【写真提供:柴田穣】 オレステス・キンデランと乾杯(17年3月)

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 今回は、全日本野球協会(BFJ)国際事業委員の柴田穣さんのお話を紹介したい。当連載の趣旨を聞き「来日キューバ人野球選手は全員この人のことを知っている」というキューバ通の方がいるとの情報をお寄せ頂き、この度お話を伺う機会を得た。

柴田さんとお会いしたのは今年11月のこと、プレミア12で来日したメキシコチームの通訳として都内に滞在されていた。

【 写真提供:柴田穣】 プレミア12 メキシコチームコーチ陣(19年11月)

柴田さんはスペイン語圏出身選手のアテンディングや、代表チームの通訳なども行っている。今回のプレミア12ではキューバは予選ラウンドで敗退してしまった関係でメキシコを担当されたが、野球でキューバが絡むこととなると必ずと言っていいほど柴田さんへ話が回ってくるという。日本生まれ日本育ちの柴田さんがなぜキューバとのパイプを持っているのか? 一体どうやって現在のお仕事に就かれたのかを伺った。

◾️キューバとの縁のはじまりは社会人野球

「元々大学まで野球をやっていました。一旦はサラリーマンにはなったものの、まだ野球をやりたいという気持ちがあり、青年海外協力隊を受けたんです。1990年から93年までと、95年の通算4年間コスタリカで野球の指導者をしました。コスタリカはスペイン語圏だったので、スペイン語を会得したのもこの派遣がきっかけです。

【 写真提供:柴田穣】 青年海外協力隊 コスタリカで野球指導1991年

 94年から日本の社会人野球がキューバ人選手を採用し始めたんですが、これがコスタリカから帰国したタイミングでのことで。日本の野球界のニーズに帰国のタイミングが合ったんでしょうか、キューバから来日した選手たちの通訳を務めることになりました。それまでも英語を話せるプロ・アマの野球選手はいましたが、当時スペイン語がわかる野球人は少なかったんです。これがきっかけで日本野球連盟(JABA)に入りました。キューバとの縁の始まりですね」

当時はキューバの代表チームが毎年来日しており、チームが来たときはチーム付きの通訳も務めたそうだ。このキューバ人の社会人野球選手との関係は、94年から2004年まで続いた。その間柴田さんは通訳のみならず選手契約なども任され、日本とキューバを行ったり来たりする生活を送ったという。その結果、現在キューバ大使館では”引き継ぎ事項”として「日本球界なら柴田さんへ」と継がれる存在になった。

◾️一筋縄ではいかないキューバとの「お付き合い」

【写真提供:柴田穣】 キューバ ディアス・カネル議長(17年)

 現在はNPBにのみキューバ人選手が在籍しているが、獲得までのプロセスは柴田さんのように『キューバをよく理解している人が対応しないと大変』なのだという。

「NPBで選手を獲得するとしたらまず政府と話をしなくてはいけません。政府が代理人みたいなものなので、勝手に選手と話は出来ないんです。チーム方針として『こういう選手がいたら獲得したい』という要望を伝えることはできますが」

現在は世界情勢、というよりアメリカの政策の影響をモロに受けるという。

「社会人野球にキューバ人選手がいたころは、キューバから”日本に送ってもいい選手リスト”が送られてきて、そこから選手を選べたんです。最初に採用したのがシダックスとニコニコ堂の2チームで、次第に昭和コンクリートや三菱自動車岡崎、トヨタ自動車、いすゞになどが獲り出しました」

社会人野球でプレーしたキューバ人選手たちは、多数がシドニーオリンピックの代表に選出されるなど順調にキャリアアップを遂げていった。とはいえ、当時来日した選手たちは相当苦労したのではないかと柴田さんは振り返る。

【写真提供:柴田穣】 アトランタ五輪キューバコーチ陣(96年5月)

「キューバと日本では食文化が違いすぎて、日本に来ると食べ物が合わなくて偏食になってしまうんです。各チームにお願いして、キューバ料理を用意してもらうようにお願いしていました。今でもキューバ代表が来日するときには、僕が食事メニューを考えて用意する場合もあります」

ちなみに当時来日した選手で特に知られているのは、アントニオ・パチェコとオレステス・キンデランではないだろうか。彼らはオマール・リナレスと同世代の代表選手で、野村克也監督率いるシダックスでプレーし日本野球を学んだ。後の北京オリンピックではパチェコが代表監督、キンデランが打撃コーチを務め、日本相手に白星を挙げている。

◾️もはや野球帝国ではない? 空洞化が進む現在のキューバ野球

 キューバといえば野球強豪国のイメージが強いが、2019年のプレミア12では予選敗退に終わり、このままでは東京オリンピック出場も危ぶまれている。一体キューバの野球はどうなってしまったのか? アトランタオリンピックその原因を柴田さんはこう語る。

「今のキューバ野球は”投高打低”な印象です。世界中の投手の球速が速くなってしまって、キューバ国内は置いていかれています。一番の原因は人材流出ですね。速球を投げられる人がいなくなってしまうんです。2015年から17年までの2年ほどで、15歳以上からトップリーグまでの選手が300人以上いなくなりました。人口1100万人しかいない国でそれだけの選手がいなくなるというのは、日本球界からNPBと社会人野球の選手全員がいなくなるような大事件ですよ」

2016年の第3回WBSC U-15ベースボールワールドカップでは決勝でキューバが日本を破り優勝したが、そのあとすぐに代表選手20人のうち17人はいなくなったという。

「影響は今の代表に表れています。モイネロ(福岡ソフトバンクホークス)が投げたあとに出てくる投手が30代後半だったり、世代の空洞化ですね。こういうことがキューバのスポーツ全体に広がっています。キューバ国内にいる選手たちは頑張っているんですが……」

 元々キューバの選手育成はとても優れており、同じ共産主義国のロシアや旧東ドイツで学んだ育成システムを導入しているという。親の身体能力なども加味して選出されている”間違いなくスポーツのセンスがある”子どもたちを優先的に選んで教えてるピラミッド型システムで「いい選手は確実に出てくる」のだというが……。

今回柴田さんから伺ったお話は、キューバという国ならではの事情もあってか非常に興味深いものばかりだった。一体この先キューバの野球事情がどのような変遷を辿るのか、日本球界にも確実に影響を与えるだけに目が離せない。

文:戸嶋ルミ