<サッカー、あのときの一言~23>

名場面に名言あり。サッカー界で語り継がれる記憶に残る言葉の数々。「あの監督の、あの選手の、あの場面」をセレクトし、振り返ります。

「負けた。最後の最後にやられた。これがサッカーだ」。1993年(平5)10月28日、日本代表のワールドカップ(W杯)初出場が断たれ、日本中が悪夢にうちひしがれた「ドーハの悲劇」。現実を見つめることが難しい状況でハンス・オフト監督(当時46)が発した敗者の弁だった。

92年5月に就任した指揮官は、W杯出場だけを見据えていた。同年のダイナスティ杯やアジア杯で優勝しても「まだまだ本当の勝負はこれから」。アジア杯後には「予選を考えると、勝ってマークが厳しくなるよりも、ベスト4くらいでよかった」とまで言い放つほど。W杯出場以外はすべて過程にすぎなかった。

選手への意識改革も取り組んだ。役割を分担して各ポジションの仕事を明確にし、それだけを全うするよう求めた。また、目だけで意思疎通する「アイコンタクト」や、常にボール保持者に2人がサポートしてできる三角形「トライアングル」などを浸透させた。時には厳しい要求に選手から反発も買ったが「同じ目標のため、チームは家族のようにならなくてはいけない」とチームを1つにまとめ上げ、快進撃を続けたことから「オフト・マジック」と評された。

ドーハのアルアリ競技場で行われたアジア最終予選最終節でイラクと対戦した。勝てば日本初のW杯出場が決まる運命の一戦で、カズ(三浦知良)と中山が得点。2-1とリードして後半ロスタイムに入ったが、まさかの同点弾を許して手中に収めていたW杯の切符が逃げていった。同点から約1分後、無情のホイッスルが鳴った。W杯への夢は完全に断たれ、ラモスら選手はピッチへ崩れ落ちた。

オフト監督は失意が渦巻くピッチへ向かった。うなだれる選手へ寄り添い、ロッカールームへと引き上げた。悔しさを押し殺し「負けた。最後の最後にやられた。これがサッカーだ」と現実を受け止めた。大目標だった「W杯初出場」の使命は達成されなかった。だが、ダイナスティ杯やアジア杯、アジア・アフリカ杯で初優勝をもたらした。W杯出場以外は、日本サッカー界に新たな歴史を築いた。

その後の日本代表は98年フランス大会から2018年ロシア大会まですべてのW杯に出場し続けている。日本サッカーはW杯出場が「当たり前」と思われるほどに急成長した。輝かしい成績を残している一方で、オフト監督が「負けた(2-2の引き分け)」と評した「ドーハの悲劇」は今でも強い印象を残す。