今夏のインターハイやインカレ、甲子園も中止となるなど、学生スポーツにも新型コロナウイルスは大きな影を落としている。まだ半年以上先の箱根駅伝の開催も見通しが立っていないが、無事に開催されることになれば、大いに注目なのが創価大学の3年生、嶋津雄大だ。

 今年正月の箱根駅伝で、嶋津は2つの意味で衝撃を与えた。ひとつは13年ぶりに10区区間新記録を叩き出し、チームに初のシード権をもたらしたこと。嶋津の熱い走りがテレビに映し出されたシーンは、瞬間最高視聴率34.1%をマーク。ゴール後には興奮気味でインタビューに答えるなど、そのキャラクターにも注目が集まった。

 もうひとつは、84.7%もの選手がナイキの「ヴェイパーフライ」を履いた中、嶋津は区間新記録を更新した選手で唯一“非ヴェイパー”だったことだ。

1時間のはずが2時間半話しっぱなし。

 嶋津が履いていたのは、ミズノが開発したシューズのプロトタイプ。発売中のNumberDo「ランニングを科学する」では、ヴェイパーフライが独占状態のランニング界において、ナイキ以外のメーカーがどんな理念をもってシューズ開発を進めているのか、新たに登場するモデルはどんなものなのかを取材した。

 そのなかで実際に履いた選手の声も聞きたいと、EKIDEN Newsの西本武司さんと一緒に嶋津にも話を聞きに行った。取材時間は1時間、のはずだったのだが、過去のエピソードをひとつひとつ仔細に語ってくれるので、話が終わる気配がない。気がつけば約2時間半、箱根を駆け抜けるがごとく、ノンストップで話をしてくれた。

 その内容は誌面では到底収容しきる分量ではなかったため、ここで箱根駅伝の裏側から、高校時代の話までをお届けする。

「ここで活躍すれば、主人公だよな!」

 初の箱根駅伝出走で、ラストの10区を走る。そのプレッシャーは大きいものであることは想像に難くない。

「10区で走ると決まってからは、チームメイトから“ラスト任せたぞ”とか、“嶋津にかかってるからな!”って言われてて。めっちゃプレッシャーかけてくるじゃん!って思いながらも、ナーバスになるキャラでもないので『俺にまかせろ!』みたいなことを言ってたんですが……当日になったら足が震えるぐらい緊張しちゃって……」

 鶴見中継所で、その緊張にいち早く気づいたのが、当日サポート役についた小野寺勇樹だった。

 実は嶋津はアニメやライトノベル好き。自分でもライトノベルを書き、その一部をTwitter上で公開もしている。

「以前、小野寺に『俺は主人公になりたい。モブ(アニメや映画業界で大衆や群衆などを指す)で自分の人生を生きたくない』って話をしたことがあって。それを覚えていてくれてたのかわからないんですけど、スタート前に『ここで勝ったら、お前主人公だぞ!』って言ってくれたんですよ。アニメの主人公って、ピンチをチャンスに変えて、絶対に勝ってくるじゃないですか。確かにここで活躍すれば、主人公だよな! と思ったら、緊張が止まったんです」

「こんなにやばいのかよ」

 とはいえ、復路の鶴見中継所で、11位でタスキを受け取った嶋津と、シード圏内である10位中央学院大との差は55秒あった。

「待っていても、石津(佳晃)先輩が全然来ないんですよ。10位行っちゃったぞ、何秒経ったんだ? って思ったときにやっと先輩の姿が見え始めて。正式にどれぐらい離れているかは、わからなかったけど、こんなにやばいのかよ、って焦りました」

 榎木和貴監督の指示は「最初は抑えめで」だった。だが、嶋津はスタート直後から飛び出す。

「箱根に出るぐらいだから、どの大学も強い選手ばかりじゃないですか。だから、とにかく前に追いつかないと!という気持ちで突っ走ったのだけは覚えています」

突っ込んでいることはわかっていた。

 失速するのではないか。そんな周囲の心配をよそに、嶋津は9.5km地点で中央学院大学を捉える。

「割とすぐに前の白い車が見えて。あれが前の選手か? と思ったら、距離が縮まっていくことが喜びになって、我を忘れて全力で走っていました。手元の時計で自分が突っこんでいることはわかっていました。だからこのままだと後半どうだろう? とは一応は考えたんですよ。1回後ろについて、ラスト勝負に持ち込むのがセオリーだということもわかっていました。

