歴史に残る名勝負、名シーンには興味深い後日談がある。舞台裏を知る関係者たちが明かしたあの日のエピソード、その後の顛末に迫る。(文●加部 究/スポーツライター)

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 2004年、欧州の頂点に上り詰めたFCポルトは、ジョゼ・モウリーニョの出世作だった。

 2002年にポルトの監督に就任したモウリーニョは、翌年に国内のリーグ、カップ、そしてUEFAカップと三冠を達成。さらに翌2004年にはチャンピオンズリーグ(CL)でも優勝を飾り、このビッグタイトルを置き土産にチェルシーへ向かった。また同時にCLでMVPを獲得したデコもバルセロナへ移籍し、この年のEURO(欧州選手権)で準優勝したポルトガル代表の中心メンバーだったリカルド・カルバーリョやパウロ・フェレイラもチームを離れていった。

 こうしてポルトは、体制を刷新してシーズンを迎えた。しかも2004年暮れ、欧州代表として最後のトヨタカップを戦うために来日したチームは、大きな問題を抱えていた。

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 都内で鍼灸整骨院を経営する久米信好(現東京有明医療大学准教授)が韓国の学会から帰国したのは、トヨタカップの3日前だった。数週間前に、FCポルトが日本のセラピストにメディカルサポートを依頼するかもしれないという話は耳にしていた。だが実際に久米が依頼の連絡を受けたのは韓国から戻った翌朝、つまり試合の前々日だった。

 少々面食らったが、それでも1日の診察を終えると練習が行われているグラウンドへ車を飛ばす。最初にチームドクターと顔を合わせると「問題なのは、このふたりだ」とベンチに視線を投げた。

「取り敢えず歩かせてみてくれ。歩き方を見れば、だいたい把握できるから」
「ダメだ。もう練習時間は終わっている」

 ふたりはバスへ向かうが、特にひとりは重症の様子でチームメイトの肩を借りてやっと歩を進めていた。

 練習を終えたチームはホテルへ移動し、同行した久米はトレーナーズルームへ案内された。ドクターが乾いた口調で告げる。
「ここで治療してみてくれ」


 オレたちが散々手を尽くして来たのに、おまえに何が出来るのかな? チームドクターからのそんな挑発が透けて、久米はカチンと来た。当日ポルトのヴィクトル・フェルナンデス監督は、記者会見に臨み「2人とも出場には意欲的だが、現実的には難しいだろう」と、ほぼ欠場を示唆していた。

 ひとり目はデルレイだった。モウリーニョ指揮下のレイリア時代に21ゴールを決め、監督と一緒にポルトへ移籍。UEFAカップでは得点王と決勝戦のマン・オブ・ザ・マッチを手にしている。皮肉にも来日直前に、そのモウリーニョが率いるチェルシーとCLを戦い、右脇腹を強く蹴られていた。

「骨が突き刺すように痛むんだ」

 結局肋骨が折れていた。だが暫く微弱電流を流すと、最初は猛烈に痛がっていたが「随分楽になった」と笑みが零れる。さらに伸縮テープで固定すると「日本にはこんなものがあるのか」と嬉々として部屋を出て行った。

 問題はふたり目のマニシェだった。ドクターが呟く。
「彼が出るか出ないかで、試合に大きな影響が出る」

 グローインペイン症候群。内転筋や腹部の奥深い部分に痛みを感じ、それをかばうために全身の筋肉が硬直していた。

 ポルトでもポルトガル代表でも、マニシェとコスチーニャはボランチでコンビを組みフル稼働して来た。2年連続して欧州カップ戦で優勝し、EUROでも決勝まで戦い抜いている。知らぬ間に疲労は、たっぷりと蓄積していた。

「オレに身体を預けるなら治療をするよ」

 久米の言葉を受けて、マニシェには選択の余地がなかった。久米は推測する。
「たぶん俎板の上の鯉。歩くこともできない状態だったから、帰国便が少しでも楽になれば、と藁をも掴む思いだったんでしょうね」

