2008年8月20日。北京オリンピック陸上男子200メートル決勝を世界記録(以下WR)で制した男。その男の名はウサイン・セント・レオ・ボルト。

 その記録「19秒30」は4日前の100メートル決勝で打ち立てた「9秒69」と共にWRであった。閏年の夏、22歳と365日。その実力を見せつけた男は、撮る者の疑念を晴らし、更なる驚きをもたらす存在となっていった。

 決勝は9割のフォトグラファーがゴールシーンを求める。誰が勝つか、注目はそこに集約される。100メートルであればその理屈も理解できる。しかし、200メートルのカービングには他のレースよりもスピード感があり、走者の力感は抜群。サイドから撮る選手のフォルムは「強い」。

 200メートルを「鳥の巣」(北京国家体育場)で撮影できたら、第4コーナーから直線にさし掛かる選手をサイドから撮りたい! と思っていた。

 但し、撮りたい被写体とカメラの間に、手前のレーンで先行する選手がフレームインしてくるリスクはある。それよりも前に「鳥の巣」で撮影できる可能性は未知数だった。

EURO2008の決勝で。

 時を遡ること7週間。6月29日、ウイーン。サッカーEURO2008決勝の舞台、エルンスト・ハッペルスタジアムのプレスセンターで横にいた旧知のカメラマン、ボブに声をかけられた。

「シンジ、北京オリンピックはどうするんだ?」私がパスを取得していないことを話すと彼は続けた。「クラブ(PSV)の夏の仕事が重なって全期間北京に行けないんだ。サッカーパス(EPS)なんだけど使ってもらってもいいよ! オランダと日本は同じ組だし」

 我々は握手をして、その晩の決勝のピッチサイドパスの交渉をしていたFIFA派遣のプレスオフィサー、ニコラスにオリンピックADの名義変更の件を尋ねた。

「FIFAがボブの会社に出してるパスだから、ボブが僕に変更届をメールしてくれたら、僕が北京の組織委に変更メールを書くよ!」という実に簡単な返答が戻ってきた。

 ボブは翌日メールを書いてくれて、ニコラスは夏休みを取る前に変更メールを組織委に送ってくれた。東京に戻ると北京からメールで添付ファイルが届いた。

サッカーのパスで何が撮れるか?

 実際のADカードが手元に届いたのは8月になった頃だった。ギリギリの手配でエアーを押さえ、8月6日の夜に北京に入った。サッカー競技は開会式前に始まり、天津と北京を2往復して日本代表を撮影した。しかし、残念なことに結果は2連敗。大会3日目にして男子サッカー日本代表の敗退が決まった。

 さて、残り2週間、EPSという単独競技パスで何が撮れるか? そこから広大な北京オリンピックパークの探索が始まった。

 水泳、NG。体操、NG。フィールドホッケー、OK。テニス、OK。外部の野球とバレーボール、OK。

 ダルビッシュ有を撮り、栗原恵を撮り、テニスの女子ダブルスでウイリアムズ姉妹の優勝を撮り、男子シングルスでラファエル・ナダルを撮った頃、陸上競技は男女の100メートルが終了していた。

200メートルのコーナーに陣取る。

 いよいよ「鳥の巣」での撮影をスタートさせる前にメディアセンターでリサーチに廻り、大会スタッフによるパスのチェックを確認した。大丈夫、フォトグラファーズベストを着ていればノーチェック! という返答が大半であった。

 8月20日。200メートルのゴールに群がるフォトグラファーを横目に、私は第4コーナー沿いの堀からトラックサイドにあがり、直線のメインスタンド側にあるリモートカメラのレールの横に陣取った。

 号砲一発。第5レーンの黄色いウエアだけを凝視すること4、5秒!

 第6レーンのジンガイ、第7レーンのマルティナ、第8レーンのディックスに視界を遮られることなく、ボルトはトップでコーナーを駆け、すさまじい走りでメインストレートへと過ぎ去って行った。

 1/1600秒のシャッター速度で16コマ。Nikon D3は1コマもフォーカスを外すことなく彼のコーナーリングを捉えていた。そして、その1コマ1コマを見て目を疑った。

視線が他の選手と違う……?

 直線に入る直前の6コマ、ウサイン・ボルトはスタジアムの反対側のビックスクリーンに目をやっているように見える。第4レーンのクロフォードの視線とは明かに違う。もっと高い所を見ている。自分の順位と他選手の位置取りをモニターで確認するかのようだ。

 6コマを更に見ると、80メートル付近で内側=左足が着地した時に視線を上げている。そこから3コマで2歩、同じパターンで2歩、その間、視線は遠方の高い所に行ったままだ。そして、自分の位置を確認し終わった時、つまりほぼ直線の入り口にさし掛かった時、歯を食いしばって、腕の振りが力強くなったように見える。

「もうちょっとマジで走るか!」的な。

 21世紀、稀代のスプリンタ-ここにあり。195センチ、93キロの巨体はハイテクスタジアムの情報源を駆使して走る「優れ者」であった。

 向かい風0.9メートル。速報タイムの19秒31は、正式タイム19秒30に変わっていた。2/100秒、マイケル・ジョンソンのアトランタでの記録を更新したWR。私はそれが撮れてほくそ笑んでいた(現在の世界記録は2009年ベルリンでボルト自身が記録した19秒19)。

「サッカーのEPSだったよね!!」

 3日後、サッカー決勝でFIFAのニコラスにお礼を伝えた。その晩、優勝したアルゼンチンの写真をボブに送り、ボルトの走りも数点添えた。

 時差はあったが即返信がきた。

「シンジ! メッシの写真ありがとう。オランダではオリンピックのサッカーは誰も気にしていないけれど、ボルトは誰でも知っている。ところで、君に譲ったパスはサッカーのEPSだったよね!!」

(「オリンピックPRESS」赤木真二 = 文)