クレメンティン・トゥーレという女性をご存じだろうか。コートジボワール女子代表監督を務め、夫で同国五輪代表監督でもあるハイダラ・スアリオとともに、アフリカではおしどり夫婦、おしどり監督として有名である。

 経歴をざっとたどれば、プロ選手だった父親の影響で幼いころからサッカーに親しみ、自身もプロへの道を選択する。女子代表選手として22試合に出場した後に現役を引退、指導者を目指すがそこから先は簡単ではなかった。体育・スポーツのディプロマ獲得のための研修では、「男性のための講座だから」という理由で参加を拒否された。ところが彼女はそこで諦めず、研修初日にインストラクターに直談判して参加が認めさせてしまう。その後は……ディプロマを取得したばかりか後にはCAF(アフリカサッカー連盟)のA級ライセンスまで獲得し、指導者として第二の人生を歩み始めたのだった。

 最初に指揮を執ったクラブはアビジャンの「アマゾネス・ドゥ・クマシ」。タイトルも獲得して2006年にはコートジボワール女子代表監督候補に名前を挙げられるが、メディアと世論の猛反対を受けて実現には至らなかった。まだ若く(当時29歳)経験不足というのが理由であったが、トゥーレ自身は「女性だから」というのが本当の理由であったと語っている。

 実力を証明して人々を見返したい。その思いに燃える彼女は、赤道ギニアに転進し、まず同国屈指の強豪クラブである「アギラス・バルデス」、ついで女子代表監督に就任して2008年には赤道ギニア代表チームをアフリカ選手権優勝に導いた。その大会で予選落ちしていたコートジボワールは、今度は三顧の礼をもって彼女を代表監督に迎え入れた。そして2014年のアフリカ選手権では3位に入賞して、コートジボワール史上初となるワールドカップ出場を果たしたのだった。

『フランス・フットボール』誌3月10日発売号でフランク・シモン記者が描いているのは、そんなトゥーレと夫であるスアリオの今日である。

監修:田村修一

世界のサッカーシーンを引っ張る女性監督。

 私生活においては結婚しているふたり――クレメンティン・トゥーレとハイダラ・スアリオは、ともにコートジボワール代表監督を務めている。

 妻は女子代表監督、夫は五輪代表監督。一緒に暮らしながらも、しばしば離れ離れにならざるを得ないふたりは、仕事への情熱と家族への愛という強い絆で結ばれている。

 妻は世界のサッカーシーンと最も深くかかわっている女性のひとりである。

実力でもぎ取った、母国女子代表監督の座。

 彼女は、現役時代にコートジボワール代表として22キャップを重ね、引退後はCAF(アフリカサッカー連盟)とFIFAのインストラクターとなり赤道ギニア女子代表監督に就任。

 2008年のアフリカ選手権で同国をアフリカチャンピオンに導いた後、2010年に母国コートジボワール女子代表監督に就任し、2014年のアフリカ選手権では3位に入賞して翌2015年カナダワールドカップの出場権を獲得した。

 一方、夫はコートジボワールでも評判の高い育成コーチであり、U-20代表監督を長く務めた後に、昨年11月には同国五輪代表を率いてアフリカ予選を突破して東京五輪出場権を獲得している。

 コートジボワールが五輪本大会に出場するのは、ベスト8に進んだ2008年北京大会以来12年ぶり2度目という快挙であった。

サッカー指導者だけで生計を立てているわけではない。

 サッカーの世界でふたりの名前は知れ渡っている。だが、私生活は慎ましく、ひとたびスタジアムを離れると周囲の人々に埋もれてまったく目立たない。

 ともに多忙で、なかなか同時に休みが取れないのが玉に瑕だが、最近だと数カ月前のバレンタインデーの時に、ようやく一緒に過ごす時間を得られたくらいだという。

「ずっと前からこの日が休日だとわかっていたから、ふたりで楽しみにしていた」とトゥーレは言う。

 しかし束の間の休息も長くは続かなかった。

 彼女は翌日には女子代表合宿のためモロッコに向かわねばならず、同様に夫のスアリオも、家庭があるアビジャンから車で4時間(270km)の街ガニョアのリセで、体育の授業を臨時で受け持たねばならなかった。

