「時間が足りないっすよ」

 安井拓也は、昨季からそう口にすることが増えた。

「あの映画も観たいですし、あの本も読みたい。ライブも行きたいですし、食事の約束もある。やりたいことがありすぎて、ほんま時間が足りないっす」

 持っていた手提げの紙袋には、チームスタッフから勧められたという漫画がどっさりと入っていた。

 安井は、2017年に神戸U−18からトップチームに昇格した生え抜き選手だ。ナンバー10を背負った司令塔は、当時からテクニック抜群という評価を受けていた。

 同期のFW向井章人とMF野田樹が期限付き移籍に出される中、安井だけはずっと神戸に残った。だが、昇格年には大森晃太郎や高橋秀人ら実績のある選手が加入し、7月には元ドイツ代表のルーカス・ポドルスキも加入。翌年には三田啓貴、韓国代表のチョン・ウヨン、さらにアンドレス・イニエスタといったスター選手が出たり入ったりする中で、安井の出番はなかなか巡ってこなかった。

 それでも「この環境で練習していたら成長はできるので」と腐らず、自分と向き合う日々を過ごした。

 昨季は、今まで以上にポジション争いが過酷だった。イニエスタ、ポドルスキ、日本代表の山口蛍、元バルセロナのセルジ・サンペールら錚々たるメンツが揃い、フォーメーション次第ではビジャや売り出し中の古橋亨梧、下部組織の先輩・小川慶治朗らもライバルに入ってくる。試合に出るのは、至難の業だと思われた。

 そんな安井に大きな変化をもたらしたのは、19年に鹿島からやってきた西大伍だった。「大伍くんとの出会いでサッカーに対する考え方が変わった」と彼も認める。

「サッカーだけやっていてもセンスは磨けないと言われた。大伍くんが初対面の人とすぐ友だちになるのを見て凄いなと思ったし、サッカー以外の世界もいっぱい持っている。そういうものがサッカーにも活きてくるんだと」

 手始めに、今までほとんど手を出してこなかった漫画を読んでみた。戦いに挑む主人公の心理を汲み取り、自分と照らし合わせた。


 映画やライブにも頻繁に足を運ぶようになり、食事の席では初対面の人と話すように意識した。自分の世界をどんどん広げていった。

 ある練習後には「この前知り合った他競技のアスリートと、一緒にトレーニングするんですよ」と楽しそうに話したこともあった。

 センス。この曖昧でよくわからないものを、安井はプライベートを変えることで磨こうとした。

 実際、この1年でプレーに幅が出た。徐々に試合に絡む時間が増え、リーグ戦では11試合に出場。前年の4試合から3倍近く出場数を伸ばし、天皇杯やカップ戦を入れれば約2倍の出場機会を得ていた。ボランチで出場した今年2月のACLジョホール戦では安定した守備とテンポの良いパス回しでイニエスタのオフェンス能力を引き出すことにも成功している。

 センスという表現は曖昧ゆえ、安井がそれを磨けたかどうかはわからない。だが、少なくとも、プライベートで身についた積極性は、適応力やコミュニケーション能力の向上につながっていると思われる。試合の出場機会が増えたということが、それを証明している。

 今にも覚醒しそうな時にリーグが中断したのは残念だが、安井が成長のブレーキを踏むことはない。再開後、スタメンに名を連ねていることを期待したい。

取材・文●白井邦彦(フリーライター)

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