フットボール・オーナーズファイル (3)ヴィチャイ・スリヴァッダナプラバ/レスター() フットボールの歴史において、下馬評を覆してタイトルを獲得したチームは少なくない。たとえば、2007年のアジアカップでは、戦時下の祖国を離れていた選手…
フットボール・オーナーズファイル (3)
ヴィチャイ・スリヴァッダナプラバ/レスター
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フットボールの歴史において、下馬評を覆してタイトルを獲得したチームは少なくない。たとえば、2007年のアジアカップでは、戦時下の祖国を離れていた選手たちばかりだったイラク代表チームがトロフィーを掲げ、第二次世界大戦の終了からわずか9年後に行なわれた1954年スイスW杯では、のちに「ベルンの奇跡」と呼ばれる劇的な勝利により西ドイツが戴冠している。
しかし、純粋に予想を覆したという意味では、2015-16シーズンのプレミアリーグで優勝を成し遂げたレスターに勝るチームはないだろう。
レスターの優勝セレモニーでトロフィーを掲げる岡崎慎司 photo by AP/AFLO
そのシーズンのリーグ開幕前、あるブックメーカーはレスターの優勝に対して5000倍の配当をつけていた。それほどの大番狂わせは、スポーツ界全体でも2度と起こらないに違いない。とくに”カネ”がモノをいう現代のフットボールでは、リッチなチームの間でタイトルが争われている。世界中の人々はそれを理解しているからこそ、この偉業を大いに称えたのだ。
クラウディオ・ラニエリ前監督(現FCナント監督)に率いられた地味なクラブは、安く手に入れた選手たちで構成されていた。ジェイミー・バーディー、リヤド・マフレズ、エンゴロ・カンテ・・・・・・今やビッグネームとなった選手たちだが、当時はほとんど無名に近い存在だった。
弱小クラブだったレスターにできたことは、どんなクラブにもできるはず。そう思う人がいても不思議ではないが、実際は事情が異なる。そこにはひとりの男の存在があった。偉業達成に大きく寄与した、あるいは最大の功労者といえるかもしれない人物、タイの大富豪であるヴィチャイ・スリヴァッダナプラバだ。
タイの免税店最大手「キングパワー・インターナショナル」のオーナーであるヴィチャイは、2010年におよそ4000万ポンド(当時の為替レートで約62億4000万円)でレスターを買収した。イングランドのフットボールクラブを手にした外国人富豪の例に漏れず、当時、現地に彼のことを知るものはほとんどいなかった。
そんなタイ屈指の資産家は、ポロ(馬に乗って行なうホッケーのような競技)を愛好し、世界中の王家とのつながりを持っている。1989年にバンコクで小売業を始め、その後、空港の高価な免税店の出店の権利を得たことで、会社は莫大な利益を上げるようになり、彼の個人資産は40億ドルに達した。
なかでも群を抜く利益を計上したのが、バンコクのスワンナプーム国際空港の免税店だ。この空港は2006年、時の首相タクシン・チナワットが巨額を投資して建造したものである。
ヴィチャイとタクシンは盟友だった。どちらもタイの華僑系エリート一家の出身で、1990年代のタイの急激な経済成長のさなかに莫大な富を得た。そして2人とも、イングランドのフットボールクラブに投資――タクシンはマンチェスター・シティを2006年から1年間だけ所有――していた。
ヴィチャイの所有するキングパワーは、2010年にレスターと3年間のスポンサー契約を結び、シャツの前面に会社名がプリントされた。しかしそれだけにとどまらず、クラブを全面的に買収したのだ。
彼がレスターを買収したとき、クラブは前年にイングランドの3部リーグから2部に昇格したところだった。2011年にはオーナー兼会長となり、息子のアヤワットが副会長を務め、監督にナイジェル・ピアソン(現ベルギー2部のOHルーヴェン監督)を据えて2014年にプレミアリーグ昇格を果たした。
ところが2015年6月、ヴィチャイはピアソンを解任する。タイで行なわれていたトレーニングキャンプ中に、ピアソンの息子を含むリザーブチームの選手たちが、現地の女性たちと乱痴気騒ぎに及んだことが原因だった。
