<幻の20年夏>

20年夏の顔になるはずだった。競泳男子の瀬戸大也(26=ANA)は、金を含むメダル3個獲得に最高の準備を整えていた。本来なら29日は東京オリンピック(五輪)2種目目の決勝となる200メートルバタフライだった。技術、体力、海外勢との心理戦も2年かけて布石を打った。12年ロンドン五輪落選、16年リオデジャネイロ五輪銅1の悔しさを大爆発させる-。すべてが崩れた後、再出発のために大きな賭けに打って出た。

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スポーツに「たら」「れば」はない。そんなことは百も承知のポジティブ男でも、無念がにじむ。瀬戸は、五輪延期から2週間後にやっとSNSで心境をつづった。「延期が決まった時は、喪失感で抜け殻になりました。すぐに気持ちを切り替えて、来年頑張ります、なんて言えなかった」。

準備万全だった。昨夏世界選手権で個人メドレー2冠=五輪内定、200メートルバタフライも銀。五輪でメダル3個が見えた後も自己記録連発、日本新も出した。

すべては五輪への布石だった。2年前から夏でも冬でもタイムにこだわった。「海外勢に重圧をかけたい」。昨年末の米国遠征ではライバルのケイリッシュ(米国)に「世界記録、頑張れよ。おれは来年にフォーカスする」と言われ「(負けの)保険かけんなよ」と言い返した。そのレースで短水路世界新のV。休み返上で「セトは速い」という印象を植え付けてきた。

実力も蓄えた。本命の400メートル個人メドレーはケイリッシュ、萩野に自己記録で約2秒差あったが、今年1月に0秒19差に縮めた。勝負強さにタイムも加えて、金メダル候補になった。

まばゆいフラッシュが奮起のきっかけだった。18年夏のパンパシフィック選手権(東京)。瀬戸が契約する水着メーカー「アリーナ」の主催大会。公式ポスターの撮影中に「他には誰が撮影するんですか?」と聞くと「瀬戸選手だけです」。“主役扱い”でうれしさはあった。でも同4月の日本選手権は3種目すべて2位で代表入り。優勝はなかった。「こんなのでいいのかな。これで満足している。おれ、おかしくないか」。過去の悔しさを忘れかけている自分が嫌だった。

ポジティブ男が胸に刻んだ瞬間がある。埼玉栄高3の12年ロンドン大会は代表落選。高校の五輪壮行会は、陸上の土井杏南ら壇上の代表選手を仰ぎ見る生徒の1人だった。「触れられたくなかった」。だが校長が「惜しかったのは瀬戸君」。悪気はなかったが、瀬戸は担任に食ってかかった。「出ないのに言わなくていいじゃないですか、と校長先生に言っといてください ! 」。世界選手権で金4個を獲得してきたが、五輪でこそ、の気持ちがある。

積み上げた金への道は、延期で崩れた。瀬戸は4月、ある決断をした。小5から15年間指導を受けた梅原コーチとコンビを解消、高校同期の浦瑠一朗コーチを招いた。大胆な賭けは、自分を奮い立たせるショック療法だった。【益田一弘】

◆瀬戸大也(せと・だいや)1994年(平6)5月24日、埼玉県生まれ。埼玉栄高-早大-ANA。世界選手権は金4、銀1、銅2。五輪は16年リオデジャネイロ大会で銅1。17年5月に飛び込み元日本代表の優佳さんと結婚。子どもは娘2人。174センチ、75キロ。