「な~んだ。張り切ってたのに」

 2月14日。新型コロナウイルスの影響で同月末に予定していたトークイベントのキャンセルを電話で伝えた時、彼女は確かに少しだけ、残念そうな様子をみせた。思えば僕の一存のみで実現するはずだった企画。「あの頃はどうだったの?」なんてプライベートでは聞けない質問も公の場なら聞けるかも、そんな期待もあった。ただ舞台が写真関連の総合展示会という特殊な設定ということで、断られる可能性は大いにあった。何しろ基本的にメディアには出ないと決め込んでいる人である。

 しかし彼女は、快諾してくれた。能動的な思いがあったかは定かでない。ただ顔見知りのカメラマンに対しての義理が作用したであろうことは想像できた。そんな経緯もあって、イベントのキャンセルは本当に悔しかったし、申し訳なかった。

 もしも会場がダイヤモンド・プリンセス号寄港中の横浜でなかったら、もしも時期がもう少しずれていたら。当時の僕はイベントの中止を“運の悪さ”として片付けていた。今思えば恥ずかしい限りである。あれから4カ月、新型コロナというウイルスは人の日常を変貌させ続けている。とりわけスポーツの世界は、ズタズタにされてしまった。オリンピックの歴史をも、変えてしまった。

「悲劇のヒロイン」というレッテル。

 千葉すず。

 この名前をご記憶だろうか。1990年代、日本水泳界を牽引したトップスイマーである。世界選手権日本人女性初のメダリストでオリンピアン。自由形のスプリンターとして、間違いなく世界に通用する逸材だった。

 ただ2020年の今、一般の人々がすずの名で想起するのは水面を奔る勇姿ではなく、マスコミに囲まれた小さな背中だったかもしれない。2000年シドニー五輪代表選手選考をめぐる一連の騒動は、スポーツの枠をはみ出て社会問題へと膨らんだ。結局日本水泳連盟を相手取った提訴は却下、決して望まなかったであろう“悲劇のヒロイン”というレッテルと共に、すずはメディアからフェイドアウトした。

インフルエンサーとしての価値。

 あれから20年、僕らは東京オリンピック1年延期という重大な局面を迎えている。スポーツ界も牛歩のごとく進みながら、“無観客”という守りの対策をとるのが精一杯だ。文化としてのスポーツを奪還するまでの道程は遠い。間違いなく選手が一番辛い。ただ一介のカメラマンもそこそこ辛い。のしかかる無力感は筆舌に尽くし難い。

 ではコロナ禍の中、膨大で空虚な時間を授かった僕はといえば、自宅でひたすらモノを整理することに努めている。中でもメインイベントはVHSや8mmをSDカードに移す作業で、本数は優に500本を超える。全てスポーツ関係で、大きく分けるとドキュメントか中継モノといった具合で、時代的には1985年から2000年にかけての約15年分。もちろん往年のすずもチョコチョコ出てくる。「情熱大陸」(TBS)、「ザ・スクープ」(テレ朝)、時には「クローズアップ現代」(NHK)のような報道ベースの番組にもすずは特集されていた。それほど社会的にもバリューがあった証拠である。

 確かにメディアに叩かれ、メディアを嫌ったすずだったが、結局メディアはインフルエンサーとしての価値を彼女に見出していた。規定の路線に乗らない、乗れないキャラクターは、いつも賛否両論を運んでくる。メディアにしてみればありがたく、おいしかったのだ。

イメージ通りにことが運ぶことはまず無い。

 1990年すずが北京アジア大会で国際大会にデビューした頃、僕もフリーランスになった。貧乏を受け入れて自由を手に入れた僕は、“千葉すずを記録する”ことをライフワークとした。撮りたいから撮る、それだけだった。でも当初、10代の多感な少女をフレームに収めるのは簡単なことでは無かった。

 カメラマンの群集を見つけては逃げる、逃げる。レース前の練習も、意図的にメディアを避けることが多かった。強すぎる感受性は時にキラキラ映り、時にギラギラ映った。こちらのイメージ通りにことが運ぶことなどまず無い。
 
 でもそこが面白くて、魅力だった。

「きっといつか役に立つから」

 とにかくすずが泳ぐプールに通うことだけは続けた。カメラマンの群れからインディペンデントするには、そうするしかなかった。いつもプールサイドにいる変なカメラマンとして認知してほしい、言い換えれば「当たり前」の存在になること。被写体の前で特別ではなく当たり前の存在になることで、きっと写真の世界は変わり始める。当然時間はかかる。撮り始めてから概ね4年後、僕は何となくそこにいて「当たり前」の存在になれた気がした。写真に写るすずの表情も、明らかに変わっていった。

「きっといつか役に立つから」よくそんな曖昧な口実で写真を撮らせてもらった。でもそれは「仕事(取材)じゃないから」というサインにもなる。良い方に転ぶ事もあれば、悪い方に転ぶ事もある。ただ被写体とカメラマンが1対1で勝負できた、いい時代だった。

もし、今の時代に現役だったら。

トップ選手のほとんどが何かしらマネージメント契約を結んでいる昨今では、到底考えられないシチュエーションだ。取材の形態はコントロールされ、選手はメディアから一定距離プロテクトされる。競技に集中するという意味と商業的には、間違いなく今の選手の方が恵まれている。仕事(取材)というフィルターを通さずして、メディアが対象のアスリートに接触することはほぼ不可能な時代になった。そこから生まれるジャーナリズムとは。

 ふと思う。もしも千葉すずが今の時代に現役だったら、メディアからプロテクトされた環境下で幸せだっただろうかと。スイマーとしての最後のシーンを、温かくプールサイドで迎えられただろうかと。自分は彼女にとって幾ばくかでもプラスの存在であり得ただろうかと。

「スポーツカメラマンとして一番気をつけていることは何ですか?」

 折に触れてよく聞かれる質問である。正直つい最近まで、確たる答えは持ち合わせていなかった。でも今ならはっきり、きっぱりとこう答えよう。すずが教えてくれたもの。

「距離感」

4児の母になった今もプールに。

 今では4児の母となったすずだが、プールから離れた訳ではない。身障者と健常者が一緒に泳げる水泳教室の活動や講演など、地道に続けている。決してマネージメント的な委託はせず、全てを自分1人で賄っている。いかにもすずらしい。コロナ禍でイベント系が開けず影響を受けているという点では、皮肉にもフリーランスの僕と同じ状況。

 つい先日、LINEで探りを入れてみた。

「コロナでキツいでしょ?」(自分)

「全然キツくないですよ、エンジョイしてます」(すず)

 聞けばマスク作りで忙しい様子。しかも仕事として、である。

「そのマスク、オレにも売ってくれる?」(自分)

「藤田さんには売りません。だって仕事ないから外出ないでしょ(笑)」(すず)

 イジられて、なぜか嬉しい自分がいる。

(「オリンピックPRESS」藤田孝夫 = 文)