競泳でオリンピック(五輪)2大会連続2冠の北島康介氏(38)は今、何を思うのか。昨年は東京都水泳協会会長、そして競泳国際リーグ(ISL)の「東京フロッグキングス」GMとしてコロナ禍で選手に試合の場を提供するために尽力した。競技そのものが持つパワーに魅了されて、選手に寄り添う立場となった「レジェンド」は、祭典の実現を願っている。【取材・構成=益田一弘】

-東京五輪が近づいてきた

僕の仕事は、少しでも選手が話しやすいムードを作ってあげること。選手の言葉を届けたい。体操の内村選手が言うように、こういう状況だからこそできないじゃなくて、できるために何かを考えることが大事。選手に最高のパフォーマンスを出してほしい。コロナ禍があって、正直話しづらいし、言葉を選ばなきゃいけない。でも選手にはコロナ禍の1年だけではなくて、4年間の思いがある。

-3月には海外の観客受け入れが見送られた

観客に背中を押してもらえることは、選手にとって至福の時。水泳は世界と勝負できる種目と位置付けられて、花形スポーツで期待も大きい。海外の人にも見てもらいたいが、それが無理ならいろんな規制をつくって、日本の子どもたちに見る機会を与えてあげてほしい。僕自身も五輪を見て興奮したいし、選手からすごいパワーをもらいたい。

-現役アスリートに寄り添う姿勢を感じる

昨秋に競泳国際リーグ(ISL、ブダペスト)にGMとして参戦した。コロナ禍で国際大会がない中で、自分の役割として試合の場を提供したい、選手に還元したいと思った。「バブル(外部との遮断空間)」の中で約1カ月過ごした。世界各国から300人以上の選手が参加して感染者は出なかった。昨年8月には東京都水泳協会として東京都特別大会も行った。人数制限をして、出たくても出られない人もいたので、100%だったとはいえない。それでも選手の熱気をすごく近くで感じた。まっすぐ自信をもった表情、闘志。それを、選手が出しやすい雰囲気を作りたい。

-選手が最も望むことは何だと思うか

自分がパフォーマンスする舞台。死ぬ思いをするような練習の成果を出す機会。この環境に置かれれば、おのずとわかる。やるからには「ベストを出す」と考えているだろう。もちろん五輪の商業的な価値が高いことは選手も分かっている。でも「有名になりたい。五輪で優勝して、その後を考えています」というのはアスリートの精神とは少し違う。一生懸命やる。水泳でいえば、コンマ1秒でも速く泳ぐ。そこが根本。いろいろな問題があるけど、納得してもらえるように1つ1つ解決していく。1年前と比べてコロナ禍に対する対処方法も増えてきている。選手はルールを100%守ると信じてほしい。僕は五輪を見慣れている方だと思うが、それでも見れば、感動する。勝った負けたじゃないところで、その空間にいることで感じることがある。満場一致じゃないかもしれない。でも僕は五輪を通して成長してきた。水泳という狭い世界かもしれないが、間違いなく、五輪で世界の人たちと共有してきた時間がある。

-五輪の魅力とは

5年前にリオデジャネイロ五輪にいけなかった。それでもリオの現場にいって、初めて水泳以外の競技も見た。引退してから五輪の偉大さに気付いた面もある。うれしい気持ちがあった。いろんな競技を見て、すごさを肌で感じてほしい。僕はリオ五輪に出ていたら「次は東京なんで続けてもいいですか」と言ったかもしれない。選手としてこのフィールドを楽しみたかった、という思いは強い。

-競泳日本選手権で選手がしのぎを削っている

競泳の選考は、厳しい派遣標準記録(19年世界選手権決勝進出ライン)。決勝で突破して2位に入らないと五輪に出られない。コロナ禍でもハードルを下げるようなことはしていない。これは日本水連が作った本当に厳しいルール。ここを目指す選手を見てほしい。そして切符をつかんだ選手がどんな発信をしてくれるのか、楽しみにしている。

◆北島康介(きたじま・こうすけ) 1982年(昭57)9月22日、東京都荒川区生まれ。5歳で競技を始め、中2から平井伯昌コーチに師事。東京・本郷高-日体大。平泳ぎで00年シドニーから12年ロンドンまで4大会五輪連続出場。04年アテネ、08年北京で100メートル、200メートルと2大会連続2冠を達成。五輪は金4、銀1、銅2。世界選手権は金3、銀4、銅5。16年4月にリオ五輪の道が断たれて引退。20年6月に東京都水泳協会会長に就任した。

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「東京五輪がやってくる」)