国別対抗戦エキシビションで『花が咲く』を演じる羽生結弦 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、今季、羽生結弦が出場したのは昨年12月の全日本選手権と今年3月の世界選手権、そして4月の世界フィギュアスケート国別対抗戦の3大会のみ。大会へ向かう意…



国別対抗戦エキシビションで『花が咲く』を演じる羽生結弦

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、今季、羽生結弦が出場したのは昨年12月の全日本選手権と今年3月の世界選手権、そして4月の世界フィギュアスケート国別対抗戦の3大会のみ。大会へ向かう意識やモチベーションを作るのが難しい特殊なシーズンだった。

 グランプリ(GP)シリーズ欠場は、自分の立場をよく考えたうえでの決断だった。羽生が出場する海外の大会では、日本からだけでなく、中国などからも多くのファンが駆けつける。出場することで、大勢の人が移動し、感染の可能性が大きくなると考えた。

 だが、国内にとどまり、海外にいるコーチと離れてひとりで練習をする日々は予想以上に苦しかった。直近の大会出場という目標がない中で、モチベーションも上がらなかった。そうした中で羽生は「これからは技術が衰えていくだけかもしれない」などと考え、引退さえも頭に浮かぶどん底の精神状態を経験した。

 葛藤の中で出場した全日本出場。競技を続けるために必要だと考えての決断だった。だからこそ、「周囲を納得させる演技をしなければいけない」という決意があった。そして結果は圧巻の演技で優勝。5年ぶりに全日本王者に輝いた。

 しかし次の世界選手権は、モチベーションを高めにくい大会だった。2021年北京五輪の日本の出場枠がかかっていたが、感染対策のため無観客で、外界と遮断する「バブル方式」で行なわれた。これまで経験のない特殊な環境での開催だった。

 出場する選手の中には、そこまでして大会を開催することに複雑な気持ちを持つ者がいても不思議ではなかった。そうした状況で羽生は、大会出場の目的について「第一は五輪の出場枠を獲得すること。そして、健康なまま日本に帰ること」と発言していたのだろう。

「優勝したい」「優勝を目指す」という意気込みを口にすることがはばかられると感じるほど特殊な状況での試合。羽生は大会へ向けてモチベーションを維持するために、4回転アクセルをフリーに組み込むための挑戦を始めた。当初は2月末をリミットとし、1回でも跳ぶことができれば本番で入れる想定でいた。その後、リミットを大会のギリギリまで引き延ばしたが、それは導入への強いこだわりがあったからだ。

 その世界選手権を経て、大阪で行なわれた国別対抗戦も特殊な大会だった。世界選手権が開かれたスウェーデンから帰国後、2週間の自主隔離期間は自宅へは戻らずホテルにこもり、外出は練習時にスケートリンクへ行く時だけ。ここで練習は順調ではなかった。異例の環境での連戦でストレスもあり、体調を崩したこともあったという。それは、得意とするトリプルアクセルの調子を崩したことにも表われていた。

 そして、「誰かの"光"になれるように」との思いを持って臨んだ国別対抗戦。羽生はフリー演技を終えた後、「みんなが光だったなって思います」と、笑いながら言ってこう続けた。

「僕が今回、ショートプログラム(SP)の時もフリーの時も、『ああ、苦しかっただろうけど、頑張ったんだろうな』っていうことを、チームメイトの演技を思ってあらためて感じて......。それがある意味、導きの光のようにすごく、すごく強い力をくれました。先輩として頑張らなきゃと、普通とは違う力をいただけた試合だと思います」

 世界選手権からの帰国時に、空港で先導を受けたANAの職員から「羽生さんの演技を観て勇気をもらえたし、力をもらえた」と言われた。それで、「自分が大会に出てもいいのかなと思った」という羽生。大会最終日には、シーズンを振り返ってこう語った。

「東日本大震災後のシーズンはもっともっと苦しくて、まだ若かったから、『被災地代表と言われるのは嫌だ』とも話していました。自分の力で勝ち取った日本代表だから、被災地代表とは言われたくないという気持ちだった。自分自身でいろんなものを勝ち取りたいとすごく思っていたんです。

 でも、最終的には、感謝の気持ちがすごく出てきて......。僕は震災の被害を受けた人たちを応援している立場ではなく、応援されているんだと思ったんです。それと同じような気持ちを、今年もすごく感じられました。何か自分が滑っていいのかな、と。滑ることで何かの意味を見出していけば、それが、自分が存在していい証なのかなとちょっと思いました」

 彼にとって、この特殊なシーズンは、「滑り続ける意味」をあらためて発見する時間にもなった。

 羽生はフリー翌日のエキシビション前の公式練習では、時間の大半を4回転アクセルに費やした。そのうち6回は、ほとんど回転しての転倒だった。羽生は、フリーが終わった段階で「体がそれほど疲れておらず、試合の会場でやることに意味がある」と思ったからだと説明した。

「それにあとは、またひとりで練習することになると思うので、やはりうまい選手がいる中でやることで刺激があるのではないかと思ったし、そのほうが自分のイメージも固まりやすいかなという意味も持っていました。でも実際は、いい時のジャンプに比べて全然よくなかったので、はっきり言ってめちゃくちゃ悔しかった」

 4回転アクセルを練習していたのは『天と地と』の出だしからのコース。最初に入れていた4回転ループのところに4回転アクセルを組み込む構想だ。それは、来シーズンへ向けての決意表明でもあった。

 エキシビションでは、『花は咲く』を感情を込めて演じた羽生。アンコールでは『レット・ミー・エンターテイン・ユー』のステップシークエンスからの最後のパートを滑った。鋭い動きのステップの中だけではなく、最後のコンビネーションスピンでも観客にアピールする手の動きを入れた。彼が目指している「観客とコネクトして、少しでも明るい気持ちになってもらいたい」と願う滑りでもあった。

 4年前の国別対抗戦エキシビションのアンコールでは、同じように当時のSP曲『レッツ・ゴー・クレイジー』で、ステップシークエンスからのパートを力いっぱい滑り、「あそこでやっと、やりたかったステップの滑りができたと納得できた」と話していた。今回の彼の表情にも、あの時と同じような満足感が表われていた。

 葛藤が多かったシーズン、羽生は納得の滑りで終えた。