ラトビア1部リーグ・FKイェルガヴァでコーチという肩書きを持ち、日本人初となる欧州1部リーグ監督を目指す中野遼太郎氏による連載『フットボールの「機上の空論」』。今回のテーマは選手の「市場価値」について。4カ国を渡り歩いた現役生活では自らを売り込み、契約に至るまで全て1人で行ってきたという中野氏が考える、プロとして必要な心構えとは。

 僕は10年間のささやかな現役生活において、そのすべてを海外で過ごしました。

 しかし選手としての力不足から「あなたと契約したい」というマネジメント会社がなかったので、そのほとんどの移籍と契約を自分で管理することになりました。この経験は僕にたくさんの財産をくれましたが、もし僕がとても有能で、そのような仲介業にあたる人々から「積極的に」求められる、もっといえば争奪戦になるような人材であったならば、確実にそういったプロの組織に仕事を預けることを選ぶ、ということは、最初に明確に示しておきます。

 これはとても重要な部分で、僕は誰でもいろいろと自分でやるべきだ、そうしながら自身のキャリアを「切り拓く」べきだと語るつもりはありません。というより、ある一定以上の領域からは「自分でやる」のは不可能になります。

 ただし、競技スポーツの世界、とりわけプロの世界では、誰もが平等に、みんなが積極的にお互いを求めあうわけではありません。こちらは求めているのに、相手は必要としていない、という事態は起こります。けっこう頻繁に起こります。

 そして僕の場合は「仲介で助けてくれる人がいないなら選手生活を諦めます」という程度の熱量でプロ選手を目指していたわけではありませんでした。良く言えば自ら道を「切り拓き」ながら、より実際に則した言葉を使えば「見えた藁にすがりつき」ながら、僕なりのキャリアを継続させてきました。

トラブルさえもなかったことにする。

 異国で自分を売り込み、テストと宿泊をアレンジして、契約交渉を行い、さまざまな事務手続きを、自分の責任のもとで管理し、完了させる。これは自らトラブルに挨拶しに行っているようなもので、ほとんどのトラブルが律儀に、そして大声で挨拶を返してくれます。当初は「失礼します」と慎重に対応していた問題にも、慣れてくれば「ごきげんよう! 今日も元気にのさばってるね!」と言えるようになります(言えるようになるだけで解決はしません。「適応すること」と「解決すること」は似て非なるものです)。
 
 たとえばタイには、持ち帰った1のトラブルを、次の日には10にすることの出来るマジシャンがいました。ロシアには、持ち帰った10のトラブルを、次の日には「存在しなかった」ことにするマジシャン(たぶんグループ)がいました。ポーランドには、1で持ち帰ったトラブルを、丁寧にリボンで包装して、綺麗に1のまま返却してくれるマジシャン(たぶん見習い)がいました。そういう相手に、個人の知識と責任において、しかも自分が本気で求めているものを懸けて対峙するというのは、非常に骨の折れる作業です。自分で挨拶しに行っているとはいえ、です。
 
 前置きが長くなりました。

 今回は、いまは誰にも必要とされていないけれど、自分だけは自分の描く未来を強烈に必要としている人に向けて、あるいは後ろ盾はないけれど一歩目を切り拓いていく必要のある人に向けて、僕が「いろいろ自分でやってみた」経験から、どの藁を掴んだのかという部分を書いてみたいと思います。

自分の値段に気づくまでに3年。

 数えてみました。

 僕は10年間で、8カ国、21チームのテストを受け、14回テストに落ちています。そしてそのうちの11回を、最初の3年間で経験しました。この時点で、すでに藁の香りがしているのではないでしょうか。11回の不合格。いま振り返っても痺れます。並行してクレジットカードの審査まで不合格だったときには泣きました。ええ、泣きましたとも。
 
 しかしその「最初3年」と「それ以降」は、僕のなかでは大きな違いがあります。

 それが「市場価値」に関する考え方です。実はすべてのサッカー選手には値段がついているのですが(メッシから僕まで、あらゆる選手にいくらの価値があるか算出している機関があります)、僕はその「自分の値段」の重要性に気付くのに3年かかりました。藁のうえにも3年、です(座り心地は意外に良さそう)。

大卒オファーなしの価値は「0円」。

 僕は大卒で海外挑戦しました。が、そもそも大卒で日本国内でプロオファーがないということは、自分がプロキャリアをまったく持たない22歳であることを意味します。市場価値は「0円」です。22歳で値段がついていない(ついたこともない)という状況は、ほぼすべての選手が10代からプロ契約している欧州や南米の買い手から見れば、かなり致命的です。

