『Sports Graphic Number』創刊1000号を記念して、NumberWebでも「私にとっての1番」企画を掲載します。今回はバレーボール日本代表、Vリーグの取材を長年続けている田中夕子氏に木村沙織のキャリアを振り返ってもらいました。

 春高バレー、Vリーグ、日本代表。カテゴリーは変わっても、背が高くて攻守のバランスに長けた女子選手が出てくると、翌日は決まって同じ見出しが躍る。

「木村沙織の後継者」、もしくは「木村沙織二世」。

 別のシチュエーションもある。2019年ワールドカップで4位と躍進を遂げ、特に最終日のカナダ戦では連続サービスエースという破格のインパクトを残し、一躍スターダムへと躍り出た男子バレー日本代表・西田有志を擁するジェイテクトSTINGSの試合は連日、立ち見も出るほどの盛況ぶり。好成績と若きエースの誕生で一気に沸いた男子と比べると、同じVリーグでも女子の会場はいささか寂しい。そんなスタンドを見上げ、冗談交じりに関係者からこんなことを言われた。

「木村沙織さんみたいな選手、いませんかね」

「沙織みたいな選手はいない」

 2017年の現役引退から3年が過ぎた今もなお、未だ衰えぬ存在感。

 誰か1人を取り上げるのは、団体スポーツであるバレーボールでは何か違う、と思いつつ、やはり彼女は別格。そう証言するのは東京五輪に向けて2月に始動した女子バレー日本代表で主将を務め、現役時代の木村と最も長く、共にプレーしてきた荒木絵里香だ。

「沙織みたいな選手はいないですよね。華があるとか、そういうことじゃない。敵になれば憎たらしいぐらいうまいし、味方であればどんな時でも決めてくれる。天才だけど、努力の人で、沙織は沙織。ただ1人です」

 巧さに長けた選手や、パワーで勝る選手。バレーボール選手のスキルや戦績で見れば、彼女以上の選手はいた。かつての名選手と呼ばれた面々を思い浮かべればそう言う人はきっと少なくないはずだ。

 同様に、科学や医学、情報などさまざまな進化に伴い、今この時代やこれから、彼女をしのぐようなもっとすごい選手が出てくるかもしれない。

 それでもなぜ、木村沙織なのか。

 理由は単純だ。何より、彼女がいる試合を見るのは楽しかった。

ロンドン五輪、準々決勝中国戦。

 木村のプレーや戦績を語る上で、欠かせないのは2012年のロンドン五輪。特に木村自身も「現役生活で最も印象深い試合」として挙げた準々決勝中国戦は、すべてのセットが2点差という激闘だった。

 第5セットまでもつれ、ジュースの末、最後の最後にリリーフサーバーで投入された中道瞳のサーブポイントで日本が勝利した、死闘、激闘、総力戦。どんな風に言い表しても足りないその試合で、セッターの竹下佳江が「大事なところで決めてくれたのは、間違いなく沙織とエバ(江畑幸子)だった」と振り返ったように、チーム最多の33得点を叩き出した両エースが勝利の立役者だった。だが、木村の見解は違う。

「むしろ私は助けてもらって、盛りたててもらったんです。相手に勝ちたい、メダルがほしいというのはもちろんだけれど、テン(竹下)さんやリョウ(佐野優子)さん、つないでくれたみんなから“この球はあなたが決めて”と言われているような状況をつくってもらっていたので、その期待に応えたい、という思いがすごくありました」

緊迫した場面での引き出しの多さ。

 ブロックの横を抜いてストレートへ強打を決めたかと思えば、ブロックの上にドライブをかけながら人のいない場所へいとも簡単そうに落とす。相手は少しでも攻撃に入るのを遅らせようとサーブやスパイクで木村を狙うが、たとえレシーブが崩れたとしても、通常ならば返すのがやっとという後方からの二段トスを豪快に打ち抜いてくる。

 緊迫した場面、相手を圧倒するようなゲーム。状況は違っても、コートにいて、プレーを見るだけで、この人は何をするのか、と次々に出てくる引き出しの多さに驚いた。

 そのうえ、この1点は何が何でも取らねばならないという勝負強さは他に類を見ない。ここぞ、という勝負所の1点をセッターの竹下はもちろん、竹下がレシーブをした後にリベロの佐野が迷わず木村にトスを上げるたび、チームのみならず、会場全体が木村に託し、固唾をのむ。そんな瞬間を、いつもワクワクしながら見てきた。

主将として臨んだリオ五輪。

 インドアの女子バレーボール選手として4度の五輪出場を成し得たのは日本では木村しかいない。だが、銅メダルを獲得した3度目のロンドン五輪をピークとするならば、現役最後となったリオデジャネイロ五輪までの四年は、容易い道のりではなかった。

 ロンドン五輪を終えた木村は、世界最高峰のトルコリーグ、ワクフバンクへ移籍。「想像もしなかった」という海外挑戦も果たし、やるべきことはすべてやりきったと現役引退を決意していた。だが、眞鍋政義・前女子バレー日本代表監督の打診を受け、2016年のリオ五輪を目指し、キャプテンに就任した。

 覚悟の上の決断ではあったが、年下のキャリアが浅い選手が増える中、目が向くのは自分よりも周りのことだった。自分の引き出しを増やし、さらに技を磨くよりも他の選手がやりやすいように、と気を配るばかりで、かつての竹下や吉原知子のようにキャプテンとして強いリーダーシップを発揮できるわけでもない。