 針や灸で筋肉を緩め、全身のマッサージに入る。
「痛いぞ!」
「ウォー!」
 マニシェの悲鳴が何度も響いた。

「欧州では手術をするのがスタンダードでしたが、日本では手術をしないで治す方法を模索していました」(久米)

 しかし30~40分の治療を終えると、マニシェの表情が輝きを取り戻した。「少し動いてみる」と自力で歩き出したかと思うと、今度はその場でジャンプを始める。
「痛くない…」

 早速部屋を出るとフロアで軽くジョギングをしてみて、次はダッシュに変わった。
「明日もう1回治療をしたら試合に出られるかもしれない」
「判った、だったらオレが絶対にフィールドに立たせてやる」

 翌日になると、マニシェもすっかり久米を信頼した様子でジョークも出るようになった。
「おまえの腕は怪力過ぎる。オレの腕と取り換えてくれよ」

 久米は汗だくになって治療を終えた。
「これだけやったんだからゴールを決めろよ」
「大変な試合になる。きっとPK戦狙いで守りを固めてくる。でも最後に勝つのはオレたちだ」

 来日時には自力歩行もままならなかったマニシェの心は、すでに試合へ向かっていた。
「本当に神の手だな。こんなことは絶対にないと思うけど、もしオレがMVPを獲ったら副賞のクルマは先生のものだ」

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 コンディションを考えれば後半からの出場も考えられたマニシェだが、ヴィクトル・フェルナンデス監督はスタメンで起用してきた。それどころか開始1分に最初のシュートを放つ積極性も見せる。

 こうしてポルトは序盤から完全に主導権を握る。6分、南アフリカ代表のベネディクト・マッカーシーがゴールを割るがオフサイド。17分にはルイス・ファビアーノのシュートが、さらに23分にもデルレイのヘディングがゴールを襲うが、いずれもクロスバーを叩いた。南米代表のオンセ・カルダス(コロンビア)は、マニシェの予想通りに完全に守備を固めてカウンター狙いに徹し、前半をスコアレスで折り返す。

 後半に入ると、さらにマニシェが積極的に攻撃に絡み始めた。57分には得意のミドルシュートがGKエナオの正面を突き、その6分後には飛び出した守護神の位置を見極めてループで狙うが、わずかに枠を超えた。

 ポルトの攻勢は加速していく。マッカーシーのミドルシュートが再びクロスバーを直撃し、終了9分前にはマニシェのシュートがDFに当たりゴールへと向かったが、ほんの数センチだけ高過ぎてスタンドから大きなため息を引き出した。


 結局試合は120分間でも決着がつかずPK戦にもつれ込み、マニシェは後蹴りのポルトの4人目に登場し最初の失敗をしてしまう。先蹴りのオンセ・カルダスの5人目は10番のファブロ。成功すれば、それが決着になる。しかし絶好のコースに飛んだかに見えたキックは左ポストを直撃。こうしてサドンデスに突入したPK戦は、ポルト9人目のペドロ・エマヌエルのシュートが勝利を決めた。しかもMVPはマニシェが獲得。現地で奇跡を見届けて、その瞬間に久米は号泣した。

 一方地元ポルトでは、大通りに人が溢れ歓喜が爆発した。そして数日後には、クラブ関係者から日本のフィジオセラピストへ感謝のメッセージが届いた。
「みなさんの信じ難いほどの献身が、優勝とマニシェのMVPの決め手となりました。みなさんも英雄です」

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 久米がマニシェとの再会を果たしたのは、それから数か月後のことだった。

 トヨタカップの激闘を終えたポルトは、スタジアムからそのまま空港へ直行し帰国の途に着いてしまった。

 だが久米がリスボンの学会に出席することを知り、わざわざポルトの副会長が電車の往復チケットを用意して遠路迎えに来た。

 マニシェは夫妻で、久米を高級レストランに招待し食事を楽しんだ。
「オレのパーソナルトレーナーになってくれないか」
「急にそんなことを言われても無理だよ。それより副賞のクルマは、オレのものじゃないのか?」
「あれはお金に換えてみんなで分けてしまったんだ。この食事で勘弁してくれ」

 どこまでも和やかな夜だった。

文●加部 究(スポーツライター)