【撮影:戸嶋ルミ】

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 9月も半ば、新学期や新生活が始まって少し経ったという人も多いのではないだろうか。元・横浜DeNAベイスターズの荒波翔さんも、そのうちの一人だ。メキシコから帰国した後の2019年8月31日に惜しまれながらも現役引退を発表し、9月からは新生活がスタートした。

■メキシコ行きを決めた理由は「それが答えだと思って」

 荒波さんは2018年オフにDeNAから戦力外通告を受け、退団。日本のプロ野球球団で現役続行を望んでいたが、トライアウト終了後も声が掛からず、諦めかけたところで海外でプレーすることをたくさんの人から勧められた。

 最初はアメリカ行きを考えていたというが、知人伝手に「メキシコの球団が選手を探している」という話を受け、興味もあり話を聞くことに。当初はDeNAの元チームメイト・久保康友投手が所属するレオン・ブラボーズに入団の話がまとまりかけたが、チーム事情のため突如白紙になってしまったのだ。

【撮影:戸嶋ルミ】

「その時はすでに(2019年)1月の終わり頃でした。うわ、どうしようかなと思っていたところで、モンテレイ・サルタンズが『キャンプ参加なら受け入れる』と言ってくれたんです。戦力外になってからは自分一人で5ヶ月練習していたので、これ以上は実戦感覚も薄れていってしまうし、行けるところに行かないとと思って参加を決めました。参加してどうなるかはわからなかったけど、それが答えだと思って」

 紆余曲折を経てメキシコ行きを決め、モンテレイ・サルタンズのキャンプに参加が決まったが、長い野球人生でも初めての海外球団でのキャンプ。野球という共通言語はあれど、何もかもが未知の世界だった。

 レギュラー選手はウインター・リーグに参加していることもあり、キャンプには終盤からしか合流してこない。そのためキャンプ序盤は若手選手しかいない状態で行われていた。荒波さんは「そういう事情もわからなくて。ここにいる(若手選手たちが)レギュラーなのかな、と思っていました」と当時のことを振り返った。

「ただ、誰にでも勝たなくてはいけないなと思っていました。日本で言うところの、プロ入り1年目や2年目の選手のような気持ちで挑んだ感じでしたね」

 そしてキャンプに参加して2週間ほどで、荒波さんはチームから契約の話を受けることになる。挑んだ結果掴み取った契約だった。

■メキシカンリーグ モンテレイ・サルタンズについて

【写真提供=荒波翔】

 所属当時のモンテレイ・サルタンズは、30代の選手がメインだったという。20代の選手もいたが、当時28歳が1~2名とのこと。ベテラン選手が多い、というのはモンテレイに限ったことではないようだ。

 荒波さんいわく、日本の球団は育成面も重視しているが、メキシコは試合結果を重視するからこそのメンバー構成なのではないかと考察した。

 モンテレイは比較的資金力のあるチームで、環境面や待遇面についてはかなり整備されていたそうだ。ホームスタジアムのエスタディオ・デ・ベイスボル・モンテレイは国内最大級の規模を誇る球場で、普段の観客数は6千人程度だが、久保投手率いるレオンとの”日本人対決”の際には1万4千人観客が押し寄せたそうだ。

【写真提供=荒波翔】

 ちなみにこの球場は2019年5月に行われたMLBメキシコシリーズの会場となり、ヒューストン・アストロズ対ロサンゼルス・エンゼルス戦が行われた。このとき、かつてのチームメイトのユリエスキ・グリエル選手(ヒューストン・アストロズ)は、荒波さんにサイン入りバットの置き土産を残していったという。

■見知らぬ地で野球をするということ

 とはいえ、すべてが前向きに進んでいったわけではなかった。

「いざキャンプに行くと決めて飛行機に乗り込んだとき、不安もあったけれど『すごいことをしてしまった』という気持ちがあって、メキシコに着いてからも三日間くらいは日本に帰りたかったです」と、本音を漏らした。

「言葉もわからないからコミュニケーションも十分に取れないし。でも、帰りたいからといって帰れるような距離じゃないし……環境には慣れるまでに少し時間を要しました。

 たとえば街を歩いてお店に入って食事をする、という”日本では当たり前のこと”が思うように出来なかったりとか。行動範囲が限られてしまうように感じてしまって、見えないストレスを感じることはありましたね。その分野球に没頭できたという良い点もありましたけどね」

 これは、行った先がメキシコだったからというわけではない。誰だって言葉が十分に通じない見知らぬ地へ行けば、思うようにいかないことはある。だからその分、できること=野球をやるということに考え方をシフトした。

【撮影:戸嶋ルミ】

「言葉はもちろん喋れたほうが良いに越したことはないですが、野球に関しては一緒にプレーしてしまえばあまり問題なかったです。むしろ、自分を知らない人たちの中で、まっさらな状態で勝負できたのはよかったです」

 日本ではプレーの内容や結果が起用に影響することを意識してしまい、プレッシャーの中で野球をしていたという。しかし、メキシコでは状況が違った。本人曰く「当たって砕けろの状態で行った」ために、純粋な状態で楽しんで野球をやれたそうだ。

 遠征先へのバスでの長距離移動なども、大変ではあったがそれすらも楽しめたという。試合の合間に知らない街を散策したりすることは、日本ではまずやらなかったこと。これが十分な気分転換となったそうだ。郷に入っては郷に従えの精神でやってみたメキシコでのさまざまな経験は、考え方や価値観に大きな影響を与えるものとなったのだった。

 インタビュー後編では、メキシコで実際にプレーして感じたことや今後についてなどをお伝えしたい。

※取材日は2019年9月上旬
文:戸嶋ルミ