「絶対に勝てるって思ったんです」

 清武弘嗣は間髪を容れず、そう同調した。

 メダルまであと一歩と迫った2012年のロンドンオリンピックをあらためて振り返る企画。オーバーエイジで出場した徳永悠平を長崎まで訪ねたのち、USJの近くにある大阪・舞洲のセレッソ大阪クラブハウスへと向かった。

 優勝候補スペインを相手に「これならやれるなと思っていた」と徳永の言葉を伝えた際の反応が冒頭のコメントである。

 スペインはEURO2012を制したジョルディ・アルバ、フアン・マタ、ハビ・マルティネスが名を連ね、ダビド・デヘア、イスコ、コケらもいる。徳永のニュアンスは“戦っていくうちに”だったが、清武のニュアンスは違う。“戦う前から”なのである。

「絶対に勝てる」と信じることができた背景。

 彼は言葉をこう続けた。

「前評判が低いのはみんな感じていたので“見返してやろう”っていう気持ちがチーム全体にありました。

 スペイン戦のウォーミングアップで準備しているときから、多分いけるなって自分のなかでは思っていて、関さん(関塚隆監督)、コーチ、スタッフ、チームメイトと一日でも長くサッカーをやりたいという気持ちも強くて。いい準備ができたと思うし、その意味でも(吉田)麻也くん、徳さん(徳永)がチームに入ってくれたことはチームにとって大きかったと思いますね」

 静かな口調ながら、1つひとつの言葉に熱がこもる。

「絶対に勝てる」と信じることができた背景に、オリンピック直前の選手ミーティングがあった。強化試合のベラルーシ戦後、戦術における意見交換の場となっただけでなく、チームの雰囲気にも話が及んだ。

「試合前はもっとピリッとしたほうがいい」

「麻也くんから『明るいのはいい。でも試合前はもっとピリッとしたほうがいい』と。僕もA代表に行っていたので『キヨも分かるだろ』と。

 僕たちの世代は試合前のミーティングでも笑顔があったり、明るい雰囲気のままでしたけど、締めるときは締めようという感じになりましたね。

 徳さんもプレーで引っ張ってくれて。もともと明るいチームにオーバーエイジの人が厳しさを持ち込んでくれて、チームとして凄くいい雰囲気になっていく感じがありました」

「謙佑がスイッチを入れたときがGOサイン」

 徳永の見解と同様に、最後の強化試合となったメキシコ戦で世界相手にどう戦うかはっきりしたという。

 1トップに入った永井謙佑がプレスを掛けるタイミングで、2列目の清武らが続く。外に追い込んで奪い取ったら、速く攻める。

 先制点は清武が前でボールを奪い、パスを届けた永井の折り返しから東慶悟が決めたものだった。ボールを保持するメキシコに勝って自信を得たことで、「絶対に勝てる」という思いが膨らんでいった。

 連動した前線からのプレス、永井のスピードを活かす速攻はスペイン相手にも通用した。日本のボール保持率は35%にとどまったが、強豪相手にもどこか余裕が感じられた。

「確かにボールは持たれていましたけど、感覚的には“持たせておいていいな”でしたね。謙佑が(プレスの)スイッチを入れたときがGOサインで、次にどう続くかでコースの切り方も決まってくる。

 後ろも押し上げてくれて、全体的に凄くうまくやれていたと思います。スペインの動き自体、あまり良くないと感じていたなかで、最後までハードワークを続けることが大事でした。あの試合、みんな(走量が)12km超えしていたんじゃないかと思います」

