コロナ禍で多くのスポーツが延期や中止されるなか、Number Webでは、『Sports Graphic Number』の過去の記事のなかから、「こんなときだからこそ読んで欲しい」と思う記事を特別公開します! 今回はクリスティアーノ・ロナウドが悲願の初制覇を成し遂げたEURO2016を振り返ります。リーダーとして牽引する姿の裏には、母国開催大会で敗れた12年前の苦い記憶がありました(2016年7月14日発売/Number906号より)。

 傷んだ左脚を包むテーピングが痛々しかった。

 タッチラインの外側で、クリスティアーノ・ロナウドは、フランスの猛攻を受けるポルトガルとともに戦っていた。

 延長後半、指揮官のフェルナンド・サントスとベンチ前のライン際に並び、大声でチームメイトに指示を出した。

 攻め急いでボールを失った選手たちに、自らの手首を指差してみせ、「時間を考えろ!」と激しく叫んだ。エデルには相手を背負ってのボールキープのやり方を、ナニとクアレスマには時間を稼ぐためのサイドでのドリブルを、身体の動きをまじえ、必死に伝えた。左サイドバックのラファエル・ゲレイロの足がつり、ピッチに倒れこんだときには、フランスのベンチ前まで足を引きずりながら進み、デシャン監督の横で背中を押した。

ピッチにいたのはわずか25分。

 スコアボードに1-0のスコアが示されている。ポルトガルにとって初めてのタイトルが近づいていた。

 やがて主審の笛が鳴る。ポルトガルの選手たちは一斉にピッチに駆け出し抱き合った。ロナウドはベンチ前に倒れ込み、涙を流していた。

 この試合、ロナウドがピッチの上にいたのは、わずか25分間だけだ。

 前半8分、パイエとの激しい接触で左脚を痛めた。ピッチに倒れ込み、芝生を激しく2度叩き、左脚を押さえる。一度はピッチに戻ったものの、続けることはできなかった。顔を手で覆い、担架でピッチを去っていくロナウド。

 誰もが思った。長く続いたポルトガルの冒険も、これで終わりだと。

フランスを苦しめたポルトガルの堅守。

 しかしポルトガルは、ここから驚異の粘りを見せる。エースを失ったポルトガルは後方を固めカウンターに徹した。自陣でボールを奪い、時間をかけずにナニやクアレスマ、ジョアン・マリオがカウンターを仕掛けた。

 エースを早々に失ったことで、ゲームプランは狂った。しかしその一方で手にした開き直り。やることは明確になり、人数をかけた堅い守備はフランスを苦しめた。フランスはシッソコのダイナミックな攻め上がりから好機を作るも、ペペとウィリアム・カルバーリョを中心に、要所を押さえるポルトガルを前に、グリエスマンやパイエ、ポグバらタレントの影は霞んだ。決定的な場面は、ジニャクのシュートがポストを叩いたシーンくらいだ。延長後半のエデルの一発につなげた忍耐力。決勝でのポルトガルの姿は、今大会の歩みを表してもいた。エースが活躍しなくとも、しぶとく勝ち抜く強さが、このポルトガルにはあったのだ。

 ロナウドが活躍しなければポルトガルは勝てない--。ポルトガルは長い事そう言われ続けてきた。しかし大会を戦う中で、エースが活躍しなくとも勝ち抜くことができる、そんなチームに彼らは変貌していた。

疲弊したエース、訪れた幸運。

 大会前、ロナウドのコンディションは、全くと言っていいほど整っていなかった。

 ロナウドはレアル・マドリーで今季リーグ戦に36試合出場し、3183分間プレーしている。さらにはチャンピオンズリーグ決勝に進出したこともあり、疲労は蓄積していた。

 不調のロナウドに批判も浴びせられた。初戦のアイスランド戦では全くいいところを見せられず、第2戦のオーストリア戦では、あろうことか貴重なPKを外した。得点の気配すら感じられない。うつむくロナウドを見たファンの多くが、ポルトガルの先は長くないと悲観した。

 ポルトガルは1試合も勝つことがないまま、3引き分けでグループリーグ3位となり決勝トーナメントへと進むことになる。しかしこれが結果的に幸運を呼ぶ。仮に第3戦のハンガリーに勝っていれば、ポルトガルは2位になっていた可能性もあった。そうなれば、イングランド、フランス、ドイツらと同じトーナメント表の反対側、いわゆる“ダークサイド”(『ABC』紙)に入っていたかもしれない。

「勝てないポルトガル。しかし幸運だけは我々にふりむいてくれた」

『ア・ボラ』紙は不甲斐ないチームのパフォーマンスを嘆くとともに、舞い降りた幸運を皮肉を交えて伝えた。そしてこの小さな幸運を、ポルトガルチームは後にがっちりとつかむことになる。