 でも追いついたときに、中央学院大の選手が止まって見えたんですね。この勢いなら絶対に勝てると思って飛び出しました。一瞬後ろにつかれたのを感じたのですが、ここで風除けに使われちゃいけないと思って、ギアを上げたんです」

10区は声援で自分の息づかいが聞こえない。

 路面に足を引っ掛けたり、足がつりそうになったことも何度もあった。それでもペースを落としてはいけない、その思いで嶋津はひた走った。そして、ついには9位の東洋大にも追いつく。

「さすがに10位の先は考えてなかったんですよ。でも、あれ? さっきと同じ車が見えたぞ、と思ったら東洋大さんがいて。『俺どれだけペース速いんだ? やばいぞ!』と思ったんですけど、どんどん近づいてきちゃうんですよ。ただ、ここで抜けば順位にゆとりが生まれるし、『よし、あれも食ってやろう!』ぐらいの気持ちで抜きました。

 そのあと20km手前でも、前に選手が2人いるのが見えたので、『もう一段ギアをあげるぞ!』と思ったら、もう足が動かなかった(笑)。10区って声援が大きくて、自分の息づかいも聞こえないので、疲労度がわからなかったんですよ。足が動かなくなって初めて、自分が疲れているんだって気付いてしまって。そこからの3kmは地獄でしたね」

先輩に「嶋津うるさかったよ」。

 それでもタイムへの思いは強かった。大手町で嶋津は1秒を削り出すように、大きく胸を突き出し、ゴールした。

「ガッツポーズする人もいると思うんですけど、自分は最初からポーズは取らないと決めていました。だって、その余裕があるなら、コンマ1秒でもタイムを削れますよね。自分は醜くてもいいから、最後の最後まで削り出したいんです。だから、後からゴールでちゃんと胸を突き出していた写真を見て、俺ちゃんとできていたんだな、よかったってホッとしました」

 ゴール後のインタビュー。テレビで息を切らしながら、話す嶋津の姿を観た人も多いだろう。だが、あれは号泣したせいだったと嶋津は笑う。

「涙が止まらなくて、ずーっと1人で『ありがとうございます! ありがとうございます!』って泣き叫んでいたらしくて。あとで米満(怜)先輩に『誰にお礼言ってるんだよ、っていうぐらい、嶋津うるさかったよ』って言われました(笑)。

 号泣すると頭が真っ白になるじゃないですか。あのインタビュー中も何も考えられなくて、しかも僕、こんな感じでマシンガンみたいに話すので、息が続かなくて、だから途中ハーハー言ってたんです(笑)」

高校時代からチャレンジャーだった。

 箱根で見せた、挑むような走り。これは若葉総合高校時代からのものだ。3年連続出場した東京都駅伝では、2年、3年と1区を担当、2年連続区間記録を更新した。2年時は同じ1区に「2強」と目されていた神戸駿介(現・駒澤大学)と今回同じ10区を走った宍倉健浩(現・早稲田大学)がいた。

「チャレンジャーという立場だったので、行けるところまで行ってやろうと思った」という嶋津は、第一グループにいた2人に食らいついた。終盤、一度は大きく離されたものの、ラスト500mでスパート。トップでゴールした。

3年生では2位に1分差つけて区間新。

「高校時代の監督が『あんな選手東京にいた?』ってライバルたちに見せつけるのが、好きな先生で(笑)。誰も自分が勝つなんて思っていなかっただろうから、自分の仕事は果たした! と思ったんですけど、逆に後ろを走る選手が緊張しちゃったみたいで。チームの目標は6位以内だったんですけど、結局9位に終わってしまったんです。

 試合後、監督に『お前は区間賞を取れてよかったかもしれないけど、チームはな……』みたいに釘を刺されて、自分としてはちょっと解せないなぁという思いがあったんです」

 それならと、3年のときには、あらかじめ前年の6位とのタイム差を計算。それ以上のタイム差をつけると決意し、見事に2位と24秒差、6位と58秒差をつけ、タスキを渡した。

「でも、また9位だったんですよ(笑)。ただ、さすがに監督も『嶋津はよくやった』って言ってくれました」

「これが1位と2位の差なんだ」

 高校時代の嶋津を強くしたのに一役買ったのは、青梅マラソンだ。1年で20位だった嶋津は、2年で優勝を狙い出走。だが、東京実業高校の武田悠太郎(現・日本大学)が、それを阻んだ。

