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@神野大地インタビュー 後編

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 昨年12月の福岡国際マラソンで途中棄権となり、びわ湖毎日マラソンに向けてフォームを青山学院大時代に戻し、原点回帰した神野大地。サブ10(2時間10分切り)を目指して走ったが、結果は2時間17分56秒。目標には遠く及ばず、練習の成果を発揮することなく、レースは終わった。

 メンタルに大きなダメージを受けた神野は、「やめる」というところまで追い込まれたが、その間、神野のマネジメント業務を担う高木聖也、藤原新コーチ、トレーナーの中野ジェームズ修一は今後に向けて話し合いを続けていた。



今年4月から拠点を東京から浜松に移した神野大地

 藤原は、神野がレースで力を発揮できない要因のひとつに大きなプレッシャーがあるのではないかと考えていた。

「僕がプロとして大変だったのは、自分以外の人たちに飯を食わせていくということでした。このプレッシャーってすごく大きいんです。しかも神野くんは箱根駅伝で注目されて、今も人気がある。チームの運営をし、稼ぎ頭としての責任があるし、注目度が高い分、早く結果を出したいという気持ちが強い。そういう焦りがプレッシャーや緊張になり、練習してきたものを本番で発揮できないことにつながっているんじゃないかなって思います」

 そして藤原は、コーチとしての責任も重く感じている。

「それまで(2時間)12分で走れていたのに途中棄権と17分台。結果が出ていないのが現実です。精神的なものが要因だとしても、それを克服するだけの練習ができていたかというとできていなかった。責任を感じていますし、これまでと違う練習に取り組んでいかないといけないと思っています」

 一方、高木は過去の練習データをあらためて整理し、このタイミングを逃したら一生変わらないと思い、神野にあえて厳しい言葉を投げかけた。

「結果が出てないのは才能ではなくて取り組みのせいだと思う。今までやってきたことは神野がマラソンで結果を残すためには十分な練習ではない。まず、そのことを受け入れないといけない」

 神野はその言葉を、反論することもなく黙って聞いていた。ただ高木は、神野の表情から、そのことについて神野が納得しているように見えたという。

 神野はプロに転向以降、ケニアやエチオピアで合宿をこなすなど、成長するためにいろんなことに挑戦していった。ただ高木からすると、そこで「自己満足していた部分があった」と見ていた。

「神野は自己管理能力が高い選手だと思っています。プロになってからもMGC出場やアジア選手権優勝といった成果を残せているのは、努力の成果でしょう。プロ転向やアフリカ合宿など、あえて困難な道にチャレンジしてきた行動力も尊敬します。ただ学生時代はどうだったのか。もっと泥臭く練習をしていたんじゃないかなと思うんです」

 では、なぜその泥臭さを神野は失ってしまったのか。

「箱根でスターになって高い注目を浴びながら競技を続けるなかで"山の神・神野大地"としてカッコよく振る舞わないといけないという意識が生まれて、原点とも言える泥臭さが薄れてしまっていたんじゃないかなと。その点は僕の責任でもあります。

 3年前に神野と活動し始めて、競技面においては遠慮していた部分があった。びわ湖マラソンのあとに神野に伝えた言葉は、藤原さんにコーチをしていただいているなかでは踏み込み過ぎた発言だったかもしれません。それでも伝えるべきだなと思っていました」

 高木は硬い表情でそう語った。それに対し神野も、そのことを薄々感じていた。

「プロランナーになってからケニアに行ったり、エチオピアに行ったり、挑戦していることに満足感を得たり、ケニアに行ったから大丈夫だとか、そういう気持ちになっていた部分はあったと思います。本来の僕は誰よりも泥臭く練習して、そこを突き詰めていくことで自信をもってスタートラインに立ち、走ることができていたんですが、なんかスマートに結果を出しにいこうと思ってしまって......」

 そして、神野は大きな3つの決断を下した。

「今後、いろんな迷いがなくなるように泥臭い練習をどれだけやれるか。これまでの練習が間違っているとは思いませんが、これから新たな取り組みに挑戦したり、いろいろ変えていこうと思ったんです」

 まず神野が足りないと感じ、取り組むことを決めたのが距離を踏むことだ。

「マラソンで成功している選手は、月間1000キロとか走っています。僕は、まだ1回もその距離を走ったことがないので、故障とかを怖がらずに走ってみようと思っています」

 福岡国際で優勝した吉田祐也、びわ湖で日本記録を更新した鈴木健吾は、ともに練習の虫で、月間走行距離は1000キロを超える。とくに神野に刺激を与えたのは、びわ湖での鈴木の走りだった。

 かつて陸連の合宿で一緒にニュージーランドに行った時、鈴木はいつも最後まで練習をしていた。その練習熱心さが今の成果につながっていると感じ、神野はそこを見失っていたと反省した。ただ、今のマラソンは走る距離だけを増やせばいいわけではなく、質も必要になってくる。その両方を求めないと戦えない。