後任監督としてラニエリを招聘すると、そのシーズンにバーディーは11試合連続得点を含む13ゴールを記録し、チームは夢のプレミア制覇を果たした。ヴィチャイが定期的に呼び寄せていた僧侶が選手たちに説いたという神聖な教えに、どのくらいの効果があったかかは定かではないけれども。
ヴィチャイはレスターの本拠地、キング・パワー・スタジアムに自家用ヘリコプターで登場し、センターサークルに降り立つことを誇りにしているようにも映る。しかし、彼が本当に手にしたかったのは、まったく違うものなのかもしれない。
ヴィチャイの財産と成功は、タクシンとの強い結びつきのもとに築かれた。そのため、2006年に軍のクーデターによってタクシンが失脚すると、彼の身にも危険が及びそうになった。そこで機転を利かせたヴィチャイは、良好な関係を維持していた王室に助けを求め、軍の上層部をなだめてもらったのである。
実際に、クーデターを成功させた軍事政権は、キングパワーの免税店の権益を失効させようとした。当然ながら軍部にも大きなビジネスを目論む人々がおり、年間4億ドルの売り上げを計上するスワンナプーム国際空港の権利をヴィチャイが独占していたことを、快く思っていない人も多かったのである。
長い法廷闘争の末、最終的にヴィチャイは権利を守ることができた。しかし、その裁判と政治的な暗躍に多額の費用が使われたと見られている。
「タイでビジネスに乗り出したいのなら、しかるべき人々と話をしなければならない。それは軍部とのパイプを持つビジネスマンだ」と話すのは、東南アジアの事情に詳しい政治学者のポール・チャンバース博士だ。
「キングパワーはその力を維持できた。軍事政権はキングパワーの独占を解こうとしたが、ヴィチャイには大きな影響力を持つ友人がいたのだ」
ヴィチャイは長年、タイ国民から熱烈に愛された王、故ラーマ9世の周辺で慈善事業に勤しんだ。そこで費やした労力の見返りとして、2013年にスリヴァッダナプラバの名字を授けられた(それまでの名字はラクスリアクソン)のである。この名字には「進歩的な栄光の光」という意味がある。
タクシンがいまだに国外追放の身であるのに対し、かつての盟友ヴィチャイは、母国で天文学的な財産と大きな力を維持している。ラーマ9世の威光を手にし、タクシン派とアンチ・タクシン派の狭間をうまく渡り歩くことによって。
「ヴィチャイはスーパーリッチで、軍部とのつながりもある。イングランドでは彼の所有する比較的小さなクラブが下馬評を覆してリーグ優勝を遂げた。しかし、それをシンデレラ・ストーリーと呼ぶことはできない」とチャンバース博士は言う。
そして、現在UAEに居を構えているタクシンは、ヴィチャイがレスターを所有する意味をこう分析する。
「ヴィチャイは私の姿から学んだはずだ。(タイで)大きな成功を収めたビジネスマンにとって、政治は”いいもの”ではない。2分された勢力のどちらかにつけば、権力が失われたときにビジネスが危険に晒されるからだ。その点、ヴィチャイはうまく立ち回った。フットボールクラブのオーナーになることで、世界中にその名を知らしめたことは、いい考えだったと思うよ。それは彼にとって”保険”になるのだから」
レスターのオーナーとして表舞台に立ち続けることによって、ヴィチャイはさまざまな敵から身を守っている。少なくとも、タクシンはそう見ているようだ。政情が不安定なタイで莫大な資産を守り続けるには、そのような”保険”が必要ということなのだろう。
■著者プロフィール■
ジェームス・モンターギュ
1979年生まれ。フットボール、政治、文化について精力的に取材と執筆を続けるイギリス人ジャーナリスト。米『ニューヨーク・タイムズ』紙、英『ワールドサッカー』誌、米『ブリーチャー・リポート』などに寄稿する。2015年に上梓した2冊目の著作『Thirty One Nil: On the Road With Football’s Outsiders』は、同年のクロス・ブリティッシュ・スポーツブックイヤーで最優秀フットボールブック賞に選ばれた。そして2017年8月に『The Billionaires Club: The Unstoppable Rise of Football’s Super-Rich Owners』を出版。日本語版(『億万長者サッカークラブ サッカー界を支配する狂気のマネーゲーム』田邊雅之訳 カンゼン)は今年4月にリリースされた。