身長210cmの高校2年生。それだけでも日本の男子バレーボール界にとっては夢のある話だが、1月5日から開催された春高バレーで、高松工芸高校の牧大晃(ひろあき・2年)が見せたプレーは、さらなる衝撃をもたらした。
大型選手に対して周囲が勝手に描いていたイメージを、牧は次々に覆していく。動きがいい。柔らかい。器用。
まだバレーボール歴が4年半ほどで、高校で初めて経験する全国大会ということもあり、初戦の立ち上がりはガチガチに緊張し、ジャンプサーブがネットの下をくぐってしまうほどだった。だが徐々に緊張がほぐれるにつれ、スケールの大きなプレーで存在感を放った。
万全の状態で踏み込めば、打点は相手ブロックのはるか上。そこから重量感のあるスパイクを打ち込み、レシーバーを吹っ飛ばす。強打だけでなく、相手コートを俯瞰して、空いているところにヒョイと落としたり、ブロックを利用するなど相手の嫌がるプレーも得意だ。後衛でも常に攻撃に参加し、ライト、センター、レフトと動き回ってどこからでもバックアタックを打てる。
しかも攻撃やブロックだけでなく、アウトサイドヒッターとしてサーブレシーブにも入る。オーバーハンドでの返球も器用にこなし、バレーセンスを感じさせる。
高松工芸の淵崎龍司郎監督はこう話す。
「ボールコントロールなどを見ると、もともと持っているセンスがあると感じます。そういうセンスというのは鍛えることが難しい部分なんですが、じゃあなぜできるのかと考えたら、小学校の時にサッカーをやったり、遊び心を持っていろんなことに手を出して、経験してきたからなんじゃないかと思います」
「レシーブができない」と言われないように
牧自身は、まだサーブレシーブに苦手意識があると言うが、「『身長が高い人はレシーブができない』と言われないようにしたい」と負けん気ものぞかせる。
目標としている選手は、パナソニックパンサーズの久原翼だと言う。サーブレシーブの安定感を武器とするアウトサイドだ。
「日本代表で海外と対戦した時に、久原さんは二段トスの打ち方だったり、そういうプレーがうまかったし、サーブレシーブも上手だったので、すごいなと思って」
一方で「海外の選手の中で目標とするのは?」と聞かれると、「ムセルスキー選手」と答えた。
身長218cmのドミトリー・ムセルスキーは、2012年ロンドン五輪で金メダルを獲得したロシア代表選手で、現在はサントリーサンバーズに所属する、Vリーグ史上最長身の選手だ。代表では主にミドルブロッカーだが、サントリーではオポジットとして得点を量産している。
「動きとかがコンパクトで、マネしたいと思った」と牧は言う。
確かにムセルスキーは、速いとまでは言えないが動きにムダがなく、ボールコントロールも巧みで器用な選手。大きな体をかがめて丁寧にチャンスボールを返すなど、基本的なプレーも疎かにしない。
異次元の高さから降ってくるようなムセルスキーのスパイクやジャンプサーブに、見る者も、ともにプレーする選手も、思わず「すごい」とため息を漏らすが、体格が日本人選手と違いすぎるため「マネしよう」という対象ではなかった。しかし210㎝の牧にとっては、最高のお手本のようだ。
女子に混ざって始めたバレーボール
牧がバレーボールに出会ったのは中学1年の夏だった。
小学校では1年から6年までサッカーをしていて、ポジションはセンターバック。ただ、体をぶつけ合う激しさが好きではなく、中学では続けなかった。
中学1年の時点で身長が180cm台後半だったため、両親にバレーを勧められた。通っていた中学には男子バレー部がなかったが、女子バレー部の顧問に誘われ、女子に混ざってバレーを始めたというから、漫画『ハイキュー!!』の主人公・日向翔陽の中学時代と少し重なる。男子が集まるクラブチームの練習にも参加し、バレーの楽しさに目覚めていった。
