北京五輪で金メダル候補に挙がる新濱立也 スピードスケート新濱立也(高崎健康福祉大・職員)の躍進が止まらない。 2018年平昌五輪後の2018ー19シーズンに世界デビューし、W杯500mで3勝して種目別総合2位。自己ベストは世界歴代2位の33…



北京五輪で金メダル候補に挙がる新濱立也

 スピードスケート新濱立也(高崎健康福祉大・職員)の躍進が止まらない。

 2018年平昌五輪後の2018ー19シーズンに世界デビューし、W杯500mで3勝して種目別総合2位。自己ベストは世界歴代2位の33秒79まで伸ばした。翌シーズンは、W杯で種目別総合優勝を果たし、500mと1000m2本ずつで競う世界スプリントでは、前年2位からステップアップする総合優勝を果たした。

 身長183センチの恵まれた体型を十分に生かした滑りで、一躍、22年北京五輪500mの金メダル候補に躍り出ている。

 日本スケート連盟がコロナ禍により国際大会派遣を中止した昨シーズンは、国内戦のみの出場。しかし、新濱はその期間中にスケート靴を3足試すという異例の"実験"をした。

「国内の試合だけだったからできました。(通常は)シーズン中に靴を変えることはないですよね」

 新濱はこともなげにそう話す。彼と初めて話した時に感じたのは、「鈍感力」の高さだった。繊細過ぎないからこそ、そうした試みができるのかと問うと、新濱は「そうなんですかね」と、明るく笑った。

 新濱がスケート靴を次々と試したのは、さらなる飛躍のためだ。

「北京五輪へ向けてということもあるけれど、昨シーズン以上の成績を求めるとなれば、技術向上が当たり前になります。靴が不安定な状態だと技術をいくらつけても活かせないと思って、足元を安定させてから、さらに技術を構築し、好成績を出そうと考えました」



オンラインでスポルティーバのインタビューに応じる新濱

 3歳からスケートを始めた新濱だが、つい最近まで「世界大会や五輪を考えていなかった」。北海道の別海町で生まれ育った彼の小学生時代の夢は、漁業を営む父親の跡を継ぐことだった。しかし、スケートを始めるとその面白さに取り憑かれ、高校、大学と競技を続けた。

「本当にスケートが楽しい、面白い。勝つことがうれしくて、自分の世界の中だけでスケートを続けていたので、五輪を見たことはなかったですね。五輪を意識したのは平昌五輪が終わってから。好きなことに没頭していたら、五輪選考会で4位になった。ギリギリで代表になれなかったけれど、その成績を評価されて翌シーズンからナショナルチームに入りました。それで平昌五輪で日本は女子選手は活躍していたのに、男子はダメだったというのが悔しかったといいますか、次の五輪は自分が活躍したいと思うようになって、世界を見るようになった感じです」

 多くの選手はナショナルチームに加入したばかりの時は、練習の質の高さや量の多さに驚き、なかなかついていけないと話すものだ。だが、新濱はそうしたことは一切なかった。

「スプリントチームの練習には余裕を持ってついていけたし、辛いということはなかったです」

 さまざまなデータが計測できる「ワットバイク」のパワー数値で新濱は2400ワット出している。他の短距離選手は1800〜1900ワット。彼と同時期に世界トップに駆け、W杯での1勝を含めて11回表彰台に上がった村上右磨ですら2000ワットだった。

「競輪選手並みだと言われました。ナショナルチームでは体力がすごくついて、いっそう追い込めているというか、短いインターバルで滑ることができている。僕は、もともと瞬発力は強くても持久力は高くなかったんですが、チームに入って1000mももつようになった感じです」

 ナショナルチーム1シーズン目の急成長は驚異的だった。平昌五輪代表から漏れた若い選手たちが代表組を抑えて表彰台を独占したシーズン初戦の全日本距離別で優勝。初出場のW杯帯広大会でいきなり3位になり、次の苫小牧大会では連勝し、一気に頭角を現した。

「あのシーズンは自分でも驚きました。500mは34秒79がベストだったけれど、それが1秒伸びた。500mでそれだけ伸びるのは並大抵ではないし、1000mも2秒5くらいは速くなりました。『自分の人生がこんなにうまくいっていいのか?』と思うくらいにとんとん拍子で。(すぐに更新されて)一瞬でしたが、世界記録を出した時は、『本当に大丈夫かな...』という恐怖感もありました。シーズンが終わってからは実感も湧きましたが、初めてのシニアの世界でこんなにうまくいって、これは『マンガの世界?』という気持ちは正直ありましたね」