「今後は1キロ3分ペースを目指すのではなく、日本記録を狙うファーストグループについていける練習メニューを藤原さんに組んでもらう予定です。周囲の人は『まずはサブ10からだよ』と思うかもしれないですけど、ここまで結果が出ないのであれば、その上をいくレベルでやっていかないといけないと思うんです。日本記録も目指したいし、オリンピックにも出たい。『今の記録でなに言ってんだ』と思われるかもしれないですけど、そういう高いところにしっかりと挑戦していきたいんです」

 2つ目は、トラックシーズンに1万mと5000mの自己ベストを更新することだ。

 マラソンで結果を出すのであれば、通常は1万mで28分台のタイムがあれば十分と考えられてきた。だがここ最近、マラソンで結果を出した選手、たとえば鈴木は昨年9月、全日本実業団対抗陸上競技選手権大会の1万mで27分49秒16を出し、服部勇馬も同大会で27分47秒55を出している。今やマラソンを走る選手はトラックでのタイムも追求することがトレンドになってきている。

「昨年、健吾は1万mで27分台を出して、マラソンの結果につなげたじゃないですか。(びわ湖マラソンで)3位に入った細谷恭平選手も28分台前半で走っているんです。僕はこれまでマラソンの結果だけに執着していましたけど、トラックの結果にもこだわっていかないといけない。もともとスピードがないので、27分台か28分台前半を出せばマラソンの結果も変わってくるのかなって思っています」

 神野の5000mの持ちタイムは13分56秒05、1万mは28分17秒54である。今年7月に開催予定のホクレンディスタンスで1万mを28分台前半、5000mは13分45秒切りを目指していく。それを実現することで「28分前半がマラソンでの3分ペースに生きてくる。スピードの余裕度、走速度を上げていく」(藤原)ことを考えているという。

 そして3つ目は、この4月から練習の拠点を東京から浜松に移したことだ。

 昨年から神野は藤原コーチに師事している。藤原はスズキアスリートクラブの指導をしており、練習拠点は浜松だ。そこで、ランナーとしてのメリットを考えて決断した。

「コロナでいろんなことが変わりましたよね。ミーティングも取材もオンラインでできますし、中野さんのトレーニングもリモートでできる。藤原さんに見てもらうなら、浜松にいたほうがいい。プロとしてひとりでやる苦しさを感じていたので、スズキのメンバーに頼るところはそうさせてもらって、僕は結果を出すことで刺激を与えたり、姿勢を見せていければと思います。なにより東京は家賃が高い(笑)」

 神野は覚悟を決めた表情でそう言った。藤原もその決断を重く受け止めている。

「まだコーチとしての経験が浅く、今も悩んでいます。でも、神野が覚悟を決めて浜松に来てくれた。僕もコーチとして覚悟を決めてやっていきたいと思っています」

 新天地で新たなスタートを切った神野だが、やめたくなるほど追いつめられたマラソンに、なぜもう一度挑戦することを決めたのだろうか。

「やめたいとか、逃げたいとか、本当はそれが最も楽な選択だと思うんです。でも僕はこれまであきらめずに、努力は裏切らないと思ってやってきた。結果が出ていないですけど、それはまだ努力が足りないということ。結果が出るまでが努力ですし、僕は自分の人生でそれを証明したい。だから、自分の気持ちが続く限り努力していきたい」

 浜松ではすでに治療院を見つけ、お気に入りのサウナもある。サウナでは、ある市民ランナーにこう声をかけられたという。

「結果も大事ですが、神野選手の生き方がすごく好きです。これからも自分の生き方を貫いてほしい。そういう神野選手を応援します」

 ちょうど、浜松でびわ湖マラソンに向けて調整していた頃で、その言葉が胸に刺さった。結果は大事だが、あきらめずに努力する自分の想いを応援してくれる人がいることに救われた。

「プロとしての活動は間違っていなかったと思いましたし、そういう人がいることを大切にしていきたいと思います」

 レースで結果を残せず、精神的に叩きのめされた。だからこそ、いろんな気づきがあったと神野は言う。人の真価はそこからどう動くかで決まる。神野にとっては茨の道が続くが、大学時代は「3代目・山の神」の称号を勝ち得た男である。これからどんな道を駆け上がっていくのか、大いに期待したい。

(おわり)

Profile
神野大地(かみの・だいち)1993年9月13日、愛知県生まれ。セルソース所属。中学で本格的に陸上を始め、中京大中京高校から青山学院大に進学。大学3年時には箱根駅伝往路5区で区間新記録を樹立し、"3代目・山の神"としてファンに親しまれる。大学卒業後は実業団のコニカミノルタに進んだのち、2018年5月にプロに転向。2019年にアジア選手権マラソンで優勝を飾る。現在は浜松に拠点を移し、世界大会での活躍を目指しトレーニングに励んでいる。