コロナ禍の夏が始まる。第102回全国高校野球選手権と東西・東京大会は中止となったが、球児たちには「独自大会」という舞台が与えられた。だが、その勝利の先に憧れ続けた甲子園は、ない。3年生にとっては最後の夏。18日の開幕を前に、球児たちの揺れる思いを描く。

 海風に、群生するツバキが揺れる伊豆大島。太平洋を望むグラウンドで、大島の天野一道監督は視線を落とした。「これですよ」。三塁と本塁の中間に、溶岩がむき出しになっている。

 三原山の溶岩台地に土を盛ったグラウンドは、1964年東京五輪の陸上日本代表の練習地として造成された。伝説のランナー円谷幸吉も汗を染み込ませた。陸上用に造った1周400メートルの広大なグラウンドが自慢だ。しかし――。

 千葉に大停電をもたらした昨秋の台風15号。そして、多摩川を氾濫(はんらん)させた19号の豪雨が内野の土を押し流し、溶岩がむき出しになった。濁流に運ばれた無数の小石がグラウンドに散らばった。ボールに飛びついたら、ケガをしかねない。

 校内では体育館や武道場の屋根が飛び、グラウンドの復旧は後回しになった。

 部員不足のチームには今春8人の新入生が加わり、12人と頭数はそろった。だが、硬式野球は9人いればやれるほど、甘くはない。

 「ぱかーん」と飛ぶ中学までの軟式球に対し、一瞬で外野に達する硬式球。時に時速160キロを超える打球は、新入生が生まれて初めて見る超高速だ。頭に受ければ、命に関わる。

 天野監督は「捕らなくていい。まず逃げられるようになってほしい」と語る。

 秋に新チームを組む高校球児には、秋、春、そして最後の夏と、3度の舞台が与えられる。しかし、全校生徒125人の大島は例年、秋と春の都大会は部員不足で棄権し、新入生が加わる夏に懸けている。

 その最後の舞台が奪われた。5月20日、選手権大会が中止に。日本中の3年生球児が同じ思いだったろう。藤井元也主将(3年)も「何をすればいいのか、自分を見失った」と振り返る。

 その後、独自大会の開催が決まった。藤井主将は「夢がよみがえった」と語る。

 しかし、大島にはもう一つ、乗り越えなければならない試練がある。このメンバーで、はたして硬式球で野球ができるのか。天野監督は3年生にこう伝えた。「1年生を危険にさらすことはできない。練習して無理なら棄権する」

 コロナ禍で、部活動が始まったのは今月1日。チーム結成から半月で大会を迎える。まだ内野ゴロでの野手の連係や、挟殺プレーの確認程度しかできていない。体力のない1年生は、10分ほどで足が前に出なくなる。時間が足りない。

 藤井主将は「ここからです」と前を見つめるが、天野監督は「厳しいですね……」と声を落とす。

 「伝わってるよ! 前に出る気持ち」「ナイスボール。アウトだ!」

 まだ欠点だらけかもしれない。だが、先輩や監督から1年生を褒める言葉が、砂利と溶岩が露出した島のグラウンドに響き渡る。

 高橋駿介(1年)は島に生まれ育ったが、将来を考え、島を出て23区内の中学に進学した。だが、幼い頃から一緒にボールを追いかけた親友たちと、もう一度チームメートになりたかった。「大島で野球をやりたかったんです」。島に戻ってきた。自分の使命も分かっている。「僕たちがしっかりしなければ、先輩たちの夢が消えてしまう」

 高校野球の卒業試合を、先輩たちに必ずプレゼントすると決めている。=敬称略(抜井規泰)