 クロアチア戦では押されながらも最後にクアレスマが決めて勝ち進んだ。続くポーランド戦では、ロナウドが再三決定機を潰すも、PK戦の末に勝利。ポーランド戦後、『レキップ』紙は選手採点でロナウドに最低の「3」をつけるほどだった。エース不調の中でチームは勝ち進み、自信をつけていった。

仲間に歩み寄り始めたロナウド。

 今大会のロナウドには、ある変化も見られた。主将として、リーダーとして、チーム全体に気を配る姿勢が明らかに強くなっていたのである。

 これまでのロナウドは、結果を出すことで、そのプレーでチームを引っ張ってきた。しかし今大会は、ロナウドの方から選手に歩み寄る姿勢が目立った。

 経験の浅い若手選手たちへの気配り、特にレナト・サンチェスへのケアは欠かさなかった。

 レナトは今大会途中から先発に抜擢され、大会最高の若手と大きな注目を浴びることになる。これまでロナウドのみに集まっていたカメラのフラッシュは、レナトにも向けられるようになった。18歳の若者は、大会中のブレイクで突然世界の注目を集めることになったのである。

 合宿中のある時、ロナウドは代表歴の長いチームのベテランたち、リカルド・カルバーリョやジョアン・モウチーニョ、ナニらを呼んでこう言ったという。

「レナトの重圧を少しでも取り除くために俺たちがやらなければ」

ミスをしても、不満を表すのではなく。

 チームとして、この18歳をケアすること。レナトが初先発した準々決勝のポーランド戦、印象的なシーンがあった。

 レナトが右サイドからロナウドにクロスを送った場面、ボールは全く合わずに、左へと抜けていく。ゴールへの強烈な意欲を見せるロナウドは、パスに関しては強い要求をすることが多い。しかしミスをしたレナトに対し、ロナウドは不満を表すのではなく、むしろ手を叩いて彼を鼓舞した。レナトに近づき、話しかける場面も多かった。

 レナトはこの試合から先発に定着し、物怖じせずに生き生きとしたプレーを見せる。ポーランドとのPK戦でも、自ら2番手のキッカーを望んだほどだ。ちなみにこのPK戦前、ロナウドは前回のEURO2012のスペイン戦でPKを外した苦い記憶からキッカーを辞退しようとしていたモウチーニョのところへ行って勇気づけたという。

 エースの変化は、レナトという伸び盛りの個をチームに溶け込ませ、チームの団結にもつながった。

決勝弾エデルにかけた言葉。

 12年前の自国開催のEUROの記憶が、ロナウドの頭にはあったのかもしれない。あの時、ロナウドはまさに現在のレナトとおなじ立ち位置だった。ルイコスタやフィーゴら、当時のチームを率いていた選手たちにかけられた言葉が忘れられないと彼は言う。そしてそんな役割を、今ではロナウドがこなしている。

 エデルが決勝点を決める数分前、延長前半と後半のインターバルに、ロナウドは彼のところへいき耳に口を近づけ、何かを囁いた。エデルがその時の言葉を明かす。

「ロナウドが、お前が決勝点を決める、と言ってくれたんだ。その言葉は僕に自信をくれた」

 エデルだけではない。ロナウドはピッチに座り、マッサージを受ける選手たちのところへ足を引きずり歩き、手を叩き、ひとりひとりに声をかけた。チームを外から支えようとするエースの姿がそこにはあった。

「サッカーではすべてが可能」

 今大会はロナウドの大会ではなかった。

 史上初となる、EURO4大会連続ゴールを決めた。準決勝のウェールズ戦で決めた得点でEURO通算9得点とし、歴代1位のミシェル・プラティニに並んだ。記録は伸ばしたが、彼がピッチの上で輝いた試合よりも、コンディション不良から不甲斐なさを感じた試合の方が多かった。

 決勝戦、エース不在にもかかわらず、チームは自信をなくすことはなかった。大会を通してチームが成長した証だ。

 EURO2004でのポルトガルはフィーゴやルイコスタ、伸び盛りのデコやリカルド・カルバーリョ、そして若きロナウドがいるタレント軍団だった。しかし彼らはホームでの決勝でギリシャに敗れ、涙を流した。それから12年後、フランスの地でポルトガルは優勝し、ロナウドはついにカップを掲げた。

「僕らは長い間挑戦してきた。誰もこのポルトガルが優勝できるとは信じていなかった。キャプテンとして、サッカーではすべてが可能だってことを、チームメイトに伝えたかった」

 決勝後にロナウドは語った。

 不可能と言われたタイトル獲得に挑み続けた12年間。その歳月の中でポルトガルも、ロナウド自身も変わっていった。ポルトガルの戴冠は、そんな長き歩みの結実でもあった。

(Number906号『[12年越し、涙の初戴冠]クリスティアーノ・ロナウド「4度目の正直」』より)

(「Sports Graphic Number More」豊福晋 = 文)