高いと思います。世界との差があると思うけど、チームワークで乗り越え、一番キツい2日目の最後の試合で最高のパフォーマンスを出せたらメダルに届くと思います」

 セブンズの試合は14分。7分ハーフで1日2、3試合をこなす。試合を重ねるごとに疲労は増すが、メダル獲得のためには予選プール3試合で上位に入り、決勝ラウンドで3連勝、もしくはブロンズメダルマッチに勝たないといけない。想像以上に過酷な戦いになる。

「そのために、リオ五輪からここまでやってきたので」

 中村はキッパリとそう言った。

 33歳で迎える東京五輪は、もしかすると選手としてラストの大会になるかもしれない。

「節目になると思いますが、『30代ですごいね』だけではなく、全世界の30代に希望を与えられるようになりたいですね」

 中村はラグビーにすべてを捧げてきた。中村ほど女子ラグビーとセブンズの価値を高めたいと日々奔走している選手はいない。願いがすべて叶うわけではないかもしれないが、そのしっぽだけはつかんでほしいと思う。

プロフィール
中村知春(なかむら・ちはる)/1988年4月25日、神奈川県生まれ。小学4年生でバスケットボールを始め、法政大在学中の2010年、ラグビーに転向。11年に電通東日本に入社し、同年から7人制ラグビー女子日本代表。16年にリオデジャネイロ五輪に出場し、18年アジア大会で金メダルを獲得。19年12月にラグビー7人制女子チーム「ナナイロプリズム福岡」を立ち上げ、GM兼選手としてプレーしている。ポジションはFW。