デヘアの威圧感は想像以上だった。

 誰一人サボらず、集中を全員で保つ。

 追加点を奪えなかったのは決定力不足というよりも立ちはだかるデヘアの威圧感が想像以上だったからだ。清武はこう語る。

「デヘアは手も足も長くて、反応が凄くて、マジで(点が)入る気がしなかった。(大津)祐樹が決めてくれて助かりました」

 絶対に勝てる、は予感ではない。虚勢でもない。成し遂げるという決意そのものだった。
 戦術、雰囲気、決意。すべてがかみ合ってあの勝利があった。
 
 スペイン戦の勝利はあくまで序章に過ぎなかった。

清武と永井の“あうんの呼吸”。

 清武は中2日で続く第2戦のモロッコ戦こそ大事だと考えていた。

「せっかくスペインに勝っても次のモロッコに引き分け以下なら(突破が)あやしくなる。それにあれだけ走ったから試合後の疲労感が強くて……。

 引き分けでいいっていう考え方は危険だし、引き分けも要らないっていう認識をみんなで持ちました。“体はきついけど、走ろう”ってみんなで意思統一して」

 初戦のホンジュラス戦を引き分けたモロッコこそ後がない。スタートからボルテージを上げてくる相手に対し、日本は我慢の展開が続いた。

「それでもやられる気はしなかった。いつかチャンスは来るって思いながら戦っていましたね」

 チームを救ったのは清武と永井の“あうんの呼吸”だった。

 スコアレスのまま残り時間はあと6分に迫っていた。そのとき――。

 鈴木大輔のヘディングでのクリアボールをセンターライン付近で受け取った清武は振り向きざまに浮き球のボールをアバウトに前に送る。裏を狙っていた永井が相手とのスピード勝負に競り勝ち、前に出てきたGKの頭上を越すループ弾が決勝点となった。

宿舎ではみんなでビリヤードに興じた。

「大輔のパスをトラップした瞬間に謙佑だなと思って、もうそこは感覚的に。謙佑には“俺がボールを持ったら走ってほしい”というのは伝えていたし、ルーズなボールでいいから(前に)出そうと。そうしたらちょうどそこに謙佑がいて。あの足を活かさない手はないですから」

 偶然ではなく、お互いが感じ取っての必然の一発。苦しみながら得た勝ち点3によって、グループのなかでいち早く決勝トーナメント進出を決めることができた。

 第3戦のホンジュラス戦では控えメンバーにチャンスが与えられ、リフレッシュして臨むことができた準々決勝のエジプト戦は3-0と快勝した。

 明るく、厳しく。

 大会に入って、より結束が固まっていく感じがした。移動の連続で、疲労回復が追いついていかない状況でもあった。それでもオンとオフを切り分け、宿舎ではみんなで集まってビリヤードに興じた。

「俺たちが崩れてしまった」

 決勝進出が懸かったウェンブリーでの準決勝メキシコ戦。

 エジプト戦の会場となったマンチェスターからバスで6時間掛けてロンドンに辿りついていた。

 試合は大津のミドルシュートで先制しながらも前半31分にコーナーキックから同点を許した。大会を通じて初めての失点が、選手たちの心にダメージを与えた。後半20分に勝ち越しを許し、反撃することができなかった。

「失点したときに一瞬やばいなって思ったんです。相手がというより俺たちが崩れてしまったってところはあったと思います」

 同点に追いつかれたことで、抑えてきたはずの疲労感が顔をのぞかせた。もう一度抑えこもうとしたが、難しかった。

「疲労」というフレーズを出さなかった。

 これまでにはあまり見られなかったミスも起こった。中2日は同条件ゆえ、理由にならないという声はあるかもしれない。だが準々決勝からずっとロンドンに滞在できたメキシコと比べると明らかに不利だと言えた。

 清武は「疲労」というフレーズを出さなかった。「俺たちが崩れてしまった」という言葉に、チームに対するプライドを感じることができた。

 結果的にはメダルに届かなかった。

 それでも清武は「まったく悔いはありません」と言い切る。やれることはすべてやったと思えるからこその言葉なのかもしれない。

「関さんのためにも」という思い。

 言うまでもなく、オリンピックは同世代で戦える最後の世界大会だ。それゆえに思い入れも強い。東京オリンピック世代に何かメッセージを、とお願いすると彼はしみじみとこう語った。

「同世代で戦えるって凄く貴重だし、自分の経験で言えば育成年代のころとは違っていろんなことを覚えて集まってくるので、とてもいい時間だったなって思います。若いし、勢いもあるし、大人にもなっているし。

 もし(東京オリンピック世代に対して)言えることがあるとすれば同世代で戦う最後の大会になるのでこの時間を大事にしてほしいっていうことですかね」

 本大会メンバーは18人のみ。選ばれなかった選手たちの思いも背負った。

 インタビューの最後に、関塚の話になった。清武にとって、プロになって現在まで唯一の日本人監督であり、選手、スタッフを含めて一体感をうまくつくってもらっただけに感謝の気持ちも大きい。

「関さんのためにもっていう思いが僕のなかでは強かった。メダルを獲れなかったのは残念でしたけど、本当に素晴らしいチームだったなって思います」

 みんなで尊い時間を大事にしたからこそ、最高の舞台で6試合を戦えた。

 誇らしげな言葉が、そんなニュアンスを含んでいるような気がしてならなかった。

<ロンドン五輪連載第1回「徳永悠平」、第3回「関塚隆」は下の関連記事からご覧になれます>

(「サムライブルーの原材料」二宮寿朗 = 文)