@神野大地インタビュー 前編 今年2月28日に開催された『びわ湖毎日マラソン』を終えた直後の神野大地のユーチューブ動画は、衝撃的だった。サブ10(フルマラソンで2時間10分を切ること)を目指して、あえて第2集団についてタイムを狙ったが、2時…

@神野大地インタビュー 前編

 今年2月28日に開催された『びわ湖毎日マラソン』を終えた直後の神野大地のユーチューブ動画は、衝撃的だった。サブ10(フルマラソンで2時間10分を切ること)を目指して、あえて第2集団についてタイムを狙ったが、2時間17分56秒というまさかの結果に終わった。

 福岡国際マラソンでは棄権、そしてこのびわ湖毎日マラソンで惨敗と、2レース続けて結果が出ないことに神野は打ちひしがれ、そのショックがありありと見受けられた。



びわ湖マラソンでは2時間17分56秒で142位に終わった神野大地

 やめてしまうのでないか──。動画で明るく振る舞おうとする姿からは、そんな空気も感じられた。

 あれから少し時間が経過し、「少し落ち着いてきたと思います」とマネジメント会社の高木聖也が教えてくれた。神野は、びわ湖のレースについて、どう感じていたのだろうか。そして、今後マラソンをどうするのか。神野の口からこぼれてきたのは、今後についてのいくつかの新たな決断だった。

「(マラソンを)やめたくなりました」

 びわ湖毎日マラソンが終わったあと、神野はそう思ったという。

「福岡からびわ湖まで100%の練習ができたかというと、そうではなかったですけど......ただ今回は精神的なものが大きくて、生きることもやめたくなるぐらいで......。本当に落ちるところまで落ちて、レース後、2週間は死んでいました」

 神野がそれほど思い詰めるまで落ち込んだのは、びわ湖のレース結果がトリガーになったのは間違いがない。しかし、そこまで追い込まれたのはびわ湖の結果だけではなく、昨年の東京マラソン、福岡国際マラソンと結果が求められた3レースで、ひとつも満足のいくレースができなかったことにある。

「東京マラソンは、自分なりに練習はできていたイメージがあったんですが、実際は大迫(傑)さんが2時間5分29秒を出して、みんなが6分、7分台など結果を出しているなか、僕は12分で......。練習をしてきたという気持ちがあっただけに、けっこうダメージが大きくて、精神的にくるものがありました。そこで練習を含め、いろんなことを見直して藤原(新)さんにコーチをお願いして再スタートを切ったんです」

 藤原コーチとは富士見で何度も合宿を行ない、レース設定でのペース走など新鮮なメニューが多く、それをこなしていくことで「パーフェクトに近い練習ができた」と自信を持って福岡に乗り込んだ。

 しかし、28キロ付近で神野にとっては自身2度目となる棄権に終わった。

「福岡のレースは、正直よくわからないという感じでした。練習をかなりやってきて、ある程度戦える状態にあったので、足が止まった時は『えっ』という感じでした。足の痛みや腹痛が起きたりしましたけど、それは以前のレースでもありました。でも、福岡の時は足がそこで止まってしまったんです」

 質の高い、相当のボリュームの練習をこなしてきた自負があったからこそ、棄権は大きなショックだった。

 藤原も「なぜ?」という思いだったという。

「普通に考えて、あれだけの練習をこなして、棄権という結果に終わるわけがないと思っていました。2分58秒ペースだったんですけど、10キロ過ぎには脱落していった。緊張や焦りはあったと思うんですけど、それにしても『なぜ?』という思いが大きかったです」

 藤原は棄権の要因をなかなか特定できずにいた。

 神野、藤原との話し合いのなかで、テクニカルの部分である調整方法についてはもう一度見直し、変えていくところは変えていこうという結論に達した。同時に、次のレースをどこに設定するのか話し合った。

 福岡国際は途中棄権だったので身体的なダメージは少なかった。神野自身もチームも「びわ湖は無理ではなく、いける」ということで標準をびわ湖に定めた。そしてびわ湖に至るまでの間、神野は大きく変えたことがあった。

「フォームを学生の頃に戻しました」

 これまで1年半、神野はスプリントコーチの秋本真吾に、フォームを含めて走りをみてもらっていた。だが、練習でやってきたことを試合で出せないことに対して、一度立ち止まって冷静によく考えたという。

