夏の甲子園への道が絶たれた高校野球。7月からは全国各地で代替大会が始まる。2003年夏に全国制覇した常総学院(茨城)の主将で、教師として母校に戻って16年から部長を務める松林康徳さん(34)が当時の思い出を語り、教え子や全国の球児へエールを送った。

 将来の夢は「教師」。甲子園大会前のアンケートに、松林さんは記している。

 中学時代の担任教師の言葉がきっかけだった。「誰とでも話していて、皆を平等に扱っている。教員に向いていると思うよ」

 常総学院では百戦錬磨の木内幸男監督から主将に指名された。「声が一番大きいというのが理由でした。プレーで引っ張るのではなく、周りを盛り上げていくタイプでしたね」。打っては4番。ただ木内監督は「4番目」と表現していたという。「バッティング練習は嫌いでした。だって、飛ばなかったから…」

 03年夏の甲子園決勝。大会NO1投手の東北(宮城)・ダルビッシュ有(現カブス)と向き合った「4番目の打者」はスクイズのサインを待っていた。0-2で迎えた4回表1死二、三塁。「チャンスで『打っていいよ』と言われると、けっこう苦しいんです」。しかし、サインは出ない。初球、2球目とファウル。球威に押され、前に飛ばない。3球目は変化球でボール。ここで腹をくくった。

 「勝負球は、絶対にローボール。甲子園はグラウンドが硬いので、そのままたたけばポーンと弾む…」。狙い通り、低めの直球をハーフスイングのような形で打ちつけた。高く跳ね上がる三ゴロの間に、三塁走者がホームイン。後続に2本の長打が出て逆転に成功した。スコアは4-2。この夏を最後に勇退する木内監督が、甲子園で宙に舞った。

 「ヒットではないのに点を取ったり、進塁させたり…。気付いたら点が入っているのが常総の野球なんです」と松林さんは話す。しかし、17年から3年連続で甲子園を逃しているのが現実だ。「再び、競ったら負けない常総に…」と復活を誓っていたところで、新型コロナウイルスによって道は絶たれた。

 昨秋に結成された現在の3年生を中心としたチームを「弱い代だと思っている人が多い」と言う。しかし、松林さんの感触は違う。「誰が出ても素直に応援し、誰が打っても喜ぶ。力で圧倒することはできなくても、9回が終わったら勝っている。面白いし、強い代だと感じています。だから、そのまま結果を出してほしいですね」。教師として生徒に寄り添い、フラットな目で接してきた。選手を信じ、自分を信じ、特別な「夏」に臨む。(取材・構成=浜木 俊介)

 ◆松林 康徳(まつばやし・やすのり)1985年8月19日、神奈川県生まれ。34歳。右投右打。常総学院では3年時(03年)に主将を務め、「4番・一塁手」として夏の甲子園大会で優勝。専大を卒業後、常総学院でコーチ。16年に部長に就任し、同年夏の甲子園に出場した。情報科教師。家族は夫人と2男。