 サッカーは個人競技ではないので、「独立」や「起業」をして大会に参戦することはできません。必ず誰かに買ってもらう必要があります。そして、値札のない野菜にあえてお金を支払う客がいないように、値札のない選手を買ってくれるクラブもほぼ存在しません。あるいは、あえて値札のない商品を手に取る、という博打的なマインドの組織は、それ相応の財政的な問題を抱えている場合が多いです。

 つまり、なによりも最初にすべきはことは、自分に適正な値段をつけてもらうことです。倫理的な話ではなく、売り買いが発生するという点で、選手は商品といえます。しかも際限なく代替可能で、光の速さで時価が移り変わる商品です。そして商品である以上、市場に乗らなければいけません。

クラブは夢を買うわけではない。

 ここで肝要なのは、クラブのスカウトや強化部は、あなたの夢を買ってくれるわけではない、ということです。たとえば、海外挑戦!という大義は、極めて島国的なこちら側の理由(それは尊い理由ですが)で、向こうはその選手の「小さい頃からの憧れが達成されたか」というところにはおそらく興味がありません。このあたりの齟齬はJリーグから海外に出ていく選手にも稀に起こるように思います。

 そして選手の獲得判断を下しているのも人間である以上、そこには「失敗したくない」という意思が介入します。メガクラブであれば、体系化された「独自の獲得基準」に沿って、大量のデータを見極めた専門家の判断が下されていると思いますが、世界を形作っているのは最先端のメガクラブだけではありません。

 特に現地に何度もスカウトを送るような予算規模ではないクラブの場合、あるいは「ほぼ誰かの独断」でそういう決定が下されているクラブの場合、第三者機関の評価である「市場価値」(つまり選手の値札)は大きな担保になります。「とんでもない選手を連れてきた」と糾弾されるのは、自分たちだからです。1000円のカボチャならまぁ美味しいはずだ、と予想がつくのと同じで、値段がそのまま信用になることがあります。

情熱、運だけでは数日で淘汰される。

 僕のことに話を戻します。

 大卒で最初に契約したのは、ドイツの下部リーグでした。

 当時は「このサッカー大国で駆け上がっていくぞ」と息巻いて、「0円」のまま、たくさんのクラブのテストに行きました。しかし、たとえばブンデスリーガのクラブが、年齢的にも中堅の、自国の下部でプレーする日本人を「ちょっと見てみる」理由など、どこにもありませんでした。チャンスの扉は確かに存在しますが、それが開くときに適切なものを携帯していなければ、ドアノブに手をかけることすら叶いません。

 適切なものとは、多くの場合「第三者からの評価」(あるときは市場価値、あるときは信頼に足る推薦など)です。情熱、強運、行動力、そういうもので扉が開くこともありますが、どれも「人よりすこし持っている」程度では開くことはありません。そして言うまでもありませんが、扉が開いても実力がなければ数日で淘汰されます。

 僕は、鈍感でタフでした。

 勝手にクラブに履歴書を送りつけたり、会ったこともない外国人に、その人さえ会ったこともない外国人を紹介してもらったり、練習見学のフェンスの外からコーチに直接話しかけたり、情熱と大迷惑のあいだを縦横無尽に駆け回っていました。

 けれど残念ながら、自分に値段がつく、という発想が一切ありませんでした。僕にとってはサッカーとは生き甲斐であり、ただ一生懸命に挑戦していれば報われていくはずのもので、夢に対して「自分の見せかた」や「戦略」を持つことは、当時の思いを表現すれば「なんかせこい」ものだったのです(この一連の経験の価値と、選手としての市場価値はもちろん別の話です)。

夢と値段を持ち合わせること。

 おそらく自分の夢が純粋であればあるほど、「自分に値段がつく」というマインドを適切に持ち合わせることは大切です。夢に対して正々堂々といることと、戦略的に自分の可能性を解放してあげることは両立できます。なぜなら、必ず最後は「実力」でジャッジが下されるからです。どの経路を通っても、選手はやがて、実力相応の場所に辿り着きます。だからもし「自分の実力」を信じているなら、信じたいと思っているのなら、戦略的にドアの入口にたどり着くことを躊躇している時間はありません。

 幸運なことに、日本に生まれれば「サッカーで成功しないと母国の家族が生活できない」というような世界を知らずに成人できます。サッカーがダメなら犯罪に手を染めないといけない、という事態にはなりません。しかし世界で対峙するのは、時にそのような2択をくぐり抜けてきた選手たちです。

 たとえば日本には、J1からJ3まで56クラブがあります。島国という物理的な閉鎖性から、高卒、大卒のタイミングで外国人選手と競合するケースは少ないでしょう。18〜22歳の有望選手は、基本的にはこの56チームから進路を選び、そして数年の猶予を経て国内での立ち位置を確保し、海外へと旅立っていきます。

