何か違和感、それもいい意味での違和感。

 国枝のバックハンドにそれを感じたのは、2017年ウィンブルドンの初戦だった。

 ウィンブルドンのコートは芝生だ。車いすの部は大会後半に行われるので、芝が荒れて地面が見え始めるころに初戦を迎える。違和感について最初は芝生の影響かもしれないと思ったが、何かが違う。

 テニスのフォトポジションはそう変わらないので、何度も何度もこの角度から撮影してきたはずだ。なのに、体の伸び方、勢い、ラケットの使い方……。“何か”が違った。はじめて撮影したアテネパラリンピックから10数年、彼のバックハンドにあんなに興奮したのは初めてだった。

 国枝慎吾は言わずとしれた世界的な車いすテニスプレーヤーの1人であり、パラスポーツの魅力を長年にわたって私たちに見せつけてくれている選手だ。バックハンドとチェアワークを武器に、世界のトップを走ってきた。

 パラリンピック初出場となった2004年のアテネ大会でダブルス優勝、北京、ロンドン大会ではシングルス連覇を達成。26度のグランドスラム優勝を誇り、2015年は5回目の年間グランドスラムを達成している。そして3連覇を期待されていたのが2016年のリオ大会だった。

 しかし、結果は準々決勝で敗退。右肘の痛みは限界に達していた。

国枝の代名詞「バックハンド」。

 その昔、車いすテニスのバックハンドはスライスショットが多かった。スピードはないが、滞空時間が長く弾まない球だ。車いすテニスでは片手にラケットを持ちながら瞬時に車いす操作を行うため、地面からの反発力も利用できず、バックハンドのトップスピンは不可能だと長らく思われていた。

 ところが現在、世界の男子のトッププレーヤーたちはトップスピンのバックハンドを打っている。ボールにスピードが出て、バウンド後に伸びるため、トップスピンは攻撃的な武器になる。そのバックハンドを最初に自分のものにしたのが、北京パラリンピック前の国枝だった。

 スライスからトップスピンのバックハンドが主流になったことで、車いすテニスでは格段にレベルの高い、攻撃的で魅力的な戦いが繰り広げられるになった。しかし国枝の代名詞である「バックハンドのダウン・ザ・ライン」の負担は、肘に蓄積していた。

エレベーターで閃いたスイング。

 国枝のバックハンドに“違和感”を感じたウィンブルドンから半年後、新たに契約を結んだラケットメーカーでの取材にカメラマンとして同行した。その時に国枝は、肘の痛みを軽減させるためにバックハンドを新しいフォームにしている、と説明してくれた。

 高めのボールを狙って打ち込める攻撃的なバックハンドを手に入れるために、トップ選手たちのバックハンドを研究し、「それまで手打ち気味だったスイングを、手首をフラットにしてラケット面を地面に対して平行にした。手首を反らさず、肘をあげて角度をつけた。一気に大幅に変えるわけではなく、一歩下がって二歩進むような改造をした」という。

 なるほど、違和感はこれだったのか、と腑に落ちた。

 そして、「初戦敗退した2017年の全米から帰国して、自宅マンションのエレベーターに乗っている時に、そこの鏡でシャドースイングをした。そしたら閃いて、急激にいま改善しているスイングの意味がわかった気がした。翌日コートで打ってみたら、面白いように入ってね」と笑っていた。

 新バックハンドは、エレベーターで誕生したのだ。

 そして数カ月後、2018年1月の全豪オープンで優勝し、国枝の快進撃が始まる。2019年は自身のキャリア最多勝利を納め、2020年1月、国枝はITF世界ランキング1位に返り咲いた。

国枝を撮る海外のベテラン選手。

 話は戻るが、「他の選手の研究をした」という言葉から思い出したことがある。

 トップ選手が集まるJAPAN OPENで木陰に隠れながら、海外のベテラン選手が国枝の練習を携帯で録画していたのだ。車いすテニスは、それまで不可能とされていたことをトップ選手が覆し、進化させてきた。

 国枝選手のバックハンド、フランス選手のパワーサーブ、アルゼンチン選手の半端ない強打。

 トップ選手が互いの良さを研究して新たな境地を切り開き、観客を魅了することで車いすテニスそのものの「スポーツとしての価値」を上げてきた。国枝が他の選手に与えた影響は計り知れない。

リオの敗戦からすべてを変えた。

 2019年秋に行われた楽天オープンで1年ぶりに撮影した国枝選手のバックハンドは、エレベーターで生まれた形からさらに進化してインパクトがより力強くなり、相手に時間を与えないものになっていた。フォアハンドのインパクトもさらに強さを増し、一段上の強さを手に入れた印象を受けた。

 国枝について忘れられないエピソードがもう1つある。

 2009年、北京パラリンピック後の取材で、「海外の選手はみなプロとして活動している。僕は所属先があって守ってもらっている状態。それでは貪欲さで負けてしまう。彼らと同等に戦うため、勝つためにプロに転向することにした」と話していた。

 今のような企業によるサポートもほとんど無かった時代に、1人世界の戦いの場に立ち向かう姿が記憶に残っている。

 リオ大会の敗戦から4年、コーチが代わり、車いすの高さを調整し、ラケットメーカーも変わった。そしてバックハンドを含む、テニスそのものも。

 強くなるために、勝つためにどこまでも貪欲である姿を、私はこれからも、一番近い場所(フォトポジション!)から楽しみたい。

(「パラリンピックPRESS」吉村もと = 文)