 内実を明かせば、ふたりはともに100%サッカーで生計を立てているわけではなかった。

イスラム教の夫とキリスト教の妻の家庭。

「基本的に、ふたりとも学校で体育の教師をしている身なのです」とトゥーレは言う。

 彼女がスポーツ省に所属しているのに対し、夫は文部省の指導のもと体育教育に関わっている。

 トゥーレが続ける。

「知り合ったのは今から20年前で、まだどちらも現役の選手だった。コーチングライセンスを一緒に取得したのがきっかけで付き合うようになったのです」

 指導者となったふたりは2006年12月20日結婚し、男子と女子と2人子供をもうけた。

 それは恐らく世界のどこにも例のない家族の肖像であり、コートジボワールという国と社会を世界に向けて発信する、ひとつの新しいイメージでもあった。

 また同時にそれが人間の寛容さを示すひとつの在り方であるといえたのは、イスラム教徒の夫とキリスト教徒の妻が、ひとつの家庭を築きあげたからでもあった。

うまく家庭内の役割分担を決めている。

 彼らにとっての懸案は、お互いに限られた時間をどう調整するかだった。

 夫が生徒に体育を教えている間、妻はテレビ番組にサッカー界を代表する存在として出演する。夫が自宅のあるアビジャンに戻れば、今度は妻が別の街に出かけている……。

 すれ違いは日常茶飯事である。

「それでも何とかうまくやりくりはできる」とトゥーレは語る。

「いつも一緒にいられるわけではないけど、一緒に外出もできるし楽しい時間も過ごせる。普段は会えないから、旅先から家に戻って顔を合わせる瞬間が本当に嬉しい」

 家庭内の役割分担もハッキリしている。

 夫が息子の学業を手助けし、妻が娘の面倒を見る。ふたりをよく知るルスポーツ紙のドゥ・ニケズ記者は次のように語っている。

「ふたりはスイス人のワルテル・アマンから同じ教育を受けた。そのうえふたりともINJS(国立青少年スポーツ学院=コートジボワールの指導者養成機関)に通った。ハイダラは性格的に謙虚であるのに対し、クレメンティンはよりナチュラルだ。ふたりがお互いを補完しながら助け合っているのは間違いない」

夫婦がお互いにアドバイスを出し合う関係。

 昨年11月にカイロでおこなわれた東京五輪予選がまさにそうだった。トゥーレが当時を振り返る。

「たまたま私も仕事でカイロに滞在した。しかも驚いたことに、五輪出場が決まる準決勝のときだった。私はそれまでの試合を見直してすべてを分析した。そのうえでチーム構成や戦術オプションについてじっくり夫と話し合った。

 逆に彼が私にアドバイスをくれたときもあった。

 五輪予選3回戦のナイジェリア戦がそうで、私は当初ボランチをふたり配した4-3-3で試合をスタートするつもりだった。でも彼が提案したのはひとりのアンカーの前に10番をふたり置くシステムで、他のスタッフとも話し合った結果、彼のやり方で試合に臨んだ。凄くうまくいったわ。ハイダラは私たちの外部スタッフのような存在で、同じ情熱を分かち合うことで私たちの絆は深まっていく」

 ハイダラもまた同じ思いを抱いている。彼は言う。

「同じことを心配し、悲しみを共有するのも悪くない。違うかい? 彼女の合宿中もよく話し合うし、私の合宿でもそうだ。話せば決断がしやすくなるし、ひとりではとても考えつかなかった新しいアイディアも得られる」

監督業のストレスを家庭に持ち込まない。

 正式な代表スタッフとして、同じチームで働きたい――というわけではないという。

「その点は誤解されたし意図も正しく伝わらなかったこともあるかもしれない。私たちはそんなことを望んでいるわけではない。ただしクラブならば、一緒に働くのも可能だと思うことはあるけどね」とハイダラは言う。

 ふたりが今、最も気にかけているのは、監督という仕事のストレスを家庭に持ち込まないこと、その悪影響を子供たちに与えないことである。

「家では子供の教育が最優先で、妻も同じ思いだ」とハイダラは語る。

 東京五輪に関しては、MFのハメド・ジュニオール・トラオレ(20歳、サッスオーロ)やGKのエルエゼル・タペ(22歳、FCサンペドロ)ら有望選手を擁する男子が東京行きを決めているのに対し、女子はアフリカ予選4回戦でカメルーンに敗れ(0対0、1対2)、夫婦揃っての本大会出場はならなかった。

「ただ、日本には視察で行くかもしれない。本音を言えば、男女ともに出場したかった」とトゥーレは心情を語る。

 もちろんそうだろう。ふたりが一緒に歩む人生は、これからもずっと続いていくのだから――。

(「フランス・フットボール通信」フランク・シモン = 文)