「THE ANSWER スペシャリスト論」女子マラソン・野口みずきさん「THE ANSWER」は各スポーツ界を代表するアスリート、指導者らを「スペシャリスト」とし、第一線を知る立場だからこその視点で様々なスポーツ界の話題を語る連載「THE …

「THE ANSWER スペシャリスト論」女子マラソン・野口みずきさん

「THE ANSWER」は各スポーツ界を代表するアスリート、指導者らを「スペシャリスト」とし、第一線を知る立場だからこその視点で様々なスポーツ界の話題を語る連載「THE ANSWER スペシャリスト論」をスタート。2004年アテネ五輪女子マラソン金メダリストの野口みずきさんが「THE ANSWER」スペシャリストの一人を務め、陸上界の話題を定期連載で発信する。

 今回は「金メダリストが思う『選手とメディア』の正しい距離感の作り方」。トップアスリートになればなるほど、切っても切り離せないメディアとの関係。野口さんは取材機会を力に変えた一方、連覇を目指した北京五輪の前は高まる注目度に苦労した。コロナ禍で開催可否に揺れる東京五輪に心苦しさを抱える選手たち。メディア対応で意識したこと、SNSとの付き合い方、アスリートがメディアに出る意義などを現役世代に向けて説いた。(文=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)

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 最も輝く瞬間を切り取ってもらいたい。そんな思いを持って発信していた。

 野口さんは23歳の時、初マラソンとなった02年名古屋国際女子マラソンで優勝し、03年世界選手権で銀メダルを獲得。翌年のアテネ五輪へ、有森裕子さん、高橋尚子さんに続くメダル獲得の期待を受け、日増しに注目度が高まっていった。現役時代、メディアに出ることについて、どんな心構えを持っていたのだろうか。

「初めて新聞に載った時は、嬉しくて仕方がなかったです。その気持ちがもっと強くなりたい、もっと取り上げてもらいたいという方向に繋がっていった。自分をPRできるし、所属する会社の名前を知ってもらえるいい機会。実業団は本当のプロではないですが、私は『お金をいただいている以上はプロ』と思っていたので、そういう機会は大切でした」

 人前に出ることを前向きに捉え、競技力向上に繋げた。マラソンではレース2日前に会見し、意気込みや調整具合を明かすのが恒例。「私は大風呂敷を広げるタイプ(笑)。ちょっと強気なコメントをしていました」。勝ちたい、いいタイムを出したいという気持ちを前面に表現していた。

 所属企業、スポンサーは自社のPRのためにアスリートを支援する。競技で結果を出すことはもちろん、しっかりとしたコメントを残せばより多くの注目を浴び、自ずと企業名の露出機会も増える。野口さんはそんなサイクルを理解しながら取材を受けていた。「どんな時もポジティブなことしか言わない。練習内容も自信を持って話していました」。言葉にすることで、重圧のかかるレース前でも前向きになれた。

 ただし、メディアの存在が全てプラスの方向に進んだわけではない。ストレスになってしまう時もあった。最も印象に残っているのは、北京五輪を控えた08年の春。連覇を目指す中、合宿中に各メディア合同の取材を受けた。

 メディア側からすれば、金メダリストの話を聞き、努力する姿を納められる貴重な機会。しかし、野口さんの頭は「女王」の重圧でいっぱいだった。ウォーミングアップから続いたテレビカメラの撮影。「やめてください」と思わずシャットアウトしてしまった。

「あの時、私の精神状態は特に酷かったです。ディフェンディングチャンピオンとして、自分で自分にプレッシャーをかけていた。ポイント練習(強度の高い本格的な練習)を撮ってもらうのはいいけど、ウォーミングアップはポイント練習をしっかりするために集中したい。ずっと撮られて集中できず、嫌な自分が出てしまった。凄く失礼な態度をとった時もあったので、それが北京五輪の欠場に繋がってしまったと思います」

 人に優しく、気遣いができる性格。だからこそ、「失礼な態度」をとった後に相手がどう思っているか気になってくる。「あの時、自分の中でいろんな闘いがありました」。ピリピリとした精神状態が続き、必要以上の練習に取り組んだ。結果的に左太ももを肉離れする負の連鎖。五輪本番の5日前に出場辞退を発表した。

出場辞退から数か月、記者から隠し撮りも…「いいことも悪いことも書かれる」

 以降もメディアに不信感を募らせる出来事が続いた。北京五輪が終わって3か月ほど経ったある日。朝練のために寮を出ると、駐車場に停まったタクシーから週刊誌の記者とカメラマンが降りてきた。「ちょっと聞かせてほしいんですけど」。シャッターを連写された。

「凄くビックリして怖くなりました。隠し撮りもされていて。欠場を発表した時、監督と病院の先生がメディア対応をしてくださったのですが、私のコメントが欲しかったんですかね。改めて思いを聞きたかったようです。欠場から1か月ぐらいの時もあったんですよ。新聞社の記者の方が隠れて撮っていた。仲良くさせてもらっていた記者だったのでショックでした。面白い人やったのになぁって。しかもね、実際に載ったのは私じゃなかった(笑)。私と同じくらいの身長の後輩を間違えて撮っていたみたいです」

 明るく笑いながらエピソードを明かしてくれた野口さん。以来、懇意にしていたその記者と会う機会はなかったという。

 メディアの節度を持った取材は言わずもがな大切。野口さんは今となって「記者の方も仕事だから仕方ない」と受け止められるが、若かった現役時代にはできなかった。それでも、以降の選手生活でメディアとの付き合い方を変えることはなかった。不信感を抱いた後、どんなふうに心の折り合いをつけてきたのだろうか。