 この2018ー19シーズンの新濱は、その非凡なパワーでスケートのブレードを壊したという逸話もある。

「もう3本くらい壊しています。他の選手が壊したというのはなかなか聞きませんね(笑)。(壊れたのは)見た目ではわからないですが、測定器で測るとブレードが波打ってしまっているんです。そうなるとまったく滑れない。2月上旬の世界距離別選手権の時に壊れて、下旬の世界スプリントの前に取り換えましたが、その大会の1本目の500mでは靴ひもを通すハドメが切れてしまって。体重とパワーが重なって無理がかかると、そんなこともあるんです」

 世界スプリントの1本目のレースは、新しいブレードを使った初レース。「正直怖かった」とも話していた。だが、34秒66で1位。翌日の2本目は記録を伸ばしたものの2位だった。初出場ながら総合2位という成績を残した。

 新濱が一時、世界記録保持者になったのは、世界スプリントから2週後にソルトレークシティで開催されたW杯ファイナルだった。初日の500mで、パベル・クリズニコフ(ロシア)が持っていた世界記録の33秒98を更新する33秒83を出した。2組後のクリズニコフが33秒61をマークし、世界記録保持者は2分後に再びクリズニコフに戻ったというわけだ。それでも新濱は翌日、自己記録を33秒79まで伸ばした。

「(世界記録を更新された時は)それが当たり前だという感覚でした。世界記録保持者として残ってしまったら、逆に怖いといいますか......。無名なところからはい上がってきたばかりの自分の記録が、世界記録として残るわけはない。抜かれて当たり前といった感じ。そのままだったらもっと違う心境になっていたかもしれないので、かえってよかったと思っています」

 世界デビューから難なく結果がついてくる中、ミスがあっても優勝や表彰台を手中に収めてきた。新濱はそれを不思議に感じていたという。「まだいける」との思いが常につきまとっていた、と。

「世界大会に出てから、いろいろなことを考え始めました。技術にしても、メンタルにしても変わったと思います。世界のトップは見えてきているが、まだ取り切れていないのが現実。クリズニコフ選手は速いし技術もものすごく高い。ただ毎レース速いわけではなく、本調子でない時には自分が勝っている。そこを彼が本調子の時に勝てるレベルにしていかなければいけない」

 靴を試した昨季は、序盤の滑りに苦戦した。500mでは村上右磨に5戦4敗だったが、最初の100m通過の差がそのまま結果につながった。その代わり、残り400mのラップタイムは向上した。さらに、前半戦の全日本距離別では、1000mは1分8秒53の国内最高記録で優勝。12月の全日本選手権も途中でコースアウトしてゴールできなかったが、これまでにない、前日の500m以上のスピードを感じた。

「400mのラップや1000mがよくなったのはコーナーワークの技術も上がったからだと思います。ただ500mでは最初の100m、1000mは初めの200mがよくない。結局はいいとこ取りの靴は、簡単には見つからないんだと実感しました」

 新濱はそう言って笑う。それでも最終戦の長根ファイナルでリンクレコードの34秒51をマークした際の靴の感覚はよかった。前季まで使用した靴との2択になったという。

「低地リンクのベストはオランダ・ヘレンベーンの34秒07(低地世界最高記録)ですが、34秒2〜3を出すレベルまでいけるのではないかという感触はあります。国内でそのレベルまでいかないと、五輪での金は確実というところまでいかない。この夏のトレーニングで成長したい」

 過去の名選手たちを意識したことは無いし、男子500mが日本のお家芸だと言われていたことにも興味はないという新濱。今は、北京五輪の金は獲らなければいけないものであり、必ず獲るものだという意識しかない。

「周りの期待に応えなければいけないプレッシャーも多少感じることはあります。でも、それがレースに対する緊張感や不安になったことはないですね。だから五輪でどれだけ注目されても、たぶん大丈夫だと思います。両親にしても、これだけの結果を出しても、これまでとまったく変わりはないですから(笑)」

 新濱は、その体格と同じように、大物感を全身から醸し出している。

【profile】
新濱立也 しんはま・たつや
1996年、北海道生まれ。高崎健康福祉大学所属。3歳からスケートを始める。2018ー19シーズンに世界戦デビューを果たし、19ー20シーズンには世界選手権スプリント部門W杯500m総合の2冠を果たす。22年北京五輪500mの金メダル獲得に期待がされる。