 それならばプレーでと、自身が望むトスや攻撃パターンを要求すればいいのだが、自分が合わせればいいと気遣うため、どんなトスがほしいと要求することもしない。その結果、スパイクに力が乗らず、あれほど伸び伸び放っていたスパイクは影を潜め、窮屈そうに放つ打球はなかなか決まらない。

 日本代表も、3季ぶりに復帰した東レでも思うような結果が残せず、そんな時だけは矛先を自分に向けた。

「木村の背中に炎が見えた」

 あれほど表に感情を出すことがなかった木村が「ここに自分がいないほうがいいんじゃないか」と涙する姿を何度も見た。

 自ずと、考えなくてもいいような想像が筆者の頭をちらつき始める。このままキャプテンとしての日々を苦しんで過ごし、ユニフォームを脱ぐのか。ならばせめてもう一度、伸び伸びと思い切り打ち抜く、頼れるエースの姿が見たい、と。

 そして、その日は訪れた。2016年5月21日。リオ五輪世界最終予選、対イタリア戦。

 全部トスを持って来いとばかりに、木村は自ら打ちまくった。サーブレシーブからのサイドアウトも、相手の攻撃を防いだ後のブレイクも、7割、いや8割近くと言ってもいいほどセッターの宮下遥は木村に上げた。

 後で聞けば、大会前の遠征で自信をなくし、早朝から自主練習をしていた宮下のもとに突然木村が「スパイクを打ちに来た」と現れたのだという。それまではレフト側からの攻撃展開をやや不得手とした宮下だが、他の誰にも言わず、2人でひたすら練習を重ねた日々を信じ、「最後の最後は沙織さんに託そうと決めていた」と明かした。

 そんな宮下に「全部持ってきていいよ」と告げた木村も、「勝つためには遠慮せず私が頑張らないと」と覚悟を決め、やや高めのトスを2枚揃ったイタリアブロックの横を抜くだけでなく、上からでも叩き込んだ。得点した後も周りを盛り上げようと笑うのではなく、小さく右の拳を握り、叫ぶ。

 何が何でもこの試合で決めてやる、と闘志を見せて戦う姿を見て、「久しぶりに、木村の背中に炎が見えた」と眞鍋監督も称えた一戦は、紛れもなくそれまで何度も見てきた日本代表の揺るがぬエース、木村沙織の試合だった。

木村の取材はいつも緊張した。

 コートを離れればごく普通、いや人並み以上に女子力の高い年頃の女性で、バレーボールよりも恋愛やコスメ、美容グッズの話に花が咲くことも多く、試合直後のインタビューでも、想定や仮定を遥かに上回る回答で“天然”と見なされたこともある。

 だが、それはあくまで表面だけ。笑ったり、考え込んだりしながらも1対1のインタビュー時に彼女が発する言葉は、そんなことを考えていたんだ、と意表を突かれることばかりで何度も驚かされた。核心を突こうと思いつつ、どうやって切り込むか、と迷った挙句、まずは、と曖昧な聞き方をすると、えーっと、と笑いながら「あれ、質問何でしたっけ」とはぐらかされる。何度重ねても、取材前はいつも緊張した。

 特に、2013年のトルコ。撮影用の化粧と髪型をえらく気に入り「これ、めっちゃかわいいですよね」とニコニコしていたかと思うと、急に真剣な顔で「(全日本の)キャプテンをやってみることにしました」と切り出してくる。次にどんな引き出しが開くのか。それはプレーだけではなく取材者に対しても同じで、何が出てくるかわからない相手へ臨機応変に対応するために、見逃さぬように、聞き逃さぬようにどれだけ準備するか。その大切さを教えてくれたのは紛れもなく木村沙織だった。

木村沙織が教えてくれたバレーの楽しさ。

 東レで勝ち続けた頃や、日本代表のエースとして戦いメダルを獲った頃。途中交代を命じられアップゾーンで不服そうに立ち尽くした試合や、開幕から勝てずに打ちひしがれる姿。輝かしい時代も、笑顔など消えるぐらい苦しい時代も、気づけば当たり前のようにいた木村沙織は、もうコートにいない。

 人気回復や絶対的エースの存在。それぞれの立場で「木村沙織がいれば」と願う人はきっと少なくない。もちろん筆者も、ありえないだろうと思いながらも、引退当初はひそかに望んだ。何かの拍子に気が向かないか、と。

 だが、夢だったカフェ経営や、愛犬を含めた家族との生活。穏やかで幸せな日々を過ごす木村がコートに戻ることはなく、今、日本代表の中心にはそんな彼女と共にプレーし、その背を追い、慕ってきた選手たちがいる。さらに先へと目を向ければ、あの頃、木村沙織に憧れた小学生がいつか、世界と渡り合う日が来るのもそう遠くないはずだ。

 だから嘆く必要も、後継者を探す必要もない。木村沙織が何度も見せたバレーボールの楽しさは、これからも受け継がれ、広がっていく。

 どぎついサーブやスパイクで相手を攻め、連続得点を重ねながら憎らしいほどの笑顔で喜ぶ選手が、きっと、これからも--。そんな未来を想像するだけで、ワクワクする。

(「バレーボールPRESS」田中夕子 = 文)