まだ日本がワールドカップ本大会に出られなかった時代、どこか人間臭く、個性的で情熱的な代表チームが存在していたことを是非、知っていただきたい。「オフトジャパンの真実」としてお届けするのは、その代表チームの中心選手だった福田正博の体験談を基に、「ワールドカップに絶対出る」という使命感を背負って過酷な戦いに挑んだ日本代表の物語であると同時に、福田自身の激闘記でもある。今回は<エピソード6>だ。

【前回までのあらすじ】
92年に発足したオフトジャパンでトップ下に定着した福田は、ダイナスティカップとアジアカップ制覇に貢献。しかし、ワールドカップのアジア1次予選を突破したあと、93年5月にJリーグが開幕すると……。心身ともに余裕がなくなっていった。アジア最終予選、福田のコンディションが上がらないなか、日本は4試合を終えて首位。勝てば文句なしにワールドカップ出場が決まる最終戦のイラク戦で、後半途中まで2-1とリードしていた。

<エピソード6>
 勝てば他会場の結果に関係なくワールドカップ出場が決まる“運命”のイラク戦、開始5分に早々と先制した日本は55分に一旦は追いつかれるも69分に中山のゴールで再び突き放す。あと20分、守り切ればアメリカへの切符を手にできる──。日本サッカー界の悲願が成就される時が来ると、チームはもちろん、日本国民もおそらく信じていた。

 しかし、そうした希望が膨らむ一方で、選手たちの体力は削られ、限界に近づいていた。事実、残り15分になると、福田は「何度も時計を見ていた」。

「永遠の時間のように長く感じたね。何度も時計を見たよ。本当に何度も。気になって仕方なかったんだ、残り時間が。でも、全然進んでくれない。実際には進んでいたんだけど、疲労もあって時計の進みが遅く感じた。そんな選手がピッチに立っていていいのかというお叱りを受けるかもしれないけど、そういう心理だった。それぐらい苦しかったし、みんな余裕がなかったのは事実だ」

 身体が思うように動かない。それでも日本は踏ん張った。最後の力を振り絞って、イラクの攻撃を跳ね返した。だが……。89分、相手にコーナーキックのチャンスを与えると、まさかのショートコーナーに虚を突かれた格好となった。

 それにどうにか反応したカズがボールを奪いに行くが、フセイン・カディムは鮮やかなフェイントでかわしてクロス。これをヘッドで合わせたオムラム・サルマンに痛恨の同点ゴールを奪われてしまう。「目の前で決められた」のは福田だった。

「まるでスローモーションのようにボールが入ってさ。『ああ、入ったんだ』という感じ。みんな一杯一杯だった。出し切っていた。集中が切れたところのタイミングで、良いボールが入ってきて、良い形で入れられてしまった。それを甘いと言われれば甘いのかもしれない。(終了間際になって)俺は焦っていた。あとちょっとだったし。大きな物が手に入るという焦り。でも体力的には限界にきていた」

 あのシーンで集中が切れてしまった一因は「ショートコーナーにあった」と福田は述懐する。

「予想しなかったショートコーナー、それもクイック(スタート)だったでしょ。プレーが切れてプツっと集中が切れたタイミングで、すぐに始められて……。オフになったものがこの時はオンにならなかった。みんな頭では分かっているんだよ、最後まで集中を切らすなって。でも、生身の人間だし、そう完璧には振る舞えない。今でも思うよ、『負けている状況でショートコーナーするのか』って。そういうものに対応できなかったのは、やっぱり経験値が足りなかったからだと思う」



 失点シーンを振り返ると、決して日本の守備は悪くない。ショートコーナーに対してカズは対応しているし、ゴール前にも十分な人数がいる。それでも決められたのは、陳腐な表現ながら“不運”としか言いようがない。もしくは、中山のゴールで火が付いたイラクが底力を発揮したのか……。

 いずれにしても、あと十数秒で、というところでまさかの被弾。最後まで闘志を燃やしたイラクの一発にオフトジャパンは沈んだ。

 実際、その場に倒れ込んだ選手たちにもはや反撃する力は残されていなかった。試合終了のホイッスルが鳴った直後、福田はすぐさまベンチを見ている。

「他会場の結果を知らなかったからね。でも、オフトが悔しい顔をしていたから、『あ~、ダメなんだ』って、『まさか、そんな』って思ったよ」

 日本がイラクと引き分けた結果、ワールドカップの出場権を手にしたのはイランを4-3で下したサウジアラビアと、北朝鮮を3-0と撃破して日本と同勝点ながら得失点差で上回った韓国だった。日本は、まさに“あと一歩”届かなかったのである。これが俗に言う“ドーハの悲劇”だ。

 ワールドカップへの切符が、最後の最後で手からするりと抜け落ちる。そのショックをひと言で表現するなら、茫然自失。福田は語る。

「結果を知ったあとのことはほとんど覚えていない。というか、忘れたい想いが強いのかもしれない。ずっと下を向いていたから、周りの風景も見ていない。どうやってドレッシングルームに行って、着替えて、バスに乗って、宿舎に戻ったからもぼんやりとしている。ホテルでの食事は覚えているけど、次の日に帰ったかどうかも思い出せない。それだけ、自分の人生の中で大きな出来事だった。あれだけ自分に期待したこともないし、周りから期待されたこともなかった。空港でいろいろ訊かれたけど、答えなかったと思う。俺は疲れ切っていた。ワールドカップに出られなかったショック、自分が何もできなかったショックもあって、本当に打ちのめされたから。身体も心も疲れ果てていた」

 ただ、福田がはっきりと覚えていることがひとつある。それは、帰りのチャーター機でオフト監督にかけられたひと言だ。

「お前、どうした?」

 最終予選の精彩を欠いたプレーに対しての感想である。それだけ、オフト監督は福田に期待していたのだ。

 蛇足になるが、今回この物語の主人公に三浦知良でもラモス瑠偉でもなく、福田を選んだのは彼こそオフトジャパン最大のキーマンだと考えていたからだ。「たら・れば」の話をしても仕方がないのは承知のうえで、あえて主張させてもらう。福田のコンディションが万全だったら、最終予選はまた違う結果になっていたと。<エピソード7に続く。文中敬称略>

取材・文:白鳥和洋(サッカーダイジェスト編集部)