「サッカーの時は個人技の部分が多かったんですけど、バレーはチーム全員で点を取らなきゃいけないので、それが楽しくて、続けられていると思います」
牧を誘った女子バレー部の顧問は、高松工芸・淵崎監督の中学時代の恩師でもあった。牧がバレーを始めたばかりの頃、その恩師から「おっきい子がいる」と聞いて淵崎監督が見にいったのが、2人の縁の始まりだった。
これまでの日本代表の最長身は、ミドルブロッカーとして1992年バルセロナ五輪に出場した大竹秀之さんの208cm。牧はすでにその身長を超えている。日本バレー界にとっては未知の領域の選手だ。しかもアウトサイド。世界を見渡しても、ミドルブロッカーやオポジットでは210cmを超える選手は増えたが、アウトサイドではなかなかいない。
高校入学時は、「まだ小学6年生ぐらいの体つき」(淵崎監督)で、怪我も多かったが、トレーニングを重ねて筋力をつけ、体重は約10kg増えて104kgになった。最高到達点も15cmほどアップして350cmとなり、初めての春高を迎えた。
しかし高松工芸は準々決勝で、優勝した東福岡に惜敗し、大会を終えた。勝ち進むにつれ、相手は徹底的にサーブで牧を狙った。牧はサーブレシーブを崩されたり、攻撃に入るのが遅れてブロックに捕まる場面もあった。
牧をサーブレシーブから外して、常に万全の状態で攻撃に入れるようにすれば、もっと得点を奪えたかもしれない。今チームが勝つことだけを考えれば、その方が近道だろう。
だが淵崎監督はその道を選ばなかった。ずっと先を見ているからだ。
若手監督が語るブレないビジョン
日本では、高身長の選手はミドルブロッカーやオポジットとして起用されることが多いが、そんな中で誕生した210cmのアウトサイド。おそらく日本では誰も育てたことがないであろうそんな宝を預かることに、32歳の若手監督はプレッシャーも感じている。しかし、淵崎監督にはブレない信念がある。
「彼を預かった時は本当に、自分にできるのかどうか、不安でした。ただ、『こういう選手になってほしい』というビジョンは自分の中にありました。そこは僕がブレたらダメだと思っています。
日本では、あれだけの身長があったら、オポジットというポジションに入るのが一般的です。でも、日本のポイントゲッターとして点を取るだけではなくて、サーブレシーブやつなぎもできて、動けて、ゲームメイクができる選手になってほしいんです。時間はかかるんですけどね。
何でもこなせて、でもそれが平均的にできるだけの選手じゃなく、その上で何か武器になるとがったものを見つけなきゃいけないと、常に言っています。そういうものを自分でわかっている選手が、日の丸をつけたり、海外に行ったとしても、通用すると思うので」
牧はどちらかというとおっとりした雰囲気で、コートの中でもあまり感情をあらわにしない。だが淵崎監督は、「やんちゃとか、エネルギッシュという部分は表面には見えないんですけど、本音の部分では、実は野心を持って、自分の将来の目標をしっかり定めてやっているんです」と明かす。
牧は、将来の目標を聞かれるとこう答えた。
「日本代表に入って、海外に通用するプレーだったり、海外の人にも驚かれるようなプレーをしたいと思っています」
淵崎監督も日頃から、「海外じゃあそんなスパイクは通用しないよ」と世界に基準を置いた指導を心がけている。
今年の春高は、まだ経験の浅い牧を、3年生たちがプレーでも精神面でも支え、牧も「3年生を喜ばせたい」という思いを原動力にして戦った。だがこれからは、最上級生として引っ張る立場になる。
さらなる欲とリーダーシップが備わった時、牧がどんなふうにスケールアップするのか――その先にはきっと世界を驚かせる未来が待っている。
(「バレーボールPRESS」米虫紀子 = 文)