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写真:戸嶋ルミ

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 今回は、オリックス・バファローズ一軍野手総合兼打撃コーチを務める田口壮さんにインタビューを行った。

 日本とアメリカ両方のチームで活躍し、メジャーリーグで二度のワールドチャンピオンを獲得したことはあまりにも有名だが、プロ入り直後にはイップスや、ストレスによる突発性難聴、さらには守備位置のコンバートも経験している。一軍コーチとして指導している今、これまで見たもの・経験したことをどのように活かしているのだろうか。

(取材日は2019年6月上旬)

■日の丸を背負って知った世界の広さ

――メジャーに挑戦しようと思ったきっかけは何だったのでしょうか

田口「世界のトップがそこにあるので、そこでやってみたいという興味を持ったからです。2000年にシドニーオリンピックに出て、その年の秋に日米野球にも出ているんですが、その二つを経験したことで『世界は広いな』と思ってしまったんです。彼らの人間性や技術などに触れて、すごい世界があるなぁと」

田口「オリンピックには8カ国が出場していたんですが、8カ国それぞれの野球があって面白いなぁと思ったことは今でも覚えています。技術的にはレベルがそこまで高くない国にもポテンシャルが高い選手がいたりして『世界にはこんな野球選手がいっぱいいるんだ!』と思いましたね」

――世界のトップの舞台で自分の可能性に挑戦したい、という気持ちはありましたか

田口「自分の可能性はあんまり信じていなかったです(笑)メジャーに行ってどうなるかわからない、というのが率直なところでした。わからないけれども、プロとして野球をやっている以上チャンスがあるなら行くべきかなと。フリーエージェントを取得していたので、変わるんだったら大きく変わった方がという思いもありました」

写真:戸嶋ルミ

■思い切って飛び込んだメジャーリーグで

――アメリカに行って苦労したことや、逆にうまくいったことは何でしたか

田口「メジャーで一番苦労した点、僕の場合は”言葉”でした。アメリカに行って2ヶ月目、キャンプ中にマイナーに落ちてしまったので通訳さんを外したんです。マイナーの環境で本当に通訳さんが必要なのか、コミュニケーションを取るなら自分の言葉で伝えたいと思ったので外したのですが……」

写真:戸嶋ルミ

田口「自分の伝えたいことがうまく伝えられず、コミュニケーションが取れなかったこともありました。もちろん打撃などの技術面でもだいぶ苦労はしましたが、それ以前にコミュニケーションが取れていなかったので相談が出来なかったし、自分が信じてやっていることが正しいかどうかもわからなかったです。向こうでうまくいった点は、食べ物だけですね(笑)」

■糧となったアメリカでの経験

田口「僕の所属していたところは全部そうだったんですけれど、チームというものを”家族”として捉えていたんですね。長くいたのはセントルイス・カージナルスでしたが、セントルイスでは『ここはファミリーだから、困ったことがあれば何でもどうぞ』と言ってくれて。家のことや家族のことなど、本当に手厚く看てくれました。

もちろん野球のことに関してもみんなが親身にケアしてくれて、監督からGMからみんなが選手である自分だけでなく自分の家族のことまでいつも気にかけてくれていました。その”一体感”というものをすごいなと感じました」

写真提供:共同通信社

田口「あとは、トニー・ラルーサ監督の後ろでずっと野球を見ていて、アメリカを代表する名監督の近くで野球観を学べたのはとても大きかったですね。当時学んだことは、今こういう仕事をする上で大切にしている部分の一つでもあります」

 メジャーでの生活はすべてが順風満帆だったわけではなく、マイナー落ちや技術面での対応、言葉の壁など様々な経験をしてきた田口コーチ。そんな中でも、特にセントルイス・カージナルスの暖かな”家族たち”、そしてトニー・ラルーサ監督との出会いはたくさんの恵みをもたらしてくれる存在となっていった。

 インタビューの後編では、田口コーチが指導者として特に大切にしていることや、野球をやるすべての人へ向けた思いを紹介したい。

文:戸嶋ルミ
取材協力:オリックス・バファローズ