5月13日、水泳のジュニアオリンピック杯夏季大会の中止が決まった。

 ジュニアオリンピック杯夏季大会とは、毎夏に行われている水泳の全国大会だ。競泳、飛込、水球、アーティスティックスイミングが実施され、小、中、高校生が参加する。

 今年は8月に大阪などで予定されていたが、すでに中止された春季大会に続き、大会そのものがなくなることになった。

 その意味は小さくない。

 瀬戸大也は、この大会での中学2年生時の400m個人メドレーを思い出の1つとして語ったことがある。萩野公介を破り、優勝したレースだ。

 小学生の頃からライバル関係にあり、ただ、萩野に敗れるレースも少なくなかった。その中での勝利だった。

「あれは大きかったですね」

 のちのちの、糧の1つになっただろう。

レース後、サインを求める姿もあった。

 瀬戸に限らず、多くの選手にとって、それぞれの年代で、目標の1つとする全国大会である。

 ジュニアオリンピックカップには、瀬戸、萩野に限らずシニアの日本代表で活躍する選手が出場してきた。そういった選手の存在は他の選手にも刺激となってきた。

 例えば2016年夏季大会。この年は、リオデジャネイロ五輪に出場した池江璃花子が出場した。

 また、2017年夏季大会には、同じくリオの代表だった今井月が出場している。

 彼女たちのように、オリンピックなどで活躍する選手たちの泳ぎを、参加する選手たちが間近で見られるのが、小学生から高校生まで一堂に会するジュニアオリンピック杯だ。

 池江らの泳ぎを熱心に見つめる小学生スイマーの姿があったし、レース後、サインを求める姿もあった。

池江は「楽しい大会ですよね」と語った。

 池江は、「楽しい大会ですよね」と語ったことがある。

 幅広い年齢が集う全国大会だからこそ、生まれる楽しさであり、そして競技において刺激を受ける場であったかもしれない。

 日本代表のヘッドコーチの平井伯昌氏は、端的にこう語っている。

「小学生の子とか、トップクラスの選手を見る意味って大きいと思うんですよ」

 その言葉を思うと、なおさら、10歳以上も年齢が異なる選手が集まる全国大会の意義、そしてそれが失われる意味も考えずにいられない。

 水泳に限った話ではない。すでに30以上の競技が実施される予定だった全国高校総体(インターハイ)が中止となり、それに伴い都道府県の総体も中止を余儀なくされた。

 中止となった喪失感、失われた場の大きさは、指導者や直面する選手たちから、多数語られている。競技におけるモチベーションの面、進路の面などさまざまな面からその影響が語られている。

一個人で状況は変えられない。

 失われた場は、そこにかかわる人々にとっては、とても大きい。いつ、どのように以前の日常を取り戻せるのか、不安に苛まれるのは当然だし、失意に沈むのも無理はない。

 でも、一個人で状況は変えられない。

 ジュニアオリンピック杯を何度か取材した立場で言えば、あのような、さまざまな年代が、さまざまなカテゴリーで活動する選手が一堂に会する場の損失は小さくないことは想像できる。

 その場でしか得られない体験もある。インターハイも同様だ。チームスポーツであれ、個人競技であれ、変わりはない。個人競技でも、そこで得られる刺激は小さくない。

できた時間を、徹底的に1人でいかしきる。

 でも、いつか活動する場は開かれるはずだ。そのときのために、一個人では変えられない状況の中にあるからこそ、選手であれ、指導者であれ、一個人としてできることに、とことん、徹するしかない。

 来たるべき日を念頭に置き、やれる限りのトレーニングを積む。こうした時間だからこそ、より極めていけることもある。トレーニングの理論を調べ、学び、模倣する。

 部での、チームでの練習はままならないかもしれない。だからできた時間を、徹底的に1人でいかしきる。

 部活が再開していなければ、叱咤激励する指導者やチームメイトはいない。1人で取り組むしかなく、自分の責任で行うほかない。でも、やりきったとき、すでにより成長した自身であるはずだ。なにしろ、自分の意思で行ったことであるから。

 目標としてきた大会、大切な機会が失われる損失は大きい。

 それでも、それを糧に、自身を伸ばす機会とすることはできる。

 そこに信を置き、歩むことで、将来はきっと開かれる。

(「オリンピックへの道」松原孝臣 = 文)