「自分としてはラスト勝負という戦略だったんです。ところが武田先輩はラスト5km地点、しかも上りで上げてきたんです。ついていかないと1位は取れないと思って、慌てて追ったんですけど、ずっと10mぐらいの距離があって、何度ギアを上げても全然追いつけない。結局そのままゴールしました」

 この年の嶋津はずっと勝てず、2位止まり。

「万年2位だと言われることもあって、コンプレックスを感じる一方で、表彰台なんだからいいじゃん、すごいじゃんって思っていたんですよ」

 だが、青梅のゴール後、カメラに囲まれインタビューを受ける武田を横目に見ながら、注目さえされずに帰るという経験をしたことが1位への思いを強くした。

「これが1位と2位の差なんだ。2位じゃダメなんだって実感して。その後は本気で1位を狙いに行くようになりました」

ゴールしたら誰もついてきてなかった。

 翌年の青梅では、前年の武田の戦略に倣い、5kmからペースアップ。だが、前年とは違い、2人の選手がピタリと追走した。

「しかも全然疲れているように見えなくて。何度か離されることもあったけど、絶対に1位を取りたいと思っていたので、ラスト500mで必死にスパートしたんですよ。で、ゴールして振り返ったら、誰もついてきてなかった。みんなが言うには『ラスト100mの嶋津はまじで速かった』って(笑)。そんなにあげてたことに自分だけが気付いてなかったんです」

70mの廊下を延々と往復した。

 出身校は、強豪校とは無縁の都立若葉高校。しかも嶋津は暗い場所で目が見えにくくなる病気「網膜色素変性症」というハンデも抱えている。

「遺伝性の病気でおばあちゃんとお姉ちゃんも同じ病気なんです。夕方になると視界が悪くなるので、高校の時は70mぐらいの廊下をずっと行ったり来たり、何十往復とジョグをしていました」

 たった70mの距離。トップスピードにのる間もない距離だ。

「幅が狭いとスピードって速く感じるじゃないですか。だから結構速いペースで走れてるぞ、と思っても1km5分ぐらいで(笑)。でも、距離は踏めていないけれど、ポジティブに考えると精神力は鍛えられますよね。1人でずっと同じところをグルグル回るんですから。あれに比べたらトラック25周の1万mなんて、たった25周でいいの? って感じですよ。気持ち的なゆとりは他の選手よりも大きいと思いますね」

 高校で才能を開花させた嶋津には、いくつもの大学から声がかかった。そのなかから創価大学を選んだのは、同じ病気を抱え、嶋津より先に入学が決まっていた同級生の永井大育の存在があった。

家族以外で出会った同じ病気の仲間。

「同じ病気を持っている子が来るから体制は整っている。1人でも2人でも変わらないから来ないかって大学に言われたんです。それで見学をさせてもらったら、競技場のライトはLEDで、夜間でもすぐに照明がつくし、陸上部専用のトラックがあるからぶつかる心配もない。

 体育館には200m走れるコースもあるし、サッカーグラウンドには芝もあるし、寮にはトレッドミルもある。学校の周りは起伏があって、ロードで坂道練習もできる。今までは70mの廊下でしたから、雲泥の差です(笑)。

 僕、家族以外で、同じ病気を持っている人に初めて会ったんです。今までずっと1人で廊下を走っていたのが、2人で毎朝話しながら走っている、それだけで楽しくて、自然とペースが上がっているんですよね。境遇もすごく似ていて、永井は一番気の合うチームメイトですね」

「今年もこの勢いのまま行きたい」

 昨年、創価大学は陸上競技部監督に榎木和貴監督が就任。月間走行距離やタイムの設定、スマートウォッチの導入など、様々な改革が行われた。

「故障者もだんだん出なくなってきて、自分がホクレンディスタンスで14分3秒を出したり、米満先輩が八王子ロングディスタンスで28分30秒を出したりと、ベストタイムのオンパレードで。その勢いで箱根に臨めたのが、シード権獲得につながったと思っています。今年もこの勢いのまま行きたいと思っています」

 ブレイクした嶋津と、勢いに乗る創価大。コロナ騒動を克服した先にある箱根路では、新たなドラマが生まれそうだ。

(「Number Do Ex」林田順子 = 文)