“Still sick” (まだ病気)

 マリオ・バロテッリは6月4日、自身のインスタグラムのストーリーズに、そんな画像メッセージを掲げた。

 けだるそうな表情で横になるシーンをアップした彼は、この日所属するブレシアの練習を休んだ。とはいえ、この日だけではない。その前日も、またその前の日も。新型コロナウイルス感染症対策による練習禁止が解けてトレーニングが再開されても、バロテッリは応じようとしなかった。

 そして5日の夜、ついに地元一般紙『ラ・レプッブリカ』の電子版においてこんな記事が出てしまった。

「バロテッリはブレシアを離れる。契約を解除、数時間後にも公式発表か」

 別の媒体では、バロテッリの態度に業を煮やしたマッシモ・チェリーノ会長が契約破棄を叩きつけたという記事も出た。

 才能の高さを皆に認められながら、様々なトラブルの渦中にいてポテンシャルを発揮できず、間もなく30歳……。出身地のクラブで再起しようと臨んだ1年だったが、セリエAのシーズン再開を待つことなくプレーを終えることになってしまう。

インテル、マンCでの素行不良。

 一体彼に、何が起こっていたのか。

 2007年12月、当時のロベルト・マンチーニ監督により、インテルのプリマベーラからトップチームに抜擢。年齢の割に規格外のパワーとテクニックが両立したプレーぶりには誰もが期待を寄せて、出場機会も増えた。

 しかし、試合では各地で人種差別のブーイングにさらされる一方、激しやすく荒っぽい本人の言動も悪い意味で注目の的となった。2010年からはマンチーニ監督の誘いでマンチェスター・シティに移籍してプレミアリーグに挑戦するが、様々なトラブルを引き起こした。

 ゴシップが大好きなタブロイド紙の標的となり、翌年10月に自宅で花火を打ち上げて消防車を呼んだ話は、あまりにも有名だ。素行不良はピッチ内でも問題となり、2011-12シーズンは計11試合の出場停止を食らっている。

故郷ブレシアで再起を図ることに。

 イタリア代表では、19歳にして招集されるやFWの主軸となり、EURO2012や2013年のコンフェデレーションズカップで活躍した。もっとも2014年のブラジルW杯では精彩を欠き、その後は4年にわたり招集から外れた。

 その間にイタリアへ戻ったが、ミランでは故障続きで満足にプレーできない期間も続く。そして2016年ニースへ移籍するも、3年目の2018-19シーズンはパトリック・ビエラ監督から評価されず、途中で契約解除。オリンピック・マルセイユに移ってプレーを続けたが、6カ月限定の契約を更新することなくクラブを去った。

 そんなバロテッリは2019年夏、出身地のブレシアと契約。再度イタリアで再起を図ることにした。

 南部パレルモに移住したガーナ移民の子だったが、腸の手術の後で両親が経済的困窮を訴え、3歳のとき養子に出されて移り住んだのがこの地だったのだ。マルセイユでの最後の試合で受けた4試合の出場停止処分を消化し、エウジェニオ・コリーニ監督からの信頼を受けると、第5節のユベントス戦以降は主力として使われるようになる。

人種差別コールに激怒、一方で……。

 だが第11節のベローナ戦で、スタンドから発せられた人種差別コールに激昂して自らピッチを去ろうとした。人種差別行為はもちろん許されるべきものではなく、サポーターを擁護しようとしたクラブ関係者も非難を受けた。

 しかしその一方で、ブレシアのクラブ関係者はバロテッリに対して冷淡な声を上げていた。

「バロテッリの問題は“黒い”ということだ。なんとか明るくなろうとはしているものの、難しい」

 こんなことを言い出したのは、なんとチェリーノ会長である。明らかに差別的でモラルを欠くものだったが、彼の内面について説いたのだという。

 第12節のトリノ戦では、この日から指揮を執ったファビオ・グロッソ監督からハーフタイムでの交代を命じられる。「パフォーマンス上当然のことで、彼も理解していた」と監督は述べたが、その後に関係は悪化。練習では激昂したため退出を命じられて、「練習から全力で臨んで欲しかった」(グロッソ)という理由で次節ローマ戦へ向けた招集から外された。チェリーノの発言は、これを受けてのことだった。

 その後、バロテッリとクラブとの関係はより一層ギクシャクしたものとなる。

SNSで大いに目立つ激昂ぶり。

 グロッソ監督解任後に戻ってきたコリーニ監督や、2月から就任したディエゴ・ロペス監督から期待を受けるも、パフォーマンスは上がらない。

 その一方で、バロテッリはSNSでは大いに目立った。

 新型コロナウイルスの感染拡大によりセリエAが中断されると「ラツィオは2位で終わるよ。延期となった試合(ユーベvs.インテル戦)を消化して首位で終わらせたところで中断させたんだから」などとインスタグラムのライブで発言。これに対してブレシアは「個人の発言でクラブとは関係ない」と一線を引いた。

