マルコ・アセンシオが左膝の前十字靭帯と外側半月板断裂の重傷を負って以来、10か月近くが経過し、初めて全体練習に参加した5月のある日だった。バルデベバス(練習場)を訪れた彼は指定された体重計に乗ると、その目盛りは怪我をした当日に計った時よりもマイナス数グラムの数値を表示した。

 それは忘れもしない去年の7月24日。アセンシオはワシントンDCのフェデックス・フィールドでインターナショナル・チャンピオンズカップのアーセナル戦に出場していた。

「心機一転で新シーズンに臨んでいた」という強い覚悟がプレーに乗り移ったかのように、後半にエデン・アザールに代わって投入されると、ガレス・ベイルの先制ゴールをアシストし、さらに続け様に自ら2点目をマーク。しかしその直後にアクシデントが待ち構えていた。

「人生って調子がいい時に突然不運に見舞われる。ほんの一瞬の間に状況が一変した」

 翌日、アセンシオは自身のツイッターでこう心境を吐露した。

 今シーズンに懸ける強い気持ちは、また昨シーズンの不甲斐なさに対する自責の念でもあった。「プレーに集中できていなかった」と周囲の人間が振り返るように、低迷するチームに引きずられるように低調なパフォーマンスを繰り返した。

 新シーズンに集中するために、クラブの意向に沿って6月にイタリアで開催されたU-21欧州選手権への参加を辞退(スペイン代表は優勝)。オフの間、徹底的にフィジカルを強化した。その甲斐あり好スタートを切ったが、「好事魔多し」を体現する形になってしまった。

「最初は怪我をした現実をまったく受け入れることができない様子だった」と周囲の人間が認めるほど、打ちひしがれたが、父親、兄弟、恋人の協力を得て1か月が経つと徐々に立ち直っていった。

 さらに家族だけでなく、クラブの関係者からOBに至るまで多くの人間がサポートを買って出た。その中で特に重要な支えになったのがカスティ―ジャの監督でもあるラウール・ゴンサレスで、バルデベバスで日々会話を重ねながら、相談相手になっていた。

 そうした周囲の人間のバックアップも味方に、アセンシオはひとたびやる気と意欲を取り戻すと、一心不乱にリハビリに取り組んだ。午前はクラブの施設で、午後は専属のトレーナーと一緒に汗を流し続けた。熱が入るあまり執刀医がブレーキをかけなければならないことは一度や二度ではなかった。


 リハビリは順調に進み、復帰の時期を4月下旬から5月に設定。ようやくトンネルの先に光が見え始め、初めて全体練習への参加を許可された3月12日のことだった。意気盛んにバルデベバスに到着したアセンシオは、しかしユニホームに着替えることはなかった。施設を共有しているバスケットボールのトップチームの選手が新型コロナウイルスの検査を受けた結果、陽性反応を示したことが判明。ドクターからクラブの活動を一時停止することが言い渡されたのだ。

 立て続けに当日ラ・リーガの中断も決定。2日後に政府は非常事態宣言を出し、全国民が自宅待機の生活を余儀なくされることになった。

 この時のアセンシオの様子について「明らかにショックを受けていた。マルコにとっては度重なるアクシデントだったしね。走れるようになった矢先にどこにもトレーニングに行くことができなくなってしまった。おかげですべての予定が1か月半先送りになった」と周囲の人間は述懐する。

 しかし、この試練もまた乗り越えた。落胆の色を見せるどころかこの3か月の間に一段とエネルギーが増した印象を受けるとバルデベバスのスタッフは証言する。クラブ関係者、周囲の人間が口を揃えるのがアセンシオのメンタルの強さだ。

「誰かをお手本にするようなこともしていなかった。怪我もまた人生の中の一つのアクシデントに過ぎないと考えられるようになってからは、自分自身と真摯に向き合い続けていた。」

 その努力の結果が冒頭の体重計の数値であり、途中出場31秒後のファーストタッチで復帰戦をゴールで飾ったバレンシア戦でのパフォーマンスである。3度の試練を乗り越えて一皮むけたアセンシオの復帰――。ラ・リーガのタイトル奪還を目指すマドリーにとってこれほど心強いことはない。

文●ダビド・アルバレス(エル・パイス紙レアル・マドリー番)
翻訳●下村正幸

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