「商品であること」を知る環境とは。

 一方で、欧州も、南米も、アフリカも、大陸です。大会や試合ひとつとっても国境間の移動ハードルは低いので、彼らは10代から国籍や人種の多様性が確保された、分母の大きな競争の中にいます。「自分を獲ってくれる可能性」があるのは56クラブどころではありません。隣国にも、そのまた隣国にも、それこそ無数に進路があります。それは選手としてのチャンスが大きいことを示す一方で、個人単位の価値をジャッジされる機会が多いことも意味します。先頭に立つためにブラジル人とセネガル人と競合して、やっと契約をもらったと思えば、すぐ後ろにはメキシコ人とフランス人が並んでいる。そういう環境で並行して「自国選手」とも争っていくのです。

 そのなかで、彼らは本質的に「自分が商品であること」を知るのではないでしょうか。自分には値段がついていて、代わりはいくらでもいて、時間的猶予などなく、いつだってピッチ上で判断されることを、論理ではなく肌感覚で理解する。得点に固執する精神や、自分を絶対に譲らない精神は、このなかで(さらに強烈に)醸成されているように思います。彼らは日々ショーウィンドウに並べられていることを理解していて、キャリア序盤のピッチに転がっているのは夢、やりがいよりも「生活そのもの」です。
 
 僕はそういうこと、つまり日本で「ハングリー精神」と一括りにされているものが、どういう成り立ちなのかを、かなり上っ面で捉えていたことに気づきました。具体的には「自分が買われる」という感覚の根付きかたに、周囲との差を最も感じたのです。そういうことに思い当たるのに、だいたい3年かかりました。藁の3年です。愚直に体当たりしていたので、生傷は絶えませんでしたが(たとえば11回の不合格コレクションがそれにあたります)、実践の場で学んだことは本当に多かったです。

弱小国でもプレーすれば価値がつく。

 すでに24歳になっていた僕は、自分に値段をつけるほとんど唯一の方法が、「小国の1部リーグ」でプレーすることだと仮定しました。弱小国でも、トップリーグで試合に出場すれば「市場価値」がつきます。TV放映があり、国際大会への出場権があり、ある程度整備されたリーグ戦とカップ戦があります。大国の下部リーグに所属すると「トップリーグには届かない選手」という印象を持たれることがありますが、「小国のトップリーグ」に所属すると、その天井はやや曖昧になるので、もしかしたら彼はやるのでは?という期待を自らに含ませることができるかもしれない、と踏んだのです。

 そして現代には、SNSがあります。

 僕の契約のうち2つは、SNSのダイレクトメッセージから決まりました。僕は自身のプレー映像を動画サイトに載せて、それを「選手を探しているクラブ、個人の仲介人」の間で話題にしてもらえるようにアプローチして、「で、いくらなの?」と言われたときに「市場価値はこれくらいです」と明確に言える準備をしました(ちなみに僕の市場価値は、一番高い時期で4200万円くらいでした。それは代表選手からしたらささやかな値段ですが、0円から始めた自分にとっては無視できない数字です)。

 つまり僕がしたことは、まずは自分が価値になりえる場所を選び、それを「第三者」に定義してもらい、さらに広く知ってもらう手続きをした、ということです。これは、ある程度までは自分で行うことができます。

競技者に純粋性を求める傾向がある。

 より競技のレベルが高い場所、満員のスタジアム、潤沢な給料みたいなものに対する憧れは、おそらく大多数の競技者の根底にあります。一方で周囲は、競技者に童心の純粋性を求める傾向にあります。お金にうるさい選手や、「自分の見せかた」を周到に用意している選手は、どちらかというと敬遠されます。僕自身で言うと、藁のうえの3年のほうに好意を抱く人が多いことも体感してきました。

 だからこそ、戦略的なマネージメントを本人以外で担ってくれる人(組織)が必要なのですが、それは上位の界隈で循環している現状があります(それは需要の観点から当然のことです)。
 
 たとえ個人的な挑戦であっても、戦略を持つことは「夢の純粋性を解放してあげること」に繋がる、というのが今回の一応の結論です。それは無垢に挑戦するという童心の純粋性ではなく、本当に辿り着くにはどうすればいいか頭を絞る、という意志の純粋性を試すものです。

 今回の文章が、一歩目を自分で切り拓いていくべき人のヒントになり、同時に決して「正解」にならないことを願いながら、筆を置きたい(パソコンを閉じたい)と思います。

(「フットボールの「機上の空論」」中野遼太郎 = 文)