「秋本さんにフォームを見てもらってきたんですが、練習ではその効果を体感できましたが、レースではなかなかできなくて。フォームが課題であることは自覚していたし、だからこそ秋本さんにお願いしてきました。ただ、フォームを意識し過ぎるあまり、走り辛さを感じていたのも事実です」

 そう考え始めた頃、神野は藤原コーチにこう言われたという。

「腕の横振りのフォームが、もしかすると神野の走りを引き出しているのかもしれない」

 神野はハッと思ったという。フォームを学生時代に戻すと、失いかけていた「粘り強さ」を感じることができた。練習できつくなっても、ここで粘れば次、絶対に楽になれる。本来、自分が持っていた長所を取り戻すことができたのだ。

 練習は足に痛みが出て、ジョグでは自分が求めている距離や質を十分こなすことはできなかった。だが、ポイント練習は1本も外すことなくやり終えた。

 藤原は自分の経験から、神野の走りに自信を持っていた。

「びわ湖に向けて練習してきた内容から、どのくらいのタイムで走れるか。僕の経験からすると、サブ10は目をつぶってでもできると思っていました。そのくらい質の高い練習をこなしていたので、神野には『大丈夫、いける』と伝えました」

 びわ湖毎日マラソンでの目標は「サブ10」。

 日本記録を狙うファーストグループには属せず、まずはサブ10達成を目指し、そこから次につなげるというプランで、神野はスタート地点に立った。

 レースが始まり、神野は1キロ3分ペースの集団のなかに入り、自分のなかでは冷静に走れていると感じていた。だがレース後に映像を見直した時、走っている時の自分の感覚と画面に映る苦しそうな自分の表情のギャップに驚いた。

「テレビ画面で見た自分は、バタバタしたフォームで、なんでこんなに不安そうに走っているんだろうって感じでした。不安だなって思って走っているわけじゃないんですよ。でも、表情や走りに出てしまう......自信がなくなっていることが必要以上にレース中の走りに表われてしまっている感じがしました」

 神野は苦しそうな表情ながらも、セカンドグループでペースを守って走っていた。だが16キロ過ぎ、徐々に集団から離れていった。

「これまでマラソンで成功した人の話を聞くと、前半で多少苦しくなるところがあってもそれを乗り越えると楽になるというんです。でも、僕はマラソンでそれを経験したことがなくて......。だから、きついなって思った時、今日もダメなのかっていうメンタリティーになってしまうんです。みんなは『乗り越えないとダメだよ』っていうんですけど、僕はそれが簡単ではなくなっているんです」

 神野にしてみればきつくなった先の我慢になるのだが、びわ湖では16キロ地点で早くも試練が訪れた。だが、回復する気配はなかった。20キロ以降はほとんど足が上がらなくなり、「ゴールするのがやっと」という状態だった。青山学院大の後輩たちは次々とサブ10を達成し、かつて陸連のニュージーランド合宿をとも過ごした鈴木健吾は、2時間4分56秒で日本記録を叩き出した。

 これだけやってもうまくいかない。結果が出ない。マラソンを走ることに対して、積み重ねてきたものがガタガタと崩れていく気がした。

「プロランナーとして自信がなくなってきている」

 神野は自らの動画でそう語った。

 一方、昨年コーチ業から離れ、マネジメントに徹していた高木には、俯瞰(ふかん)していたからこそ見えたものがあった。

 神野が精神的なダメージを受けているなか、高木は神野とミーティングの場を設けた。マネジメント業をこなすかたわら練習についての報告は受けており、練習データも確認していた。レース結果や神野の現状も踏まえて、びわ湖に至るまでだけでなく、過去の神野の練習についてあらためて整理した。

 数時間に及んだ1対1のミーティングで、高木は自分の考えをストレートに伝えた。それは神野のコーチとなり、マネジメント業務をこなすなか、ここまでの取り組みを見てきたうえでのもので、非常に正直で、かつ厳しいものだった。

(後編につづく>>)

Profile
神野大地(かみの・だいち)1993年9月13日、愛知県生まれ。セルソース所属。中学で本格的に陸上を始め、中京大中京高校から青山学院大に進学。大学3年時には箱根駅伝往路5区で区間新記録を樹立し、"3代目・山の神"としてファンに親しまれる。大学卒業後は実業団のコニカミノルタに進んだのち、2018年5月にプロに転向。2019年にアジア選手権マラソンで優勝を飾る。現在は浜松に拠点を移し、世界大会での活躍を目指しトレーニングに励んでいる。