開幕前にヤクルト・高津臣吾新監督に話を聞いた。テーマは「野村克也の言葉」で、『Number PLUS』最新号「野村克也と名将の言葉学。」に掲載するためのものだった。

 このインタビューでは、監督と選手という立場だった1990年代から野村氏が逝去されるまでの折々の思い出と、その言葉について尋ねた。

 このとき強く印象に残ったのが、「自分が監督となった今こそ、もう一度じっくり意見を聞きたかった」、「自分が年を重ね、少しずつ野村さんとの関係も近くなったからこそ、ゆっくり話をしたかった」、あるいは「僕の野球を見てもらいたかった」と、高津が何度も繰り返したことだった。

「監督と選手」という立場であり、すでに還暦だった野村とまだ20代だった高津。この頃、両者の距離ははるかに遠いものだった。しかしその後高津は、日本からアメリカに渡り、さらに韓国、台湾、そして日本の独立リーグでもプレーをした。通算286セーブを記録し、名球会メンバーにもなった。

 すでに50代となり監督に就任した今なら、また新たな関係性を築けるのではないか? 今までにない気づきや発見があるのではないか? 高津の言葉の裏には、そんな無念さが透けて見えるようだった。

監督就任のあいさつで……。

 言葉の人であった野村について、彼はこんなことを口にした。

「褒められたことはほとんどなかったですけど、いつもいいタイミングで野村監督は言葉をかけてくれました。選手たちに自ら考えさせるような言葉をくれました。でも、皮肉の方が強く印象に残っていますけどね。監督就任が決まって、ごあいさつに行ったときも、“他におらんのか?”って言われましたから(笑)」

 それでも、高津はきちんと理解していた。

「監督は絶対に口にはしないけど、僕がヤクルトの監督に就任したことは絶対に嬉しかったはずですよ。だからこそ、野村監督に僕の野球を見てもらいたかった。いろいろアドバイスをもらいたかった……」

 無念そうに高津は言った。おそらく、野村もまた愛弟子がどんなチームを作り、どのような野球を展開するのか、自らの目でしっかりと見届けたかったに違いない。

高津臣吾の言葉には力がある。

 野村の薫陶を受けた男が、今季から古巣ヤクルトの指揮官となった。高津もまた、恩師同様に「言葉の力」を信じている。開幕前日、さっそくその本領が発揮される。

 それは選手に対してではなく、ファンに対してのものだった。球団公式ツイッターを通じて、高津は直筆でこんなメッセージをしたためた。

 最初にメッセージを書いた時の東京は、桜は満開でしたが雪が降ってました。あれから約3カ月…みなさんの我慢や努力のおかげで、プロ野球は明日開幕します。しかし、命を救うために頑張ってくださっている、医療従事者のみなさんへの感謝は絶対に忘れません。選手が全力で戦う姿を応燕して下さい。宜しくお願いします。さあ野球を楽しもう!!」

 真摯な思いのこもったメッセージだ。自ら筆を持ち、真っ白な紙に向かい、心を込めてしたためたのだろう。

ファンへの言葉にもこだわりがにじむ。

 ポイントは「応燕」の文字だ。一般的な「応援」ではなく、ヤクルトファンが好んで使う「応燕」という文字をチョイスしているところに、高津新監督の持つ、言葉の微妙なニュアンスに対するこだわりが窺える。やはり、野村の教えを受けた高津もまた、「言葉の人」だった。

 3月10日、当初予定されていた20日からの開幕が延期されたときにも、高津はすぐにファンに向けてメッセージを発している。

「開幕延期は、非常に残念です。お客様も待ち遠しく思っていたと思います。開幕した時に素晴らしいプレーが見せられるように、全力を尽くしてしっかりと準備を進めていきます。ウイルス感染が一日でも早く終息に向かい、開幕できることを祈っています」

 6月10日には、公式ファンクラブ「スワローズクルー」会員限定のビデオメッセージもリリースしている。

「私たちは力の限り戦います。そのためには、スワローズクルーのみなさんの熱いご声援が必要になります。みなさん、今年のスローガンを覚えていらっしゃいますか? 《NEVER STOP 突き進め!》です。このスローガンは“辛いことや苦しいこと、いろいろな思いがありますけれども、前を向いてしっかり進んで行こう”という気持ちや思いが込められたスローガンです。スワローズが一歩でも、半歩でも少しでも前進できるようにファンのみなさんの後押しが必要となります。ファンのみなさんの声援がその一歩を踏み出す勇気となり、力となります。みなさんの熱いご声援よろしくお願いします!」

 折に触れて、自らの言葉をファンに伝えようとしている姿勢がよく伝わってくる。当然、選手たちにも、血の通った言葉を投げかけているであろうことは想像に難くない。

「もっと野村監督に教わりたかった」

 こうして6月19日、ついに2020(令和2)年のペナントレースが始まった。神宮球場に中日を迎えた雨中の開幕戦は4時間49分の激闘の末に敗れ去った。初陣を飾ることはできなかったが、翌20日の第2戦では小川泰弘の好投で「監督初勝利」を手にした。試合後、殊勲の小川と並んでウイニングボールを手にしながら満面の笑みを浮かべる高津は本当に嬉しそうだった。

 開幕当日のサンケイスポーツでは「改めて『野村監督の野球を継承しなければいけない』という思いを強くしています」と述べ、監督初勝利を手にした翌21日付のスポニチに掲載された独占手記では「『監督・高津臣吾』としての初勝利は、野村克也監督に報告したいと思う」とつづり、改めて「まだ監督としては未熟なので、もっと野村監督にはいろいろ教わりたかった」と続けている。

同じことはできなくても、継承を。

 野村克也が生きていれば……。この思いをもっとも痛切に感じているのが高津だろう。今となっては、それはかなわない。それでも、「野村野球を継承していく」と繰り返し口にしているように、高津の胸の内には常に恩師の姿が宿っている。

「野村さんと同じことはできない」と苦笑いを浮かべつつ、それでも次代に「野村野球」を伝えていく使命を感じていることは間違いない。ファンに対して「応燕」という言葉を使って真摯なメッセージを伝えたように、選手たちにも適切なタイミングで飛躍のきっかけとなるような言葉を投げかけていくことだろう。

 高津は言う、「言葉は武器だ」と。そして、次のように続けた。

「言葉一つで人をやる気にさせたり、逆にやる気を失わせたりもできます。軽はずみなひと言が人を傷つけ、思わぬ事態を招くこともあります。もちろん、ほんのひと言が人生を好転させるきっかけにもなります。だからこそ、言葉は武器なんです」

 それは、言葉の持つ力を十分に知る者の発言だった。本人の言うように、言葉は武器だ、大切な戦力だ。人間を生かすも殺すも言葉次第だ。

 自らのことを「僕はペラペラしゃべりすぎるから、言葉に重みがない」と苦笑いする高津新監督。それでも、野村には野村の言葉があったように、高津には高津の言葉がある。恩師同様、言葉の巧みな使い手として、その手腕に期待したい。

(「Number Ex」長谷川晶一 = 文)