子供たちの目を見ながら、ゆっくりと話をした。二木康太投手は昨年12月、鹿児島県指宿市内の小学校5年生の1クラスを対象に「夢を持つ大切さ」を語る授業を行った。日本プロ野球選手会と日本サッカー協会こころのプロジェクト推進会による連携プロジェクト…

子供たちの目を見ながら、ゆっくりと話をした。二木康太投手は昨年12月、鹿児島県指宿市内の小学校5年生の1クラスを対象に「夢を持つ大切さ」を語る授業を行った。日本プロ野球選手会と日本サッカー協会こころのプロジェクト推進会による連携プロジェクトで選手を「夢先生」として小学校へと派遣する「夢の教室」。選ばれた二木は地元・鹿児島の学校の教壇に立ち、熱弁をした。

■子供たちに夢を伝える「夢先生」、ロッテ二木が今季にかける想い

 子供たちの目を見ながら、ゆっくりと話をした。二木康太投手は昨年12月、鹿児島県指宿市内の小学校5年生の1クラスを対象に「夢を持つ大切さ」を語る授業を行った。日本プロ野球選手会と日本サッカー協会こころのプロジェクト推進会による連携プロジェクトで選手を「夢先生」として小学校へと派遣する「夢の教室」。選ばれた二木は地元・鹿児島の学校の教壇に立ち、熱弁をした。

「大事なのは落ち込んだ時に、どうするか。落ち込んだ時に夢を持っていれば、また頑張ることが出来る。夢を持つことは大事だよ」

 プロの世界で味わった挫折。華やかな部分ではなく、あえて壁にぶつかった日々を振り返り、子供たちに伝えた。

 鹿児島情報高校からドラフト6位での入団。甲子園出場の経験はなく、高3夏の県大会ではベスト4止まり。それでも長身の右腕はマリーンズスカウトの目に留まり、プロ野球の世界に足を踏み入れた。しかし、目にしたのは自分の想像をはるかに超える世界だった。2軍キャンプスタートだったが、そこですら差を感じた。「マジかと思った」。先輩たちのボールは化け物に見えた。

■今も鮮明に覚えているメッセージとは…

「あの時はプロの世界に来て、本当に正解だったのかなあと考えたこともあった。ただ、そんなことをクヨクヨと考えても、なにもならない。今できることをやるしかないと自分に言い聞かせた日々だった」

 1年目はファームでも、なかなか公式戦で投げる機会に恵まれなかった。投げられない辛さ。そして実力差をしっかりと受け止めて練習に取り組んだ。「誰よりも走ってやろうと思った」。走ってウエートをして、華奢な体を大きくすべく、食事を多くとることを心がけ時間を費やした。そして周りも励ましてくれた。体の状態を見てくれるトレーニングスタッフたちは頑張っている二木にいつも声をかけてくれた。今でも鮮明に覚えているメッセージがあった。

「4年後に同じ年の選手たちが大学を出てプロ入りしてくるときに、しっかりと1軍で投げられるように頑張ろう」

 1年目のシーズン終盤に2軍戦デビュー。結局、2試合に登板して2イニングだけの登板となった。それでも明確な目標を持ち、夢を忘れることはなかった。だから、どんな苦境にも前を向いた。気が付けば体重は10キロ以上、増えた。それに比例して球速もどんどん上がった。

 2年目の終盤には1軍昇格し、1試合に登板。3年目の昨年には1軍でプロ初勝利を含む7勝をした。高校を卒業して今年で4年目のシーズン。あの時、何度も励まされ、具体的な目標にしてきた「4年後の1軍定着」は現実的な目標となりつつある。

■封筒の中にたくさんの「夢」、「子供たちのためにも」―

 そんな日々の浮き沈みを黒板にグラフにして説明をした。子供たちは地元出身のプロ野球選手の言葉に目を輝かせながら聞き入った。

「話をさせてくれた子供たちも今シーズンは注目をしてくれている。子供たちのためにも、しっかりと結果を出さないといけない。今年は2桁勝利を目指します」

 2月1日から始まった石垣島キャンプ。二木は大きな封筒を宿舎の自室に持ち込んだ。その中には子供たちからの授業の感想が書かれた用紙が入っていた。そして子供たちがどのような夢を持っているかもそれぞれ書かれていた。その一つひとつに目を通し、直筆で全ての子供たちに返事のメッセージを書く作業を行うのがこのキャンプでの練習後の日課であり、楽しい時間となっている。歌手、看護婦、先生。いろいろな夢に溢れていた。

「2人ほど、将来の夢にユーチューバーと書いてありましたよ。ビックリしました。そんな時代なんですね」

 そう言って嬉しそうに笑った。

 今オフのドラフトではいよいよ二木と同じ年の選手がプロの門を叩く。着実に成長を続ける4年目右腕。子供たちに夢を持つ大切さを伝えるためにも、今年はさらに大きな飛躍の年としたい。

(記事提供:パ・リーグ インサイト)

マリーンズ球団広報 梶原紀章●文 text by Noriaki Kajiwara