「東京オリンピックに向けてという意識が一番にありますが、いろいろなものが自分のモチベーションになっています。試合ではほかの選手との競争になりますが、いかに過去の自分を超えて行けるかという競技。2m35を跳んだのであれば次は2m36を、2m36を跳んだのであれば次は2m37を目指すと思います。そういう意味では、記録への挑戦というものが、自分にとって最も大きなモチベーションになっていますね」

 昨年2月2日、ドイツ・カールスルーエで行われた陸上の室内競技会で、男子走高跳の戸邉直人が2m35で優勝し、2006年の日本選手権で醍醐直幸がマークした2m33の日本記録を13年ぶりに塗り替えた。

筑波大大学院でフォームの研究。

「研究の息抜きが練習で、練習の息抜きが研究」という理論派は、学部4年、修士2年、博士3年と、9年間にわたって学業と競技を両立させてきた。昨年3月に筑波大大学院博士課程を修了。博士論文のテーマでもある「走高跳のコーチング学的研究」では、従来の研究で述べられていた走高跳でより高く跳ぶために必要な要素を、被験者を使って統計的に調べ、自身の競技力を向上させてきた過程の動作分析を行った。

「なかでも踏み切り動作における力や方向がどのように跳躍に貢献しているかを研究したのですが、結果、踏み切り脚の股関節の外転筋(脚を外に開く筋肉)がよく働くと、上昇力が高まり、より高く跳ぶために有効だと明らかになりました。

 研究で導いた理論をもとにトレーニングを行うことで効率化されますし、自分が強くなるため、高く跳ぶためには何が必要で、どういったことを行えばいいのかがクリアになります」

踏み切り位置を30cm手前に。

 踏み切る位置が異なるとバーの見え方も変わり、助走や空中の動作も変わってくる。まさに「踏み切り」は走高跳において肝となる動作だ。

 水平移動から垂直方向の動きに変換させる踏み切りの瞬間は、脚全体で1トンの衝撃を受け止めるようなものだ。助走から踏み切り、空中動作など一連の動きを洗練させていく上で、毎日跳躍練習を行うことが理想ではあるが、「実際にそれをやってしまうと、間違いなくケガをする」という。そうしたリスクを考慮し、実際に跳躍を行うのは1週間のうち最大でも2日、逆に1日もトレーニングで跳ばない週もあるほどだ。

 昨年、日本記録を樹立した後は、東京オリンピックを視野に入れ、さらに記録を伸ばすため、自らの研究データをもとに様々なチャレンジを試みた。

 その1つが踏み切り位置の変更だった。

「さらに高く跳ぶために踏み切り位置を従来よりも30cm程度手前にしたんです。より高くバーを越えようとすると、跳躍自体の幅が必要になります。背面跳びの動きのなかでバーをうまくかわして跳び越えようとすると、ある程度、(手前で踏み切ることで)放物線の幅を広げなければなりません。遠くからバーに向かって飛び出していくという形が理想なので」

表彰台も期待された世界陸上。

 ただ、理論上必要な助走や踏み切り位置が割り出されても、日々の練習で跳躍できる回数は限られており、完全に習得するまでにはある程度の時間を要する。

「昨年1年間、踏み切りの位置を遠くする作業を継続的に行っていましたが、シーズンを通して自分がしっくりくるような形にはまとまりませんでしたね」

 9〜10月に行われた世界陸上を世界ランキング1位で迎え、日本勢初の決勝進出、初の表彰台も期待されていた。しかし、無念の予選敗退となった。

「世界陸上に向けて2~3カ月前から本格的に準備していましたが、そのなかで体の状態的にも、今、やりたいことができる完璧な状態ではないなということを薄々感じていました。その中で何ができるかということを探りながら準備していたんですけど……」

手応えをつかんだ矢先の五輪延期。

 ただ、今季のインドアシーズン(1~2月)ではある程度、踏み切り位置を遠くした動きが自分でもしっくりくるような形にまとまりつつあるところまできていたという。

「屋外シーズンに向けて、もう少しうまく技術的にまとめればいい感じになるなという手応えを感じていたところでした。結構いい感じにオリンピックに向けた流れができたなと思っていたのですが……」

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で練習、大会ともに中断や延期が余儀なくされ、今年7月に開幕予定だった東京オリンピックの延期も発表された。しかし、戸邉は前を向く。

「いち競技者として、東京オリンピックの延期が決まって残念な気持ちがあったことは事実なのですが、1年後、自分がどうなっているかを考えたとき、1年後の方が良い状態で迎えられるという自信があるので」

 その自信の裏付けになっているのが、理論に基づく確固たる根拠だ。

「競技に対して理論的に理解できているという自信があるので、こうした状況下で最低限何をやっておけばいいのか、抑えるべきポイントは多分、間違ってはいないと思います。だからネガティブになることもありませんね」

ケガのリスクを想定した練習を。

 4月7日の緊急事態宣言以降、練習拠点の筑波大が使用禁止となり、「競技力向上のためのトレーニングはできていない」。自宅や近所の空き地で基礎体力を高める動きや、いつでも練習が再開できるような状態にコンディションを整えている。

「走高跳の踏み切り動作の際に受ける衝撃はスポーツの中でもトップクラス。空白期間が出来てしまうと、感覚的な部分ももちろんですが、足首まわりの細かい筋やじん帯、腱が衰えてしまい、トレーニングを再開したときのケガのリスクが懸念されます。リスクを最小限に抑えるため、足の指を動かしたり、つま先だけで歩く地味なトレーニングを続けて、常に刺激を入れるようにしています」

「エビデンスベースでやるように」

 理論派ジャンパーが胸に刻む言葉がある。

「エビデンスベースでやるように」

 この言葉は筑波大の陸上部の元監督で、大学院時代には戸邉のコーチ、指導教員だった図子浩二氏によるものだ。

 長年コーチング学を研究し、学生の指導に当たってきた図子氏は、戸邉が研究と実践を両立する後押しをしてくれた。運動動作の分析をして、その分析結果を根拠にする。課題やトレーニング方法は、エビデンスに基づいてこそ効果があると指導した恩師の教えは、今も戸邉のベースとなっている。

 競技人生最大の転機となった2016年。その年、6月に行われた日本選手権直前に恩師が急逝。ケガの影響もあって、リオ五輪の日本代表メンバー入りを逃してしまった。

「トレーニング自体は基本的に自分で組んでいたので出来る状態ではあったのですが、大事なポイントを相談していた先生が亡くなってしまって、一度、自分をそこで見失い、全然跳べなくなってしまったんです。“ああ、これで自分は競技者として終わってしまったのかな”とさえ思ったほどです」

奮い立つきっかけは、恩師の言葉。

 無力感に苛まれる日々。もう一度自分を奮い立たせられたのは、やはり恩師の言葉だった。

「先生が生前言っていた言葉が頭の中に蘇ってきて、それがすごくエネルギーになりました。今、自分がやるべきことはまさに『競技と研究をやること』だなと思い、モチベーションに変えることができたんです」

 あれから4年が経ち、「自分がやっているトレーニングでエビデンスを説明できないものはないし、根拠をもってトレーニングができている」と自信をのぞかせる。だからこそ、「自分の中でどういうトレーニングをすべきか明確になっているので、そこにコーチが入る隙間がないというか、不都合がない」とコーチも不在。蓄積された研究データこそが、今、コーチの役割を担っているといってもいいのかもしれない。

(「オリンピックPRESS」石井宏美 = 文)