 当のバロテッリは、SNSでさらに激昂した。

「あの発言の、どこが挑発だったっていうんだ? 別にユーベを勝たせたかったんだろと言ったわけじゃないだろ。いっつも、オレの名前を汚すようなことばかり言いやがって、そんなことするくらいなら家で自粛に集中してろよ」

 こうして騒ぎは続いていったのである。

メディカルチェックで8kg体重超過。

 そして迎えた中断期間中、両者の溝は完全に深まってしまった。コロナ禍の法令によりスポーツチームの練習や野外のトレーニングそのものが禁止となり、選手たちは自宅でのコンディション調整を強いられた。

 そのことは、気分屋のバロテッリにとって厳しいことだった。

「時々法令を破って外に出てたよ。だって、うちにランニングマシンがなければトレーニングになんねぇじゃん」

 4月半ば、SNSのライブを使ってこんな話をしてしまう。地元紙によれば、スタッフが企画した選手によるビデオミーティングを欠席、メッセージングアプリのグループからも勝手に抜けて、動きが把握しにくい状況になっていたという。

 その後に感染防止措置が緩和されて、メディカルチェックを実施するためクラブが招集しても、応じたのは最後だった。そして『ラ・レプッブリカ』紙によれば、8kgものオーバーウエイトが発覚したのだという。

 全体練習が開始されても体調不良を理由に欠席。しかも連絡が遅い。5日には練習場に姿を現わしたが、胃腸炎という医師の診断書を提出して練習は欠席……。そして6日、ディエゴ・ロペス監督は『コリエレ・デッラ・セーラ』のインタビューに応え、「彼にはたくさんやるべきことがあった。とても残念だ。ロックダウン中のビデオ会議に姿を見せなかった。いくら自主的とはいえ、他の選手がやっていることをやらなければ同レベルにはならない」と批判した。

 チェリーノ会長は弁護士を呼んで、「正当な理由」で契約破棄をする方向で準備をさせたという。

気難しさは自分を守る盾なのか。

 バロテッリは、もともと自律能力に難があると言われていた。

「もうクラブの将来などは気にしていないようだ。降格してしまえば契約切れになるし、イタリアにもいたくないように思える。彼を雇ったのは失敗だった」

 チェリーノ会長は、イギリスBBCのインタビューに冷たく答えている。

 ただ、バロテッリ自身は周囲の理解に常に飢えていた選手でもある。それは昔からだ。7歳の頃にサッカーを始めたものの、他の子供の親たちは気性の荒さに驚愕。同じチームの半分が練習をボイコットするに至り、バロテッリはチームを変えざるを得なくなった。

 だが一説には、当時有色人種の存在に慣れていなかったコーチや子供たちから不適切な言い方をされており、強く言い返さなければならないような状況ができていたとも聞く。周囲に対する気難しさは、自分を守るための盾として形成されたものなのかもしれない。つまりは、彼を正しく理解し、助言する人間が必要だったのだろう。

キエッリーニとも“バトル”が。

 5月、イタリア代表のチームメイトで、ユベントス主将のジョルジョ・キエッリーニが自伝の中でバロテッリに言及した。

「ネガティブな人物で、グループに対しリスペクトがなかった。(2013年の)コンフェデレーションズカップのときもチームをまったく助けようとせず、引っ叩かれても仕方ないようなことをしていた」

 この発言に対してはバロテッリも「おかしなキャプテンだよ。言いたいことがあるなら面と向かって言えよ」とSNS上にメッセージを掲げて非難した。とはいえ、両者はその後テレビのバラエティー番組のビデオ通話で“和解”に至った。

 キエッリーニは「自伝に書くか迷ったけど、何も言わないわけにはいかなかったんだよ」と説明。「オレはいっつも冗談ばかり言ってるのに、“ネガティブな人物”なんて言われたことがなかったからびっくりした」と言いつつ、バロテッリも受け入れていた。

 しかしブレシアでは、ロックダウン中の孤立で人間関係の修復が不可能になった。

 チェリーノ会長は「前任の監督(コリーニ)が甘やかし過ぎたのだ」と言うが、そんな彼自身も、果たしてバロテッリという人物をきちんと把握していたのだろうか。この先、そこは問われていくのかもしれない。

(「欧州サッカーPRESS」神尾光臣 = 文)