「私は引きずる性格じゃないので、いいこともあれば、悪いことも書かれるだろうなって思っていました。ファンの方からもそうですよ。お手紙でズキっとくるものもありました。私は『走った距離は裏切らない』が座右の銘。応援のメッセージが多かったけど、北京五輪を欠場した時に『練習のやりすぎで走った距離に裏切られたじゃないですか』と書かれていた。ショックでしたね。でも、そういう人もいるよなって受け流していました。

 逆に少し強くなれたのかなと思います。今もエゴサーチをしちゃいますよ。悪い意見を見ることもありますが、みんなが同じ考えではない。いい意見もあれば、ネガティブな意見もあるわって。ネガティブなものを悪い方向に考えるのではなく『じゃあ直そう』といい方向に捉えています」

 今はアスリートもSNSで自分の思いを発信でき、ネット上で不特定多数の人と触れ合える時代。プラスに働くことがある一方、ネガティブな声も目に入りやすい。試合結果に対する反応も届く。競技に悪影響を与えて悩む選手もいる中、野口さんは「だったらやらなきゃいいのに」と笑う。SNSを否定するわけではないが、違和感を覚えることがあるという。

「レース前でもSNSを扱う人が多い。記者会見では曖昧なコメントをするのに、なんでSNSでは大きなことを言えるんだろうと思うことがあります。いい方向に行けばいいのですが、競技をしている間はちょっと控えめにした方がいいのかなと。攻撃される時だってあるし、それでネガティブになるくらいならしっかり練習に集中すべきだと思います。

 ちょっとした意見でも、みんながそう思っているんじゃないかとマイナスに考えてしまう子もいますよね。私も一瞬だけネガティブになる時があった。きつい練習を乗り越えても指導者があまり褒めてくれない時、疲れた体と心のバランスが崩れて『キーッ!』ってなってプチ家出をしたり。でも、部屋で一人で思いっきり泣いて、涙と一緒に嫌なものを全て出す。それで気持ちを切り替えました。マイナスなことがあっても一度冷静になるのがよかったと思います」

酸いも甘いも知るから届けられる言葉「競技者としてカッコいい時間は限られている」

 東京五輪まであと2か月。選手が抱えるのは、大舞台への純粋なプレッシャーだけではない。コロナ禍の開催に否定的な声も多く、心苦しさを持つ選手もいる。

 本番までの期間、野口さんだったらメディアとどう接していきますか。「どうでしょうね……」。感染対策の必要性を踏まえた上で、選手たちの心情を慮りながら語ってくれた。

「(通常の五輪前より)取り上げられることが少なくなっているので、私だったら取材してくれてありがたい。毎日同じ顔のスタッフや選手がいて、ずっと変わらないトレーニングをして、寮や拠点の練習場にいる。そんな時に違う人が取材に来てくれると、新鮮な感じがして嬉しい。私はそれが凄く好きでした。

 競技に集中したいとは思いますが、今の状況でポジティブに表に出ることは良いこと。集中を保つことと半々でメリハリも大切。私なら嬉しいです。撮影してくださるなら凄くカッコつけたでしょうし(笑)」

 自身は北京五輪の前、ピリピリとした状態で受けた取材がマイナスに進んだ。もし、あの時に戻ったらどうなるのか。「どうしてもピリピリしていたかもしれない」と難しさを滲ませながら、過去の自分に寄り添った。

「あまり気しないこと。今だったら、カメラを構えられても『どんどん撮って』と思える。過去の自分に声をかけるとしたら『カメラなんか意識しなくていいんだよ』『最初の頃、取り上げてもらって喜んでいた自分を思い出せ』って言いたい。今、悩む選手がいたら? 『落ち着けー! 冷静になれー!』と伝えたいですね」

 企業に所属し、多くの支援を受けている以上、メディア露出は避けて通れない。国民的注目を浴びた金メダリストは、酸いも甘いも知った。だからこそ、届けられるメッセージがある。現役選手にこう投げかけた。

「選手がメディアに取り上げてもらえる期間は短い。競技者としてカッコいい時間は限られています。あっという間に引退しないといけない時が来る。よっぽどのことがなければ、自分の一番カッコいい時をカッコよく撮ってもらってほしいと思います。話す時もしっかりと丁寧に答えてほしい。最近は解説者として記者会見の取材に行きますが、少し前の女子マラソンが低迷していた時期は曖昧でネガティブなコメントが多かった印象です。

 スタートラインに立つ時に『自分が一番やってきたんだ』という自信を持って臨んでもらいたい。それはもう記者会見の時から始まっています。大風呂敷を広げようが、何だろうが言っていい。そういう自信は絶対にレースに結びつくと思います」

 どうせならメディアを利用するくらいの気持ちでいい。自信に満ち溢れ、必死に戦う姿こそ最も輝きを放つだろう。

(取材は3月)

■野口みずき/THE ANSWERスペシャリスト

 1978年7月3日生まれ、三重・伊勢市出身。中学から陸上を始め、三重・宇治山田商高卒業後にワコールに入社。2年目の98年10月から無所属になるも、99年2月以降はグローバリー、シスメックスに在籍。2001年世界選手権で1万メートル13位。初マラソンとなった02年名古屋国際女子マラソンで優勝。03年世界選手権で銀メダル、04年アテネ五輪で金メダルを獲得。05年ベルリンマラソンでは、2時間19分12秒の日本記録で優勝。08年北京五輪は直前に左太ももを痛めて出場辞退。16年4月に現役引退を表明し、同7月に一般男性との結婚を発表。19年1月から岩谷産業陸上競技部アドバイザーを務める。(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)