新型コロナウイルス感染で入院していた大相撲三段目の勝武士が5月13日、ウイルス性肺炎による多臓器不全のため28歳の若さで亡くなった。新型コロナでの死者は角界では初。20代以下の死亡も国内では初めてのケースという。

 日本相撲協会によると勝武士は4月4~5日にかけて38度台の発熱があり、師匠の高田川親方(元関脇安芸乃島)らが保健所や近隣病院に電話で何度も問い合わせたが診察や検査は受け入れてもらえず、血痰が出た8日夜になってようやく都内の大学病院に入院。翌日に転院し10日にPCR検査で陽性と判定され、病状が悪化した19日からは集中治療室で治療を受けていた。

 強いはずの“お相撲さん”がウイルス感染がもとで亡くなったという事実はあまりにも衝撃的で海外でも大々的に報じられた。

 普段のスポーツ報道では関取ではない幕下以下の力士の活躍が十分に扱われることはまずない。おそらく今回の件で勝武士という力士を初めて知った国民が大半であろう。こういう形で世間から大きな注目を浴びるのは何ともやり切れない。

平成19年に15歳で相撲部屋に入った勝武士。

 勝武士は平成19年春場所、15歳で高田川部屋から初土俵を踏み、史上初の無観客で行われた先の春場所は三段目64枚目で3勝4敗と惜しくも負け越し。

 部屋後援会が発行する『高田川新聞』では「次は大勝めざして頑張りたい」と次の場所へ向けて意気込みを語っていた。

 165センチの小柄な体型を生かし相手の懐に入ってもろハズで押し込む相撲を磨き続け、最高位は幕下目前の三段目11枚目。同じ山梨県甲斐市立竜王中学校柔道部の1年先輩にあたる幕内の竜電の付け人を長く務めていた。

 また、巡業や花相撲などでは「初っ切り(しょっきり)」で観客を大いに楽しませていた。

給料が出ない養成員という身分だが……。

 初っ切りとは相撲の禁じ手やルールなどを滑稽な動きを交えながら演じる余興相撲のことで、体格が大小対照的な力士がコンビを組むケースが多い。明るく周囲を楽しませるムードメーカー的な性格だった勝武士の初っ切りでのコミカルな立ち回りは実に絶妙だった。

 ところで相撲界は番付社会であり横綱から序ノ口まで明確な序列が存在し、風呂や食事の順番も全て上からの番付順であり、地位によって許される身なりも違う。十両以上の力士は給料も支払われる関取として一人前の扱いを受けるが、幕下以下は給料が出ない養成員という身分である。

 勝負の世界に身を置く力士にとって番付こそが全てと言えるが、実際はそうとも言い切れない部分も少なくない。

幕下以下の力士でも様々な役割、活躍の場が。

 各相撲部屋では幕下以下の力士が交代でちゃんこ番を務めるが、そのうちに料理の腕を見込まれた者は「ちゃんこ長」に“昇格”し、部屋の力士たちの食生活を支えることになる。また、普段から機転が利き事務能力に優れた者は土俵に上がる傍ら、師匠の右腕として部屋のマネージャー的な仕事を任されることもある。

“アンコ型”力士でぶつかり稽古の胸を出すのがうまく、関取衆からも頼られる若い衆も各部屋に1人はいるものだ。結びの一番の後に行われる弓取式も基本的には幕下以下の力士が務める。

 とかく主従関係に思われがちな関取衆と付け人の関係だが、実際は付け人が関取に対戦相手についての攻略法をアドバイスするといったケースも珍しくない。

 取組後の竜電に勝武士がその相撲ぶりを身振り手振りで詳細に説明する姿は、相撲記者なら誰もが目にしていた光景だ。体格に恵まれないなどで自身の出世は思うようにいかなくても相撲を熟知する者はいる。竜電にとって勝武士はまさにそんな頼れる“参謀役”であった。

江戸時代から続く初っ切りの名手として。

 こうした関取以下の若い衆の仕事の評価は勝負の“白黒”や数字だけでは決して計れないが、大相撲二千年の伝統は彼らによっても確実に支えられ貢献度も小さくない。

 江戸時代から続く初っ切りは巡業興行では欠かせない演目であり伝統芸のひとつ。歴代の初っ切り力士のなかでも勝武士は間違いなく名手の1人と言えるだろう。

 繰り返しになるが相撲界は厳然たる番付社会であるが、それが全てではない。

 力士は一枚でも番付を上げるために心血を注ぐ一方、各々に与えられた役目も務めている。

 わが国固有の伝統文化の担い手として真摯に相撲に打ち込んでいた若い力士の突然の逝去には、ただ言葉を失うばかりだ。ここに哀悼の意を表したい。合掌。

(「大相撲PRESS」荒井太郎 = 文)