BMXが五輪の正式種目に採用されたのは、2008年の北京大会だった。「私もいつか(五輪に)出たい」 テレビの画面を見つめていた当時9歳の畠山紗英は、強くそう思ったという。それから13年、夢見た舞台に立とうとしている。東京五輪のBMX代表に…

 BMXが五輪の正式種目に採用されたのは、2008年の北京大会だった。

「私もいつか(五輪に)出たい」

 テレビの画面を見つめていた当時9歳の畠山紗英は、強くそう思ったという。それから13年、夢見た舞台に立とうとしている。



東京五輪のBMX代表に内定している畠山紗英

 畠山が自転車に乗り始めたのは2歳半の頃だった。3歳で補助輪を取り、周囲を驚かせ、4歳になるとレースに出場した。「いつもビリでした」となかなか結果を出せなかったが、6歳でレース初優勝を果たした。

「当時は勝つことよりも、単純にレースが楽しかったですね」

 小学生時代は敵なしで勝ち続け、2009年には年齢別世界選手権で優勝。世界でも畠山の名が知られるようになった。

 そして14歳の時、大きなサプライズが訪れる。

「クリスマスの時、母親に『買い物に行こう』と言われ、レッドブルのオフィスに連れていかれたんです。すると、オフィスのロビーに大きなクリスマスツリーが飾られていて、その下にプレゼントが置いてあって......開けてみると、レッドブルのロゴがペイントされたヘルメットが入っていたんです」

 世界のエクストリーム系の競技で目立つレッドブルのディケールは選手たちにとって憧れだ。レッドブルアスリートは、世界で選ばれたトップ選手しかなれない。畠山は以前に、レッドブルのイベントのエキシビションに出場したことがあり、そこから縁がつながっていた。しかし、まさかレッドブルと契約できるとは思っていなかったという。

「トップ選手がレッドブルのヘルメットを被っていてカッコいいと思っていたのですが、まさか自分がその仲間になれるとは想像もしていませんでした。本当にうれしかったです。その時に『いい走りをしないといけない』と、小さいながらもプロ意識みたいなものが芽生えました」

 畠山は14歳にして、レッドブルにスポンサードされるプロになったのである。

 中学、高校時代は、学校にBMXの部活がなく、放課後に遠方にあるコースにも行けないため、近所でダッシュするなどの練習を繰り返した。土日はBMXコースに連れて行ってもらい、朝から夕方まで走り続けた。

 日体大に進学後の2018年、畠山にとってターニングポイントといえる大きなチャンスが訪れる。

「スイスのワールドサイクリングセンターでトレーニングを始めたんです」

 ワールドサイクリングセンターはスイスのエーグルに本拠地を置く、UCI(国際自転車競技連合)運営の自転車選手養成施設である。優秀なコーチ陣が多数在籍し、世界最先端のトレーニング設備を擁している。

 世界各国から有望選手を集めて強化し、トッププロへの道筋をつくることを目的としている。

「ここにはコーチから呼ばれた人しか来られないんですけど、新しくコーチになった元世界チャンピオンのリアム・フィリップスから『来てほしい』と言われて。まさか自分が選ばれると思っていなかったので、びっくりしました」

 そんな畠山がいま課題として取り組んでいるのが「スタート」だ。BMXのレースはホイールが20インチの小さな自転車で400mのダートコースを走るのだが、ジャンプやカーブがあり、レースは35〜40秒で勝敗が決まる。

 最大で時速60キロものスピードが出るなか、選手同士がぶつかり合って転倒するなど「自転車の格闘技」と言われているエキサイティングなスポーツだ。そのレースに勝つための重要なポイントが「スタート」と言われている。それゆえ、畠山が課題克服に時間をかけるのは、東京五輪でのメダル獲得のためには必然だった。

「レースは、スタートから最初のコーナーを曲がるまでに80%ぐらい(勝敗が)決まります。スタートで前に出ることができると、勝てる確率が高くなるのですごく重要なんです。でも、難しいんですよ......」

 「スタートヒル」という高さ8mのところに最大8人の選手が並び、スタートは"ランダムゲート"が採用されている。音声が流れたあと、シグナルが点灯してゲートが開くのだが、そのシグナル点灯までの時間はランダムでレースによって異なる。

 選手はシグナル点灯に呼吸を合わせてスタートを切り、かつ全力で坂を下って誰よりも前に行く必要がある。畠山はスイスのサイクリングセンターで、この「スタートダッシュ」の練習を繰り返していたという。

「スタートは音を聞いて反応する選手と、シグナルで反応する選手がいます。私はシグナルを見るのですが、集中していないとスタートが遅れてしまいます。そのため、シグナルにタイミングを合わせるのと、自転車を漕ぎ出した時のフォームの練習をしていました。けっこう時間をかけてやったおかげで、最近になってようやく改善されたというか、うまくいくようになってきました」

 スタートさえしっかり切ることができればイケる──そういう自信が畠山の表情から読み取れる。スピードがあり、ジャンプのセクションは得意としているからだ。スタートを制することができれば、あとは抜かされないようにうしろに気を配りながら、自分の走りをしていく。レースは「ワクワクと楽しさでいっぱいです」と笑顔でそう語る。

 昨年6月、畠山は東京五輪のBMXレース女子の日本代表に決まった。五輪代表内定の朗報に、家族はもちろん、寒川町も歓喜した。

 神奈川の寒川町は畠山の地元だ。BMXが楽しめる「パンプトラックさむかわ」があり、昨年3月に畠山が帰国した際は、高さ4mのスタートゲートの練習台をつくるなど全面的にサポートした。

「寒川は地元で、いちばん安心できる場所。静かで落ち着いている感じが好きです。とくに好きな場所は寒川神社。小さい時から世界大会に出発する前は、いつもお参りに行っていました」

 家族、寒川町、BMXファンの応援を背に臨む東京五輪は、畠山にとってどういう大会になるのだろうか。

「特別ですし、興奮しますね。北京五輪で見てから、五輪の舞台に立ちたいと思っていました。それが日本だというのは奇跡的だなって思います。ただ、出るだけでは意味がない。日本ではBMXはマイナーなので、五輪を通してこの競技を広めていきたい。そのためにも金メダルを獲りたいと思っています」

 話し方が「大坂なおみさんに似ているとよく言われるんです」と笑うが、メダルを手にすれば、彼女のように大きな影響力を与えられる存在になるだろう。なにより「畠山紗英」の知名度が高くなれば、BMXにトライしようと思う人も増えるに違いない。

「東京五輪が終わっても、まだまだBMXレースを続けたい。女子は30歳前後で引退する選手が多いんですけど、できるだけ長くトップで戦い続けたいと思います」

 メダル獲得となれば忙しくなりそうだが、東京五輪後にやりたいことがあるという。ひとつはギター。そして大好きなドライブを楽しみたいという。畠山が「行きたい」という九州への旅は、東京五輪で活躍した自分への"ご褒美になるかもしれない。

プロフィール
畠山紗英(はたけやま・さえ)/1999年6月7日、神奈川県生まれ。2歳から自転車に慣れ親しみ、2人の兄の影響でBMXを始める。小学生の時には国内のレースで優勝を重ね、10歳を過ぎてからは年代別の世界選手権で相次いで優勝。その功績が認められ、14歳でレッドブルと契約。大きなジャンプを武器に2019年のワールドカップで決勝進出を果たすなど、国際大会で活躍。昨年6月、東京五輪のBMX代表に内定した。