7月23日から26日まで、東京・駒沢陸上競技場で東京陸上選手権が行なわれた。 

 入り口ではサーモセンサーによる体温チェックがあり、続いて手指消毒。毎日の体温や体調を記録した紙を提出して、注意事項の説明を受けると、報道陣には取材エリア用のフェイスガードが配られた。むろん、マスク着用は必須だ。

 新型コロナウイルスを持ち込ませないための厳重な対策。上空では雨雲までにらみをきかせている毎日だったが、選手や関係者の表情には自然と笑みが浮かんでいた。

 やっと大会が開催されたという喜びがそこかしこに見えた。

右代の目標は投擲種目での自己ベスト更新。

 選手にとってはまさに待望の公式戦だった。リオデジャネイロ五輪男子4×100mリレー銀メダルのケンブリッジ飛鳥をはじめとするトップ級の選手が次々と登場。男子十種競技には、日本記録保持者の右代啓祐(34=国士舘クラブ)が出場した。

 右代はこの大会で、得意とする投擲種目での自己ベスト更新を目標に掲げていた。

「コロナの自粛期間中は技術系の種目に時間をかけて、じっくりやってきた。自信のある円盤投げ、砲丸投げ、やり投げでは単独種目でも日本選手権の標準記録を破るような記録を出したい」 

 7月23日、競技初日。右代は砲丸投げで十種での自己ベストにあと21cmと迫る14m98の好記録を出した。

 24日の第2日には円盤投げでベストまであと1m15cmの49m02を投げて、今大会での自己最高点となる850点を加算した。

 不安定な天候だったことも影響し、やり投げこそベストを大きく下回ったものの、コロナ明け初戦としては全体的にかなり良い内容だった。 

「リバース」の技術が順調だった。

 さらに右代は中1日をおいた26日に、単種目の砲丸投げにも出場した。記録は13m96にとどまったが、試合後の表情はすがすがしかった。理由は「今年からやり始めた『リバース』の技術が順調だった」からだ。

「リバースに関しては(十種競技の)1日目に順調にできていることを確認できていたので、今日は疲れのある中でどんなパフォーマンスをできるかと思っての出場でした。

 思った以上に疲れていたので距離は出ませんでしたが、手応えを掴むことができましたね。他の種目でも、もう一度全体的に底上げできそうなきっかけがありました」
 
 リバースとは砲丸を投げた後の制御動作。右代によると「砲丸を前で押し切れるので距離が伸びる」という利点がある反面、「気持ちが焦ると体が前に突っ込んだりするリスクもある」という。

「毎年自分を変化させる」

「でも、記録を向上させるためにはリバースが必要で、ずっとやりたかった技術でした。それが噛み合うようになってきたので、これからもっと磨いて自己ベストにつなげたいです」 

 すでに五輪に2度出場し経験は豊富だが、右代には「毎年自分を変化させることを自分の中の決め事として持っている」というモットーがある。

「技術を変えたり、考え方を変えたり、新たに何かを取り入れたりすることには危険が伴うと言われます。でも、僕にとっては、何もしないことが一番危険」

 そんな哲学の持ち主なのだ。

“毎年、新しいことに取り組む”と決心するきっかけとなった出来事がある。国士舘大学大学院1年だった2009年から2年間、指導を受けた“百獣の王”こと武井壮氏との出会いだ。

武井コーチ「お前、陸上だけやってても強くならねえぞ」

 当時の十種競技の日本記録は1993年に金子宗弘が出した7995点のまま。15年以上もの間、記録は止まっていた。

 そこで始まったのが日本陸連の「8000点プロジェクト」だ。日本人初の大台超え選手を育成すべく、日本陸連が'09年に強化合宿を敢行。そこにコーチとして招聘されたのが武井氏だった。 

 ある日、右代は武井コーチから「お前、陸上だけやってても強くならねえぞ」と言われ、その一言が耳から離れなくなった。

 武井コーチは体操のマット運動など、陸上以外の競技の練習をしたり、映像を見ながら力の方向を勉強する時間を設けたり、右代がそれまでなじみのなかったメニューを数多く採り入れていた。

右代はその後めきめきと成績を上げていった。

「武井さんの言葉は凄く響きました。それまでの僕は、練習をたくさんやって、体を疲れさせて、寝て、食べての繰り返しをすることで強くなると思っていました。とにかく練習をやった者勝ちだという考えでした。

 でも、武井さんの考えはそうじゃない。いろいろなことを採り入れて、目標に向かって100%正しい練習を見つけながらやる。武井さんと出会って、考えが変わりました。武井さんとは師弟関係。最も尊敬する人の1人です」

 考えを根本から覆されたことによって、右代はその後めきめきと成績を上げていった。

 '11年に8073点の日本新記録を出して、日本人初となる8000点超えを達成すると、'12年には日本選手として初めて、五輪参加標準記録を突破してロンドン五輪に出場した。(※1964年東京五輪には開催国枠で鈴木章介が出場) 

 その後の2年間は記録が停滞したが、'14年に専門トレーナーから体幹に関する理論のレクチャーを受けると、「あ、これだという閃くものがあって」(右代)、状況を打開することができた。

 すると、'14年4月に8143点を出して3年ぶりに日本記録を更新。その2カ月後の6月には8308点を出して自身の記録を塗り替えた。これが現在の日本記録である。

「今は、記録が上がるか上がらないかの狭間にいる」

 それから6年。この間、記録は伸びなかったが毎年新しいことにチャレンジすることを欠かさずに続けるというモットーは変わらない。

 前述した砲丸投げの「リバース」の技術の他にも、最近は34歳にして食生活を改善したという。それまでは自然体で過ごしてきたが、栄養士の指導を受け、足りない栄養素をあぶり出すなどしながら体調をコントロールしていることで、調子は良い。

「今は、記録が上がるか上がらないかの狭間にいる」と、ポジティブな手応えを感じている。

 日本陸連が毎年行なうナショナルトレーニングセンターでの基礎テストでは、立ち幅跳びやメディシンボール投げでの数値は下がっているが、十種競技での種目に目を移すと、円盤投げや砲丸投げは、練習中にベストが出ることもあるそうだ。

「だから僕は、テストの数値が落ちることが老化だという判断には繋がらないと思っているんですよ。それに、やり残しがあるうちは、それをなくすことで記録が出ると信じています」 

「五輪のメダルの可能性が出てきます」

 東京選手権で久々に試合の感覚を取り戻した右代は、8月8、9日に北海道千歳市で開かれる「道央陸上混成競技競技大会」に出場し、9月26日から長野市で予定されている日本選手権陸上混成大会に向かう予定だ。

「千歳では東京選手権で出た改善点を修正して、8000点台を目指します。いつでも8000点を取れる力をつけておいて、勝負するときに8300、8400、8500、8600としていく。そうすれば五輪のメダルの可能性が出てきます」

 今は大会が開かれること、そこに参加できることに幸せを感じる毎日でもある。コロナ禍に流されない34歳。ベスト記録を出した暁には、スポーツファンみんなで右代を称えたい。

(「オリンピックPRESS」矢内由美子 = 文)