【撮影:戸嶋ルミ】

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 ”侍JAPAN”――そう聞いたらおそらくほとんどの人が男子のトップチームを連想することだろう。実際には世代別と女子のチームがあり、その中でも抜群の成績を収めているのが『マドンナジャパン』こと侍JAPAN女子代表チームだ。

 2018年に行われた第8回WBSC女子野球ワールドカップでは、決勝戦のチャイニーズ・タイペイ戦で完封勝利し、前人未到の6連覇を達成。ワールドカップでは2012年大会の予選リーグでアメリカに敗れて以降負けなし、足かけ4大会で30連勝を果たしている。

【女子野球W杯決勝  女子野球W杯で6連覇を達成し、メダルを掲げ喜ぶ日本代表=ビエラ(共同)】

 今回はその侍JAPAN女子代表チームの中から、第8回WBSC女子野球ワールドカップに先発投手として出場した埼玉アストライア・谷山莉奈(たにやまりな)選手に話を伺った。

■兄の影響で始めた野球 トライアウトに受かるとは思わず女子プロ野球選手に

【撮影:戸嶋ルミ】

 谷山選手が野球を始めたのは、小学校1年生のとき。地元埼玉・草加市の野球チームに兄が入っていて、自分も一緒に参加したのがきっかけだった。中学と高校はソフトボール部に所属し、日本体育大で女子軟式野球部に入部した。大学4年生のとき、女子プロ野球のトライアウトを受ける同期の選手がいたので一緒に受験してみたという。

「大学の部活の引退も近かったので、もうちょっと野球をやりたいなと思って。(それまで女子硬式野球はプレー経験がなかったが)ボールへの対応は重さにちょっと苦戦しましたが、変化球は『硬式の方が曲がるなぁ』と思って。トライアウトのときはそこまで難しいなっていう感覚はなかったんです。まさか自分が受かるなんて思っていなかったんで、ノンプレッシャーでした(笑)受かったらいいな~っていう感じで、気負わずに受験しました」

■プロの壁、見知らぬ土地に苦労したルーキーイヤー

 気負わず受験したことが功を奏したのか、2015年に晴れて女子プロ野球選手になった谷山選手。生まれも育ちも埼玉、大学卒業まで関東から出たことがなかった軟式出身の彼女が最初に所属したのは、京都に本拠地を置く京都フローラだった。

「プロ一年目の前半は特に悔しい時間を過ごしました。硬式野球への対応に苦労して、レベルの高さについていけなくて『本当にここに来てよかったのかな……』なんて思って。今まで軟式の世界しか知らなかったのに、周りはみんな硬式をずっとやってきている人たちだし……京都に引っ越して知り合いもいなくて休みの日も一人で過ごして……」

【写真提供:埼玉アストライア】

 当時は「自分の良さが分からなくなって、自分を見失ってしまった」という。立ち直るきっかけとなったのは、出口彩香(でぐちあやか:当時京都フローラに在籍)選手の存在があったという。

「プロ一年目の前期でチームが優勝して、そのあと選手移籍があったんですが、その中で仲の良かった出口彩香が京都から埼玉に移籍することになったんです。唯一の心の支えのような存在だったので、彼女がいなくなることで逆に自分がしっかりしなきゃと思ったことですね」

■地元埼玉への移籍 先発投手として活路を見出したプロ3年目

【写真提供:埼玉アストライア】

 プロ2年目、谷山選手も埼玉へ移籍となった。中継ぎ投手として試合に出続けていたものの、あまり結果を出せずにいた。そして迎えたプロ3年目、ずっとやりたかったという先発投手に抜擢された。

「プロ3年目でやっと先発として使ってもらえるようになって、ちょっとずつ経験を積ませてもらって、その年に優勝できたんです。年間優勝が決まった試合でプロ入り初の完封勝利ができたことは、一番うれしかったです。その時はもう一球一球必死で、終わってみたらゼロだったって感じでしたね」

 女子プロ野球は男子硬式野球と同じグラウンドのサイズで試合を行う。試合は7回まで(8回以降9回までは延長)ではあるが、マウンド間は18.44メートルだ。162センチで細身の彼女の完封劇は、新たな未来が開けた瞬間でもあった。

■侍JAPAN女子代表の先発投手として

 それまでの活躍ぶりを認められ、谷山選手は2018年に行われた第8回WBSC女子野球ワールドカップで代表選手に選抜される。初の選出だったが、大事な初戦のドミニカ戦で先発を任されることになった。人見知りの彼女は代表合宿も試合遠征も最初の方はやや憂鬱になったというが、試合では違った姿を見せた。

【女子野球ワールドカップ  ドミニカ共和国戦で好投した谷山=ビエラ(ゲッティ=共同)】

「ドミニカの女子野球選手は、日本の選手と比べると腕が長くて、外角に投げても届いてしまうんです。すごくパワーもあるし、上半身がベースに覆いかぶさるように前のめりでバットを構えるんですよ。でも、いっちゃえ! と思ってインコースを責めました(笑) 最初はテンポが掴めなくて、でも三振が多く取れて、自分の新しい投球スタイルを見つけられた試合でした」

 結果は6回9奪三振1四球、無失点。試合は8ー0で日本が圧勝を収めた。埼玉育ちの軟式出身の少女が、世界を相手に堂々と投げきって手にした勝利だった。この大会での経験は、彼女のプロキャリアだけでなく、野球観に大きな影響を与えるものとなった。

「日本の堅実なプレースタイルと違い、海外の選手はみんなのびのびとプレーしていて、選手個人の表現がすごかったです。日本人はあまり感情を表に出さずにプレーしますが、海外の選手は喜怒哀楽がむき出しで、純粋に野球を楽しんでいるところが印象的でした。日本人は(相手のことを)考えすぎて言えなかったり言わなかったりしますよね。でもダメなことはダメって伝えないとだし、逆にいいことはみんなで喜ぶ。これって単純に『チームが良くなるために必要なこと』なんだなと思いました」

 また、海外の選手と対戦することで自分たち日本女子野球の状況も客観的に見ることができるようになったという。

「日本の女子野球は環境面や金銭的、指導者の数にも恵まれていると思います。海外の女子野球もいろいろな面で整備が進めば、もっと世界的にレベルが上がるだろうなと感じました」

■偶然が重なって開けた道 次のステージへ

 世界大会を経験して拡がった野球観。先発投手として結果を出し続けていきたいということは当然のこととして、新たな夢も生まれた。

「私は”偶然が重なってここまで来れた”という感じなんです。代表にも選んでいただいて、世界大会にも出させていただきました。海外のチームと対戦する機会を頂いて、野球の振興や発展に貢献したいなという気持ちが生まれました。将来は指導者というよりは……子どもたちに野球を好きになってもらえるようなことをやりたいですね」

【撮影:戸嶋ルミ】

 世界を知ることで拡がった彼女の”野球観”は、今後の女子プロ野球界へ大きな影響を与えることだろう。

文:戸嶋ルミ