Jリーグがある日常が戻ってきた。J2が約4か月ぶりに再開、J3は約3か月半遅れで開幕した。試合はリモートマッチ(無観客)で開催され、J3では今季初昇格した元日本代表監督の岡田武史氏(63)がオーナーを務める今治は、岐阜に0-0でドロー。J初陣で初の勝ち点(1)を手にした。昨季は今治を指揮し、97年のフランスW杯では岡田監督のアシスタントコーチを務めた日本協会の技術委員会副委員長の小野剛氏(57)が、岡田オーナーの今治にかける思いを語った。

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 中国の杭州緑城での挑戦を終えて少したった頃、岡田さんから今治の構想を聞きました。海外のコピー&ペーストだけじゃなく、我々日本人の特徴を生かして世界と戦っていこうと。16歳までにサッカーの原則を教え、以降は自由な発想でプレーするという岡田メソッドの前の段階ではありましたけど、目の付けどころはさすがだなと思いました。

 そのためにあえて基盤のない、真っ白なキャンバスの今治を選んだ。でも「我々がこんなことをやりたいんだ」ではなく、「町が元気になるために一緒にやりたい」という姿勢だったからこそ町の人から応援してもらえた。

 サッカーの面でも地域とともに強くなろうとしています。今治の中学や高校にも巡回し、岡田メソッドを提供している。昨年度の高校選手権では今治東中教校が16強に進出。選手や指導者の頑張りによるものですけど、誰よりも喜んでいたのは岡田さん。応援団席で2人でど派手な蛍光ピンクのジャンパーを着て、童心に帰って応援しました。

 これまで岡田さんとは98年のフランスW杯、10年の南アフリカW杯、中国と一緒にやっていますが、常に違うチャレンジでした。岡田さんは、何か自分を突き動かすものには必ずチャレンジしていく。自分でも言っていますけど、俺は遠洋のマグロだからと。マグロは泳ぎ続けないと死んじゃうんですよ。いつも挑戦している時は「俺はもうこんなプレッシャーはいいし、作物でも作ってゆっくりしたい」と言いますが、やめて少したつと、次のチャレンジがしたくてウズウズしてくる。これからも、今治の、そして日本サッカーのために泳ぎ続けてほしいですね。(小野 剛)

 ◆岡田 武史(おかだ・たけし)1956年8月25日、大阪市生まれ。63歳。天王寺高から早大に進み、80年に古河電工(現千葉)に入社し、90年に引退。95年に日本代表コーチに就任。97年、更迭された加茂周監督の後を受けて監督に昇格。日本を初のW杯出場に導いた。99~2001年に札幌を指揮。03年から横浜M監督に就任し、リーグ制覇。07年末に再び代表監督に就任し、10年南アフリカW杯で16強進出。12年から中国スーパーリーグの杭州緑城の監督を2年務める。14年11月から今治のオーナーに就任。19年6月に日本サッカー殿堂入りが決定。

 ◆今治の歩み

 ▽14年11月 四国リーグに所属するFC今治の運営会社の株式を、岡田氏が過半数取得。オーナーに就任

 ▽16年11月 全国地域チャンピオンズリーグで優勝を果たし、JFL昇格が決定

 ▽17年9月 J3参入に必要な5000人規模の「ありがとうサービス.夢スタジアム」が完成

 ▽19年11月 監督に小野剛氏を迎え、元日本代表DF駒野、同MF橋本らを補強して臨み、JFL3位に。初のJ3昇格が決定