今月25日に開幕予定だった陸上の日本選手権は、新型コロナウイルスの影響で10月1~3日に延期された。本来は、東京五輪代表の最終選考会となるはずだった一発勝負の舞台。4年前に、リオ五輪切符を争った16年大会(愛知・瑞穂陸上競技場)の男子100メートルを制したのが、ケンブリッジ飛鳥(27)=ナイキ=だった。このほどスポーツ報知の取材に応じ、4年に1度の特別なレースを勝ち抜いた心の持ち方を振り返り、来夏の東京五輪への思いも明かした。(取材・構成=細野 友司)

 雨中の夜だった。4年前の高揚感は、今もはっきりとよみがえる。ケンブリッジは、山県亮太(28)=セイコー=を0秒01、距離にして10センチ差で抑え、初の日本王者に。そして、リオ五輪内定を勝ち取った。

 「勝てたことと同時に五輪に行ける喜びと。最高の瞬間だったな、というのは今も思い出しますね。普通の雨は嫌だけど、あの時だけはいい雨でした。4年に1回、五輪が決まる日本選手権というのは、今までのどのレースよりも緊張感があったと思いますね」

 日本選手権の時点でリオ五輪参加標準(10秒16)は突破済み。優勝で内定というシンプルな状況で、どれだけ完全燃焼できるか。一つの方法が自己暗示だった。

 「勢いがあったから、自分もやれる、勝てると言い聞かせていた記憶はありますね。(レース前の)招集所では音楽も聴かず、誰とも話さず、自分の走りをイメージし続けた。(スタートが得意な)山県さんが先に出るけど、焦らず後半に持ち味を出そう。真ん中の5レーンだから、思い切り走ろうと言い聞かせてスタートラインにつきました」

 序盤は左隣4レーンの山県が先行。右隣の桐生祥秀(24)=日本生命=と競り合いながら追った。事前に何度もイメージした通りだ。中盤過ぎに湧き上がってきた確信を胸に、差しきった。

 「走っている間は、歓声は全く耳に入ってこなかった。山県さんがここにいて、桐生がここで、と両隣の位置を意識していた。少し遅れたなとは思ったけど、自分の勢いと、(山県との差が)詰まりそうな感覚があった。行ける、と思ったのは60メートルくらいでした」

 紙一重の差で敗れた山県も「勝ったかなと思ったが、ケンブリッジ君に抜かれていた。最後以外は自分のレースだった」と末脚をたたえた。優勝タイムは10秒16。自己ベストには及ばないが、向かい風条件では好記録。その中で、不思議な感覚を抱いた一本でもある。

 「体感的に、長く感じたレースでしたね。自己ベスト(10秒08)を出したレースなどは、興奮してあっという間に感じることもあるけど、あのレースは残り30~40メートルが長かった。それだけ頭と体を使って、勝てたレースだったと思います」

 大会自体も、異様な熱気に包まれていた。約2週間前に、桐生が当時の自己ベストタイの10秒01を記録。日本選手権で初の9秒台決着も現実味を帯び、注目度はうなぎ登り。そんな状況を、気負いや緊張ではなく「幸運」と捉えたことが、平常心の裏にはあった。

 「注目がうれしかったですね。満員の中で走れることなんて、今までどれくらいあっただろう。自分は運が良いな、と考えていた。ずっと9秒台で注目された山県さんや桐生が積み重ねてきた部分もある。(熱気は)これまでやってきた人のおかげもあるから、(16年に急成長した)自分は本当に運が良いと思いました」

 もう一つ、強さを下支えしたのが、観客を楽しませようとする心。16年は4月の織田記念国際から順調にレースを重ね、5月には10秒10の好記録をマーク。リオ五輪が現実味を帯びる中でも、信条を貫けたことが一発勝負での強さを生んだ。リオでの本大会もスタンスは同じ。400メートルリレーではアンカーを務め、過去最高の銀メダル獲得に貢献した。17年にプロ転向した今は、観客の心を動かす走りを追求する思いも強まっている。

