ウソのような本当の話である。侍ジャパンの先発ローテーションの一角を担う事が期待される石川歩の伝家の宝刀・シンカーは偶然に生まれた。それが今や、プロの打者が攻略に戸惑う難球となっているのだから現実は本当に不思議だ。■WBCに挑む右腕が宝物を手…
ウソのような本当の話である。侍ジャパンの先発ローテーションの一角を担う事が期待される石川歩の伝家の宝刀・シンカーは偶然に生まれた。それが今や、プロの打者が攻略に戸惑う難球となっているのだから現実は本当に不思議だ。
■WBCに挑む右腕が宝物を手に入れた日…「名乗り出てくれる人もいない」
ウソのような本当の話である。侍ジャパンの先発ローテーションの一角を担う事が期待される石川歩の伝家の宝刀・シンカーは偶然に生まれた。それが今や、プロの打者が攻略に戸惑う難球となっているのだから現実は本当に不思議だ。
「誰に教えてもらった? いや、正直、誰だったかも覚えていません。中学校のチームメートの誰かです。『シンカーってどうやって投げるんだろう?』という雑談をして、誰かも覚えていませんが、友達の一人が『こんな感じじゃないの?』って。ああ、なるほど、という会話で投げてみて、ああ確かに、というような感じです。本当に誰だったかなあ…」
WBC公式球を手にマリーンズがキャンプを張る石垣島で連日、ブルペンで熱投を見せる石川は、ふと遠い昔を懐かしそうに振り返った。
実戦投入をしたのは中部大時代。とはいっても、それも困り果てた挙句に出た選択だった。カーブとスライダーだけではなかなか打者を抑えられない。大学で壁にぶち当たり、伸び悩んだ。監督、コーチに指摘された。「もう1種類、変化球があれば違うけどなあ…」。新球をマスターすることも考えたが、自身の中でなんとなく思い当たるものが、脳裏の片隅に一つだけあった。
中学時代に遊びで使っていたボール。野球のテレビゲームを楽しんでいて一番打ちにくかった球種で、それがヒントになり中学の軟式野球部時代にチームメートと一緒に研究してアドバイスをもらい、遊びで身につけた握り。当時、イメージしていたのは高津臣吾氏(現スワローズ2軍監督)のボールだった。
■「とりあえず、これで…」から始まった勝負球…生みの親は今も不明のまま
否定されるのを覚悟で、勇気を振り絞って、「一応、シンカーも投げられますが…」と告白してみた。「やってみるか!」。思いがけない返事が返ってきた。早速、ブルペンで試してみることになった。自信はなかったが、みんなの前で投げた。精度は高いとは言い難かったが、「とりあえず、これで行こうか」とGOサインが出た。スタートはそんな感じだった。
しかし、そのボールは宝のような球種となった。石川の速球に磨きがかかるのに合わせて同じように成長をしていった。社会人・東京ガス3年目には目標としていたMAX150キロを計測。シンカーとのコンビネーションはこの時点では、すでにプロでもトップクラスのものに成長していた。そして、その球に魅了され、マリーンズとジャイアンツがドラフト1位で指名。抽選の結果、マリーンズのユニホームに袖を通した。
「本当、今思うとちょっとしたキッカケですよね。不思議です。高校時代も遊びでは投げていたことが何度かはありましたが、元々はテレビゲームの世界の中のボールとして憧れて遊びで投げていた程度。それに具体的に誰が教えてくれたのかと言われると、困ってしまいます。もう今や知る術もありません。ここまで、名乗り出てくれる人もいないです」
ストレートのような軌道でストンと落ちる。しかも両サイド一杯に決まる。強打者を困らせ、最優秀防御率を獲得するキッカケにもなったあのシンカーの生みの親はしかし、今も不明のままだ。きっと教えたチームメートも覚えてもいないし、まさかそんなキッカケがあのボールを生んだと誰も思ってもいないのだろう。人生とは本当に不思議なものである。そして、その偶然の産物でもある伝家の宝刀を武器に、石川は世界に挑む。チームの石垣島キャンプを終えると侍ジャパンへと合流。いよいよ世界との戦いが待っている。
(記事提供:パ・リーグ インサイト)
マリーンズ球団広報 梶原紀章●文 text by Noriaki Kajiwara