 「手応えや確信はあっても気負いはなくて、余裕を持ってやれていました。気持ちの作り方がうまくできたと思います。ボルト選手を見てもそうだけど、やっぱり人を楽しませられる選手が強いと思う。リオのメダルで、陸上界も自分の人生も大きく変わった。来年の五輪に向けても、楽しんで走る自分を見てもらって、お客さんを楽しませたい」

 10月に延期された日本選手権は東京五輪選考対象にならず、しびれる一発勝負は来年大会に持ち越しとなった。冬季は体のバランスや上半身と下半身の連動性を見直し、復活へ明るい兆しも感じ取っている。100メートルは日本記録保持者のサニブラウン・ハキーム(21)=米フロリダ大=、自己ベスト9秒98の小池祐貴(25)=住友電工=も台頭。3枠の五輪切符を巡る争いは、4年前より格段に激しい。

 「ライバルがいるのは幸せですね、やっぱり。4年前も、誰か一人でも欠けていたら、きっとあれほど注目されてはいないと思います。来年日本選手権決勝で走るのは、今までないくらいレベルが高い8人になる。リレーのメダルも目指したいですけど、まずは個人でしっかり(100メートルの)代表権をクリアしたいですね」

 ◆リオ五輪男子100メートル選考要項と東京五輪への道 3枠を争ったリオ五輪は、16年日本選手権で派遣設定記録(10秒01)突破者が8位以内(複数いる場合は最上位)に入るか、参加標準(10秒16)突破者が優勝すれば即内定。残りは参加標準記録突破者の中から選考する方式だった。派遣設定を満たしたのは桐生だけ。参加標準突破者はケンブリッジ、山県、高瀬慧の3人だった。レース結果で、優勝のケンブリッジと3位・桐生が内定。山県も選考で選ばれた。東京五輪も枠は最大3。要項の詳細は未定だが、来年の日本選手権が主要選考会となる見通し。

 ◆陸上五輪選考会過去の激闘

 ▼男子マラソン 04年アテネ五輪代表を争った03年福岡国際。国近友昭、諏訪利成、高岡寿成が、三つどもえで日本人トップを巡って激しく争った。37キロで諏訪、38キロで高岡が相次いでスパートをかけるも、不発に。他選手の動きを冷静に見極めていた国近は40キロで先頭に立ち、高岡が脱落して諏訪と一騎打ちに。残り800メートルで諏訪を突き放し、3秒差で優勝した。3位の高岡も粘り、国近とは7秒差の僅差だった。この3人から国近と諏訪が五輪代表になった。

 ▼男子1万メートル 12年ロンドン五輪代表を争った同年日本選手権。ラスト1周のスパート勝負にもつれ、佐藤悠基と大迫傑が最終盤まで激しく争う展開になった。ラスト300メートルで佐藤がスパート。最後の直線まで食らいついた大迫を、0秒38の僅差で振り切って優勝した。「後ろから来てたのは分かっていたが、勝った方が五輪に行くと思い、絶対抜かせないという気持ちで走った」。佐藤がロンドン五輪代表切符を手にした一方、2位となった大迫は五輪を逃し、明暗が分かれた。

 ▼女子マラソン 16年リオ五輪代表のラスト1枠を争う、同年3月の名古屋ウィメンズマラソン。残り5キロから田中智美が小原怜と日本人トップの座を巡ってデッドヒート。田中は、ゴールまで残り200メートルとなるナゴヤドーム内の直線で最後の力を振り絞って加速。小原を1秒差で振り切って、自身初となる五輪切符を手にした。「誰よりリオに行きたい気持ちは強かった」。小原は「1番以外がダメなのは分かっていた。自分の力が足りなかった」と、ゴール後はあおむけに倒れ込み、両手で顔を覆って号泣した。

 ◆ケンブリッジ 飛鳥(けんぶりっじ・あすか)1993年5月31日、父の母国のジャマイカ・モンテゴベイ生まれ。27歳。2歳の時に大阪に引っ越す。小学時代はサッカーに取り組み、陸上は中学から本格的に始める。東京高―日大。17年からナイキ所属のプロ選手。五輪は16年リオ大会で初出場し、400メートルリレー銀メダル。世陸は17年ロンドン、19年ドーハの両大会で代表入り。100メートルの自己ベストは10秒08。180センチ、76キロ。